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長沢ヒロ&HIROISM、西安公演25周年記念祭報告

2019-05-29 20:30:00 | stage photos




25年前の西安ツアーにバンド、スタッフ、そして観光と日中友好イヴェント参加者として同行した47名中22名が結集、その他にも多くの方がご来場され60名を超す大盛況のイヴェントでした。
皆さま、ありがとうございました。
記念祭のスタートはURC高沢氏の解説でツアーのビデオ上映、その後西安のステージスタッフを中心とした西安工作人員楽隊が5曲演奏。
安全バンドの初期のナンバー「外へ出よう」に始まり、西安コンサートのオープニングSEに流れた「Somebody to Love」、続く「Venus」はショッキング・ブルーのライブversionで。
そしてスーパーエレファンツのレパートリーだった「どうにもとまらない~たいへんだぁ!」のメドレーでは、パーカッションに堀内ヒロシと石垣島から駆け付けてくれた古川凡の参加で賑やかに盛り上がり、ラストは安全バンドの「目をとじて」。
Vo.塩崎秀子、B&Choフジタヨシコ、Ds.西川一美の元スーパーエレファンツの3人に、西安ロックプロジェクトの核を担った沼田朋子がキーボード、ギターの藤田義治氏がハードなサウンドをがっちりとサポートしてくれました。
安バンの初期のレパートリー2曲を演奏出来たことも、多くのお客様に喜んで頂けたかと思います。
その後、当時西安の主催者だったカモメくんと高沢氏のトークを挟んで、HIROISMの演奏。



「Sampling Life」と「Don't Touch」の2曲を高沢氏のボーカル、私のベースで幕を開けた後にヒロさんが登場!
HIROISM=長沢ヒロVo&B、森永淳哉 G、三国義貴 Kbd、高橋まこと Dsの4人は全員が25年前も今も現役で活躍する日本を代表するミュージシャンであり、素晴らしいステージだった。
「ガキのまま」、「虹を見たかい」、COHANのレパートリーにもなっている「ままによ」(西安当時は「獅子座の夢」というタイトル)、「生きてる」など名曲の数々をたっぷりと演奏してくれました。
アンコールに安全バンドのギター相沢友邦が参加して「けだるい」、「偉大なる可能性」、そして再アンコール「月まで飛んで」では、塩崎&ヨシコ&朋子&カモメくんのコーラスも加わり華々しく温かい空気に会場が満たされた。
25周年の記念すべきライブに参加することが出来て、感無量でした。





スーパーエレファンツReturnsを祝って、お花が届きました!ありがとう~!

さて、ここからとほほなご報告ですが、私は当日リハーサル前にホールでつまずいて転んで、打ち身というには少々重い怪我を右脚に負いまして、その日一日はなんとか気合で乗り切りましたが、週明けに整形外科で筋挫傷と診断されてしまいしばらくは脚をあまり動かさないようにということで、腫れが引いたらリハビリせねばならない状態に。
来週には少しずつ仕事を再開出来るかと思うけど、今週は大人しくゆっくり過ごします。
次のライブは、7月13日に名古屋でスモサク、古澤隆広の個展会場でアコースティックVersionです。



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HIROISM前史

2019-05-01 15:33:00 | 安全バンド関連


今年2月に「安全バンド1972-1976 LIVE ANTHOLOGY」(4枚組)と「長沢ヒロ 1978-1994 LIVE ANTHOLOGY」(3CD+DVD)が発売され、25年前の長沢ヒロ&HIROISMの西安公演のライブ映像が収録されていますが、HIROISMの前身のバンド、How Are You?で私は鍵盤を担当していましてDisc3の12曲目、「こんな男」は私が参加しているライブのテイク。
25周年記念祭開催にちなんで、HIROISMというシリーズイヴェントがあった90年代前半のことを書き残しておきます。

ライブイヴェントのHIROISMは1991年12月に与野のHORE HOREで開催されたのが最初で、URCの友人である亀井さんが若くして他界されたことを一つのきっかけに、長沢ヒロの生の歌と演奏を聴きたいというURCの呼びかけで始まりました。
初回は安全バンドのリユニオンに始まり、その後ヒロさんのベース&ボーカル、ドラムに高橋まこと、ギターに中野祐二の3ピースの時期を経て私がキーボードで加わり4人編成になりました。
オープニングアクトをURCの高沢氏率いるFLASH BACK、そして私が当時参加していたPICADORがつとめることが多く、その流れからHow Are You?にも参加する展開になったのでした。
当時私自身はまだアマチュアバンドの活動ペースで週に1~2回はバンド全員でスタジオに入って、時間をかけて一緒に曲をアレンジしていくやり方だったのですが、How Are You?に参加することによってヒロさんが毎回用意してくる新曲のデモテープを聴きヒロさんの譜面を見て演奏するやり方を学んで行ったのです。
70年代にヒロさんのファンになったことをきっかけにベースを弾き始めた自分が、サポートの鍵盤奏者として実りの多い時間を共にすることが出来たのはかけがえのない経験だったと思います。
ライブはHORE HOREの他に南浦和のポテトハウスでも回を重ねましたが、この場所が今はライブハウス宮内家になりプロアマ多くのライブが活発に組まれています。
93年1月のHIROISM Vol.5のあと、その年の6月に大久保青志さんの都議選支援コンサート「KEEP ON ROCKIN'」が行われて、そのステージではギターに佐藤満、サックスに中村哲も参加、安全バンドのレパートリーに加えHow Are You?のナンバーも演奏。
このコンサートは自分のライブ史上3本の指に入る、豪華メンバーの集まりだったと思う。
四人囃子はベースに中村真一、ギターは森園勝敏と佐藤満のお二人とも出演され、PANTA、クリエイションと70年代から活躍してきた方たちが勢ぞろいしました。
一番の若造な上に女は私一人、同窓会のように盛り上がる楽屋で平気でズボンを下ろして衣装に着替え始める男性もいて居場所に困る場面もありましたが、このイヴェントに参加出来たのはとても大切な想い出です。
その日の楽屋に浦和市民連合の東さんが訪れて、西安ロックプロジェクトという企画をスタートさせた経緯を伝えられてヒロさんのバンドの中国公演を実現させたいという話があり、ヒロさんの快諾で翌年のHIROISMというバンドに繋がって行ったのでした。
イヴェントのHIROISMはその年の12月、Vol.7まで続き、その後、メンバーを組み替え翌94年3月には西安LIVE前夜祭コンサートを埼玉会館で行ない、私はPICADORでオープニングアクトを務めました。
ちなみにその当時PICADORの鍵盤をやっていたサポートメンバーの西野が、のちに結婚することとなったオットでありまして、PICADORの練習場所だったRinky Dink Studioが縁で知り合ってサポートをお願いするようになり、その後は一時期彼の率いる関東石田組のベースのサポートを私が担当していました。
その頃はまだ恋人関係ではなかったのだけど、その年の秋くらいからだったと思うので、ちょうど交際25周年ということになるわけか(^^ゞ
西野の紹介で知り合ったギタリストの長谷部さんの繋がりでプロデューサーの山崎直也さんと出会い、ギターの藤田洋介さんに繋がりバディ・ホリーのトリビュート盤のレコーディングに参加したり、布谷文夫のバックの仕事をきっかけにその後様々なミュージシャンのバッキングの機会が増えて行ったわけです。
PICADORは90年代後半で活動を休止しましたが、15年余の時を経て古澤隆広&ザ・スモーク・サークル・オブ・フレンズで再び一緒に活動するようになって、90年代当時から観ていて下さった友人たちにも応援して頂けることをとても嬉しく思っています。

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