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長沢ヒロ、ダブルヘッダーの一日

2013-08-27 12:31:00 | event etc.


一昨日の午後は、新宿区・千日谷会堂での「戸井十月の新たな旅立ちを見送る会」に参列して来ました。
無宗教の送る会で、遺影の脇には十月さんの乗っておられたバイク、著作などが飾られ、何人かのスピーチの後、献花の前にチグリハーブとヒロさんが作詞作曲をして彼に送った「旅の約束」の演奏がありました。
3年前の長沢ヒロの還暦祭の時には、スピーチもして下さった十月さん。
その年の秋に、チグリハーブのライブ会場でお話したのが最後になってしまいました。
会葬のお礼状の奥様の言葉に、「戸井さんが決めることは夢であり、時間がかかってもその夢は必ず実現してしまった。夢にまわりの人達をまきこんで。」とありましたが、本当に多くの人たちに愛され沢山の人たちの縁を繋ぎ、一緒に次々と夢を実現してこられた密度の濃い人生であったと思います。
わずかではあったけど接点を持つことが出来たこと、誇りに思っています。

さてそしてその日の夜は川口のCAVALLINOで、ギタリストの森永淳哉さん企画のイヴェントにヒロさんがゲスト出演するということで、長々3時間川口駅周辺で時間つぶし。
カフェでお茶してのんびり読書したり、懸案のスマホ乗り換えの検討でWilcomのショップや携帯ショップをハシゴしたりして過ごし、その後CAVALLINOへ。

ヒロさんがステージで、一人でアコギを弾きながら歌うスタイルは、実はこれまでになかったことでありまして、ご本人も少々緊張の面持ちでしたけど、「13階の女」 「おはよう」 「いくら待っても」 「月まで飛んで」など安全バンド時代の曲や90年代に作られた「虹を見たかい」、そして昼に十月さんを送る会でチグリハーブのボーカルでやった「旅の約束」を夜にはヒロさんのボーカルVersionで聴くことも出来ました。
予想以上に沢山の曲を演奏してくれて、たっぷりと彼の歌を堪能することが出来、贅沢な時間だった。
これからもこういう企画に登場して、もっと歌を聴かせてほしい、今回のステージが良いきっかけになったはず?!・・・と、プレッシャーかけちゃいますけど、ほんと、またやって下さいね、期待してます!!!

ヒロさんの次のライブ出演、来月9月21日にクロコダイルで行われるPANTAのライブにベースで参加とのこと。
これも、必見です!

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遺品整理の中で

2013-08-22 21:41:00 | ノンジャンル


遺品の整理というのは、その人が生きてきた痕跡をどんどん消していかざるをえない作業だとしみじみ思う。
しかし、親戚とやりとりしていた手紙類など、その相手も高齢でいつこの世からいなくなるか分からないと思うと、簡単には捨てられなかったりするものだ。
自分の仕事用と母専用になっていた固定電話回線についても、母の使っていた回線を解約することを一周忌を過ぎてもまだ迷っていた。
理由の一つは、消息の分からない父方の伯母がいることだった。
若い頃に家を飛び出して長年行方不明だった伯母の消息が一旦分かったのは、父も祖母も叔母も亡くなって父の兄弟は伯父が一人残るのみとなった80年代終わり頃のことだったと思う。
岩国市役所から突然来た通知は、生活保護申請をされたご兄弟に援助が可能であるか?というもので、亡くなった父の名前宛で来たのだった。
役所が戸籍を辿って兄弟全員、すでに他界している者にも通知が来たが、母にとっても義理の叔父にとっても、一度も会ったことのない義理の姉への定期的な援助は引き受けがたくお断りして、しかし以来我が家は母が年賀状のやり取りだけはしていた。

そして、一度も結婚せず子供もおらず身寄りのない伯母は、うちの妹の結婚や出産を知らせる母からの便りにとても喜んでくれていたようで、いつか会いたいと、妹の子供の誕生祝なども送ってくれたものだった。
その伯母と連絡を絶つことになる出来事が、5年前にあった。
金銭がらみのことがらで、潔癖症の母には許せないことであり、いくばくかを送り返済無用だがもう連絡しないで欲しいと書き送ったような話を当時聞いた。
年賀状のやり取りも、それで途絶えた。
しかし、昨年母が他界しその知らせだけはしておきたいと私は考えて、年末に喪中葉書を出したものの、宛所不明で戻って来た。
90歳近く体の具合も思わしくない伯母であるから、もう他界しているのかもしれない…と思いながら、何かあった時には市の福祉課から連絡がある可能性も頭をよぎり、消息が分かるまでは母の電話番号を生かしておこう・・・という考えもあり先延ばしにしていた。
一周忌を目処にと思いながらなかなか腰が上がらなかったが、先日ようやっと岩国市役所に問い合わせたところ、直系親族でないと以前の住民票から転居先を知ることは出来ないということで、本籍地の福山市役所に伯母の生死の確認のため戸籍を取りたいと問い合わせると、それも私は直系ではないので微妙なケースだったようだが、担当者が調べてくれて、筆頭者の祖母からは直系になるのでお出しできますという返事をもらい、申請を出した。
ちなみに、祖父は戦前に亡くなっているのでその後の戸主は伯父で、戦後の新戸籍で祖母が筆頭者になっていて、その流れは父の他界後相続手続きの時に知ったのだった。

昨日、除籍謄本が届いた。
伯母は昨年6月、うちの母のわずか2週間あとに、他界されていたのだ。
死亡地は岩国市のお隣の町。
届出人は家屋管理人となっており名前が記されていたので、その名を検索したところ病院の院長だった。
この5年の間にいつかその病院に入り、最後は身寄りのない人として岩国に埋葬されたのだろう。
伯父は80年代の生存中に一度会ったらしいが、その伯父が他界後は義理の伯母は夫側の親戚付き合いを拒んでいたため私も今の連絡先を知らない。
本来なら祖父母の眠る福山の墓に納骨してあげられれば良いのだろうが、それも叶わない。
一度も会ったことのない伯母だし母にとっては付き合いを絶った親戚だけど、母がいなくなった今、生きていて居所が分かるなら連絡を取ってみたいということもこの一年の間にちょっと考えたのだが、遅かったです。
一年以上の時が過ぎてしまったけど、どうぞ安らかにお眠りください。
何もしてあげられなかったけど、消息を辿ろうと考えたのも親戚の中では私だけだったし、調べて従姉や義理の叔父に伝え一つ区切りを付けることが自分の役目だったのかと思います。

これで、いよいよ母の固定電話も解約するけど、やはりなんとも寂しい気持ちだ。
私が10歳の時からの家電話、家族の歴史が刻印されたような番号だから。
でも、いつまでも無駄に2回線引いていてもしようがないし、自分の仕事で10数年使ってきた番号の方を生かしていくしかない。
前を向いて行かなきゃね。

写真の一番右が父、その隣が昨年亡くなっていた伯母、その隣が祖母です。

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郷津晴彦展などなど

2013-08-19 19:53:00 | event etc.


前回のブログと日が前後して今月前半の話ですが、8月4日に郷津晴彦展に行って来ました。
郷津氏は海辺で拾った流木を、その場で虫眼鏡を使って太陽光で焦がして模様を付けた作品を作るアーティストで、2~3年に一度個展を開いていますが、前回が3年前なので今回は震災後初の作品展となりました。
彼が流木を拾うために毎回のように訪れる御前崎の浜辺の至近距離には浜岡原発があり、震災の年は秋まで行けなかったこと、その年に作った作品に込めた思いなどを聞かせてもらうことも出来た。
そして、今回なんと私は彼の作品の壁掛け時計を一つ、購入させてもらいました。
前回の個展の時に、流木時計が登場して、おぉ!これはいつか家に欲しいと思っていて、昨年自宅の壁掛け時計が一つ壊れたことを機に次回の個展ではと心に決めていたのです。
母が亡くなって、少しずつ模様替えしているなかで、自分の友人の作品を飾るということは前向きな気持ちに繋がる良い機会の一つになったと思います。
しかし・・・煙草の脂に変色したリビングの壁に掛けるのは申し訳ないような状態で・・・とりあえず前の時計の掛かってた場所に掛けてますけど、暑さが過ぎたらもう少し見映え良く飾れるように掃除しなくちゃと思ってます。
今のところ、ちらかったリビングの写真を公開出来る状況にないのですが、個展会場で郷津氏が撮ってくれた記念写真をアップしました。
オットと私の間の時計が、今は我が家のリビングに飾られています。
http://members3.jcom.home.ne.jp/gotsu/index.html

さて、この夏は瞼の治療があり10日ほどの夏休みのあと、先週土曜から仕事再開、といっても相変わらず肩の具合もいまいちなので週3日程度の仕事量ですが、来月10日から数回に分けてMumon Bandのスタジオ録音をすることが決まっているので、来週から週一でスタジオリハに入るため、そこそこ慌ただしい日々になりそうです。
年内に、ミニアルバムを完成させることが出来ればと思ってます。

9月下旬には母の使っていた部屋に従姉の教会のピアノを預かるのですが、決まったのは春なのにまだ片付けは済んでなくて、気持ちは追われながらも暑さに負けてまるで進まず・・・だけど、そろそろ本腰を入れなきゃなぁ。



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霰粒腫切除

2013-08-09 17:24:00 | ノンジャンル


数ヶ月前から左の下まぶたにものもらい状の物が出来ていて、痛くもなんともなかったのだけど市販の抗菌目薬をさしても変化がないしほっておいてこれ以上大きくなってしまったら嫌だなぁと思って、7月半ば過ぎに近所の眼科に行ったら、日帰り手術で切開して取った方が良いと言われ。
マイボーム腺に脂成分が詰まって出来る、霰粒腫というものらしいです。
昨日、手術して来ました。
手術自体は、麻酔注射の前段階にした目薬の麻酔もしっかり効果があって、注射は思ったほど痛みもなく切開もあっという間に済みました。
が、その後はかなりデカいガーゼを貼り付けた状態でまともにメガネが掛けられず、でも私はド近眼だから数分とはいえメガネなしでは歩けないので、目から離れた状態だけどなんとか顔にかけてこわごわ帰って来たけど、遠近両用メガネはこういう時には足元が見えなくてダメですね。
普通の眼帯程度だと思ってたんだけど、これなら右目だけコンタクト入れるのが正解。

昨日は若干痛みもあったし安静に過ごしたけど、片目じゃ読書もPC見るのも超疲れるしアルコールも禁止だし手持無沙汰な一日だったものの、久々にゆっくりピアノを弾いたりして、それはそれなりに新鮮だったりした。
寝返りを打つと痛かったりで寝疲れない一晩でしたが、朝体重を計ってみると飲まなかった分ちゃんと体重は減っている!
禁酒を続ければ美容体重目指せるのでしょうが・・・今日診察に行ったら、もう無事にガーゼも取れたし眼帯も不要で、お酒も飲めることに!・・・やっぱ、こう暑いとダイエットより夜のビールの楽しみが圧勝でしょう!・・・って、暑かろうが寒かろうが晩酌は欠かしませんけどね~。

今日から来週半ばまでオットと二人とも夏休み。
9月のMumon Bandの録音の準備のためもろもろの手配が続いていたけど、それも先ほど一段落したので、しばらくのんびり出来る。
感染予防の目薬と軟膏をしばらく続けなければならないし、左目のコンタクトレンズとアイメイクは当面NGだけど、それ以外は普段通りの生活でOKということなので、週明けは予定通り一泊だけ伊香保温泉に行って来ます。
伊香保にしたのはオットの実家に寄りやすいからで、帰りの日はお盆の準備のためにチェックアウト後はすぐに飯能に向かいますが、伊香保の石段街には友人の栗原さんがデザインしたというゆるキャラの「いしだんクン」が出没するかもしれないので、これは絶対に会って写真撮って来なければ(^^)v

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