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山崎敦子 色鉛筆画展

2022-08-16 22:30:45 | event etc.

 

12日は山崎敦子 色鉛筆画展 ~ありのままで美しい~ を和太鼓女子部の3人で見に行って、終わってから赤坂で4人で久しぶりの会も。

山崎敦子さんと言われても分からない方多しと思いますが、ジューシィ・フルーツのイリア、鼓絆塾女子部のリーダー的な存在でもあります。

彼女は美大付属高から美大に進んだ人でもあり、音楽だけに留まらず実に多才でなおかついつも前向きでとてもポジティブ。

コロナ禍で巣篭りをしている時期に、久しぶりに絵を描き始めた作品が沢山増えて初の個展を開催されたのだけど、ギャラリー&カフェJalonaの落ち着いた店内に額装された作品が並ぶと細密で明るいタッチの絵がますます映えて、素敵な空間に癒されました。

Jalonaをあとにして集合した土佐料理の店で食べた鰹の塩たたきも絶品で、さすが赤坂というお料理を堪能。

私には前日のライブ参加、そして都内へのお出かけと会食という続けてのイヴェントで、昨年夏の病気発症以来初と言える2日間だったので、両日とも無事に元気に楽しむことが出来てそれもとても嬉しいことだったし、女子部の4人で集まっての気の置けない会話は何よりの元気の源でした。

最後におまけで11年前の女子部初舞台の日の写真を。

 

 

私は丸かったですね~、この品川教会のイヴェントの年末に母が倒れて看病生活で少し瘦せて、そんでもってこの1年でさらに12キロ落ちました~。

しかし、脂肪を蓄えていて良かったみたいです。元がスレンダーだったら術後の食べられない期間に30キロ台前半まで落ちるようなことになって体力の回復が難しかっただろうと思うので。

皆さん、60歳過ぎて何らかの病気の発症の可能性が増える世代となったら、多少の脂肪の蓄えは残しておきましょうね。

締め付ける服装も良くないです、逆流性食道炎の原因になるしその状態は私のような食道胃接合部の癌の発症に繋がることがあるようです。

以前にも書きましたが、接合部の癌にはピロリ菌の有無は関係ないのでピロリ除菌で安心出来るとは言えません。

無理なダイエットはせずに、楽な服装で自分が心地良いように暮らしましょう。

ダイエットはカロリーを気にする方が多いのですが、総カロリーを抑えても食べる量、胃のキャパがそのままだと痩せには繋がりにくいみたいです。

生活習慣病や膝や股関節のトラブルで減量が必要な場合、とにかく夜の食事量を減らしてキャパを小さくするのが近道だと思いますよ~。

なんて偉そうなことを言ってるけど、ここまでの大病して初めて結果的に減量に繋がったわけですが、今のサイズの服も買い始めちゃったことだし大きなリバウンドはせずに安定してくれると良いかな。。。

 

 

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やど工房RETURNS、8月5日のイヴェント報告

2018-08-20 18:40:00 | event etc.
大盛況のイヴェントから2週間が過ぎましたが、遅ればせながら8月5日のライブの報告をアップします。


<左からGEMさん、ヨシコ、ワタルさん>

浦和にはかつて「やど工房」(やるぞどこまで工房)という元埼玉べ平連のメンバーが1969年にやっていたストリート・ライブがあり、かぞえ50周年のイヴェントが南浦和の宮内家で行われました。
彼らが埼玉会館裏のクラゲと呼ばれる広場(というほど広くないので、クラゲ狭場と呼ばれていたそう)でフォークギターをかき鳴らし歌っていた当時は私はまだ小学生でしたから、もちろんリアルタイムでは知りませんでしたが、その1年間のムーブメントとその後浦和の東口に手作りでオープンさせたシタデルというお店のことは、伝説として聞いていました。


<熱唱するあづま・かずみさん、GEMさん>

ウラワ・ロックンロール・センター(URC)の創設時には埼玉べ平連と重なるメンバーもいて、私は高校時代からURCを通じてべ平連の後の浦和市民連合とも交流があり、その流れから1980年からの数年間はNEW WAVE'80と銘打った、浦和市民連合、反戦青年委員会、URCが連携した運動体にも参加し、80年には朝霞自衛隊基地の反対デモに当時結成したマゼンダの演奏で参加しました。
トラックの荷台にドラムやアンプを積み込んでデモの先頭で機動隊に取り囲まれながら演奏しましたが、今でこそ日本のデモや集会にも生の歌と演奏は欠かせないものになっているけど、当時はデモの先頭でガールズバンドが演奏するなど前代未聞のことで凄い経験をさせてもらったと思う。
そんな長年の繋がりがある彼らの50周年イヴェントにピアノで参加して欲しいと大番頭の蒼ワタルさんから頼まれたのが、今年の頭ごろだったか。
70年代前半に浦和からは離れた彼との繋がりは実は10数年前で、mixiで知り合った音楽仲間の山下セイジ氏(イラストレーター、大和ウクレレ倶楽部の講師でありウクレレDUOの藤山コンビの相棒)とワタルさんが仕事仲間だったことから居酒屋セッションで出会ったことにあり、こんな偶然はなんとも運命的としか言いようがありません。
69年当時に彼らが浦和でやっていたレパートリーは新宿西口フォークゲリラとは内容を異にしていて、失恋を歌ったオリジナル曲あり、トラディッショナルなフォークソングに乗せて「べ平連はいいな」だったり3億円事件を歌ってみたり、PPMのロック天国に当時流行った歌謡曲の歌詞をコミカルに乗せてみたり、そしてジャックスや「休みの国」のカバーなど非常にバラエティに富んだものでした。

「休みの国」の第五氷河期はフルートが印象的なのでそのラインを、哀愁ただようオリジナル曲にはアコーディオン風にメロディオンでサポートし、その他の曲ではピアノとオルガン、URC2代目代表の瀧口氏のコーナーではPresence of the lord、BoomBoomを演奏。


<瀧口氏のトーク>


「休みの国」の「悪魔巣取金愚」は今回のイヴェントの準備段階で初めて知った曲だったけど、キノコホテルや大槻ケンヂが取り上げるのが頷ける凄くカッコ良いナンバーで、当時アート担当だったGEMさんが力強く歌う姿や打ち合わせする中で50年前に歌った曲の歌詞をどんどん思い出すその記憶力にも驚いた。


<トークコーナーでは、浦和一女文化祭への無招待参加と涙の抗議で校歌を歌う合唱部のエピソードに場内が大いに沸いた>

若社長あづま・かずみ氏の歌う「アリス」(フォークグループのアリスではありません、不思議の国のアリスに語り掛ける歌詞)、ハードなアップテンポの切れの良いブルースでラストを飾り拍手に包まれてアンコール。
50年ぶりの集まりに40名を超える方たちが一堂に会してのイヴェントが実現して、その場を盛り上げる役目を果たすことが出来、彼らのその密度の濃い時代の空気に紛れ込ませてもらってリハーサルから本番までの数ヶ月間実に充実した日々でした。


<準備から打ち上げの仕切り、スライドショー作成上映と八面六臂の活躍のオリーブさん>

最後の写真は雑誌「展望」への連載が1973年にまとまって出版された小沢遼子さんの「よそもの連合太平記」の表紙。
今回準備段階でたびたび話題に上った本をネットで見つけて購入。
穏やかなデモにも暴力集団に接するように激しい取り締まりをした権力に対して、決してひるまず運動を続け仲間の救援に飛び回り、手作りのお店が火事で焼けてしまっても折れることなく遼子さんを市会議員に送り込むことを決めトップ当選を果たす、彼女らの様子が生き生きと伝わって来る内容で、本番二日前に届いたのを一気読みしたのでした。


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ウクレレ倶楽部と演遊会

2016-06-27 20:28:00 | event etc.


大和ウクレレ倶楽部のセンター祭のステージ、昨日無事終了しました。
生徒さん49名と先生の山下セイジさん、私のベースで総勢51名での演奏、全10曲は中にはコードチェンジの多い曲もあって初心者やご高齢の方にとっては練習が大変だったことでしょうが、皆さん本当に良くがんばったと思います。
私は前回10月に続いての参加でしたが、通常年に一度の生涯学習センターのお祭りが今回早まったのは建て替え工事のためで、今回が旧ホールでの最後の演奏。次回からは新しく出来るホールのステージになります。
前回はオベーションのアコベとハートキーのベースアンプを車で持参する形でしたが、この春にコンパクトなPhil Jones BassのDouble Fourというアンプを購入しまして、これとU-BASSの組み合わせで臨みました。


<手前の赤くて小さいのがPJB Double Four>

U-BASSは入手したのは昨年だったけど本格的にライブで使い始めたのは今年からで、ポリウレタン弦のタッチにようやく慣れてきたところかなと思います。
この楽器の奥深さを改めて感じる練習の日々でしたが、次回は山下さんとの藤山コン美のライブが8月末に決まっているので、このペースをさらに弾きこなせるようになって行きたいです。
PJBのアンプは3.9Kgというコンパクトなサイズでありながら75Wの出力があって、U-BASSとの相性もバッチリだったし、なによりキャリーバッグに入れて運べるのがとても便利!
今回は初回のホールリハーサルの日に車で運んだ以降は、生徒さんにキャリーバッグを運んでもらって私は電車移動が出来、コンサート終了後はホール向かいのコンビニから宅急便で自宅に送り、身軽になって打ち上げにも参加させて貰って一緒にビールで乾杯することが出来た(^^)
50余名、60代を中心に上は80代までの幅広い年齢層の合奏は、音楽を楽しむ純粋さが溢れていて自分にも良い刺激になります。次回のセンター祭も楽しみ。


<今回もステージの最後に綺麗な花束を頂きました。ありがとうございました!>

さて、ブログ更新が1ヶ月開いたのは、6月11日にも1年ぶりの演遊会があったので、その練習にもそこそこ追われていたのでありました。
昨年10月に吉祥寺のFOX HOLEであった後にお店が閉店してしまい、今回は昨年秋にMumon Bandのライブを観に来てくれた演遊会幹事がRooster Northsideを気に入りここで開催。
メンバーの多くが還暦を迎えた、大演遊会でした。
私は中心メンバーのしーさんと一緒にポールのMaybe I'm Amazed、キャロル・キングのIt's too lateをピアノボーカルでやったほか、The BandのOphelia、マリア・マルダーのAny old timeなどでピアノ、風をあつめてでベースなど全10曲。
新たに挑戦した曲も半数以上あったので、半月間に計20曲の予習はなかなかに充実した日々でございました。

ようやく一息ついたけど、7月はまた2つのユニットのリハーサルがあります。
一つは10月に行なう、古澤隆広&スモーク・サークル・オブ・フレンズの名古屋ライブに向けて都内スタジオリハ。
古澤さんは精力的な創作活動を続けていて、4月に行なったライブ以降にも3曲の新曲が届いています。
7月31日には、知人のBOOKIE氏主催の女性ボーカルイヴェント、BOOKIE'S BANDBOOKへのお誘いを受け、元ピカドールのKYOKO、長田31と3人でClioneというユニットを結成しました。
中野坂上のAjaに出演します。

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ライブ~同窓会~国会前~ライブ

2015-09-02 21:17:00 | event etc.


Facebookのタイムラインにも当日アップしたので内容が重なりますが、28日から30日の怒涛の3日間を書いておきます。

28日は元Hold Up、現在一緒にMumon Bandで活動している藤田義治と元・安全バンドの相沢トモのDUO、Midnight Guitarsのライブが南浦和のトモミックで行なわれて、ボーカルの塩崎秀子と私は5曲ジョイントさせてもらいました。
このお店は以前近くを通った時に生演奏の音が聞こえて気になっておりましたが、今回初めて行きました。
マスターとお話したところ、川口のクロスロードの店長をやっていた時期もあるそうなので、多分昔にお会いしたこともあったのだと思います。
Rolandのデジピが常設され、クラシックやジャズ、ブルースなどさまざまなライブが席数20ほどの空間でアットホームな感じで出来るお店。
地元ということで中学同級生なども駆けつけてくれて、暖かい空気感のライブを楽しませてもらいました。
Me and Bobby McGeeでは初お披露目のウクレレベースを演奏。
あとはピアノと歌でキャロル・キング2曲と、THE ROSEではトモズキャビンでやってた日本語織り交ぜversion、もう1曲は最近のレパートリーになっているWichita Linemanでピアノとリードボーカルを。
塩崎とのハーモニーは40数年に渡って積み重ねてきたので、息が合っているかなと思う、とにかく一緒に歌うことにすごく喜びを感じるし、お客様にも楽しんで貰えたみたいです。
Midnight Guitarsは今後もまわりのミュージシャンをゲストに招いてライブを企画して行くそうなので、これも楽しみ。

そして、翌土曜は池袋でオレンジチューブのリハのあと、北浦和に戻り中学の同窓会に出席。
翌日がライブなので1次会だけで帰宅しましたが、2時間目一杯お喋りを楽しんで来ました。

30日は南青山MANDARAでライブ。
いぬん堂の企画で4バンド出演の2番目だったので、リハが昼過ぎに終わってから国会議事堂前、戦争法案廃案!安倍政権退陣!の総がかり行動に向かいました。
外苑前からなら少しだけでも参加できると、溜池山王で地下鉄を下りてそこから早めに地上に出ようと思っていたのだけど・・・というのは、脱原発の官邸前の抗議行動で国会議事堂前駅は出口の規制などあったし手前から地上に出ないとという気持ちでいたのですが、どこから出ようかと考えているうちに議事堂前駅に入ってしまって、時間もないので戻るのも何だしなるようになるさと改札を出たところ、トイレの長蛇の列と階段規制でエスカレーターだけしか使えない状態にされていて大混乱。
地上に上がってもすぐ近くの横断歩道が封鎖されていて、回り道をしないと議事堂方面に行けないようになってました。
牛歩状態で指示に従って歩きつつ、2時にシュプレヒコール!
国会正門前までを目指すとライブの入り時間に間に合わない状況だったので、財務省上まで歩いたあとは霞が関駅に向かいライブハウスに戻りましたが、Facebookを見ると多くの友人がそれぞれ参加していて、それにライブをご一緒した佐藤鈴木藤木バンドで出演されたすきすきスウィッチの佐藤氏も行って来たと楽屋で話しておられ、同じ気持ちでこの日のライブを迎えた仲間がいること、そしてデモには初参加であろう人も沢山行っていたことが嬉しかった。
議事堂前駅を1時台に降りたまわりの参加者はご高齢の方も非常に多く、本当に幅広く多くの市民が駆けつけたということを実感しました。

ライブはトップバッターにinsect taboo、2番手にオレンジチューブ。
自分たちの出番の後、佐藤鈴木藤木バンド(佐藤幸雄[vo. g]、POP鈴木[dr]、藤木弘史[pf]) 、豆異℃(ex.なぞなそ商会 遠藤豆千代) をゆっくり堪能。
言葉がストレートに届いてくる佐藤氏の歌と、それに呼応する演奏、凄い!
そして豆異℃、白塗りのメイクと奇抜な衣装、それぞれのキャラクターと豊富な楽曲群すべて強烈なインパクト!
どちらも生で体験出来て本当に良かった!

という、怒涛の3日間でした。
オレンジチューブのライブphotoは、後日にアップしたいと思っています。

年内、今月だけはライブがお休みでホッと一息ついていますが、10月11日には大和市「センター祭り2015」で山下セイジさん率いるウクレレ倶楽部の演奏のサポートをするので、ぼちぼち予習に入ります。
60代70代を中心にしたメンバーが40人でウクレレ演奏!きっと壮観だろうとワクワクします。
皆さんが楽しく演奏できるよう、しっかり支えるベースプレイを目指します。



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フェスティバルFUKUSHIMA!

2015-08-19 17:21:00 | event etc.


8月15日、1泊でフェスティバルFUKUSHIMA!に行って来ました。
きっかけは、5月にオレンジチューブでライブをやったクロコダイルで、マダムギター長見順さんとギタリストの大津真さんの「時空兄弟」とジョイントしたこと。
このライブを観に来てくれたピアノ&ボーカル、ソングライターの榎本みのるご夫妻が順さんとも以前からのお友達で、福島在住の順さんとの再会を機に一度福島に遊びに行きたいという話から、それなら夏のフェスティバルFUKUSHIMA!にという展開になり、そこに私もご一緒させてもらうことになったのです。
2011年3月11日の東日本大震災後、大友良英氏、遠藤ミチロウ氏、詩人の和合亮一氏を代表として結成されたプロジェクトFUKUSHIMA!のことは以前NHKの番組で見たことがあったのですが、生で盆踊りに参加出来て実にワクワクする体験でした。
真夏の長時間の野外イヴェントはくたびれるかな?と、近くに取ってあったホテルで途中休憩するようになるだろうかと思っていたけど、ステージを観たり踊ったりビール飲んだりで楽しくのんびりと過ごせて、気が付けば5時間のイヴェントもあっという間だった。

大友良英スペシャルビッグバンド(大友良英、江藤直子、近藤達郎、斉藤 寛、井上梨江、鈴木広志、江川良子、東 涼太、佐藤秀徳、今込 治、木村仁哉、大口俊輔、かわいしのぶ、小林武文ス、上原なな江、相川 瞳、Sachiko M、遠藤知絵)

プロジェクトFUKUSHIMA!盆バンド(長見順、岡地曙裕、関島岳郎、向島ゆり子、ミカド香奈子、会津マスクワイア、ブラウンノーズ、デフロックのターキン、須田祐一郎、福高JAZZ研、and more!!!)

どちらも豪華なメンバー、そして地元の高校生やスタッフの参加やオーケストラFUKUSHIMA!も加わり、会場全体が一体になった正に新しい祭の形、踊りも昔からの盆踊りにフォークダンスやサンバがミックスされたアレンジで誰もが楽しめる。
震災以後、毎年終戦記念日に福島で開催されるほか、愛知、札幌など全国各地へと拡がりを見せているそうで、福島発信のこの祭の拡がりを喜ばしく思った。
10月31日と11月1日にも池袋で、プロジェクトFUKUSHIMA!のイヴェントが開催されるとのこと、これもぜひ行ってみたいです。
浦和の友人のゆうちゃん(一緒に富士登山をした仲間)が来ていて、会場でばったり会ったのも驚きの嬉しいハプニングでした。
イヴェント終了後、旅の3人組で近くの居酒屋で食事してから主催者出演者の方々の打ち上げ会場の屋台村にもお邪魔して、さらに楽しい時間を過ごさせて貰いました。





翌日は新幹線の時間が夜の8時だったのでどこか温泉へということになったのですが、順さん&岡地さん在住の高湯温泉へのバスの往復も可能な時間だったので、共同浴場の「あったか湯」に入りに行きました。



現地で一時激しい雨もありましたが、往復のバスの乗り降りの時には降られることもなく、白濁硫黄泉にのんびりと浸かって福島駅前で打ち上げをして新幹線に乗れば大宮まで1時間の近さ、充実の2日間でした。


2011年8月の開催時に、放射性物質を肌に触れさせない、そして、「これ以上、福島から放射性物質を拡散させない」という意思を示すために敷かれ以後続いているという会場に敷き詰められた大風呂敷ですが、大昔に家の敷き布団の生地だった物と同じ柄を発見!懐かしかった。


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