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バッド・カンパニー来日公演

2010-10-30 00:31:00 | music
26日の国際フォーラムに行って来ました。
ミック・ラルフスの病欠の告知が1週間前に出て、若干メゲてしまいキャンセル情報をUDOに問い合わせたりもしましたが、行って良かったです。
ポール・ロジャースとサイモン・カーク、この二人の歌と演奏、現役時代を超えると思えるパフォーマンスを見せてくれて、感動しました。
ポールとサイモンは私にとっては、Freeの「ハートブレイカー」が最初にリアルタイムで知るアルバムで、そこから遡ってFreeを集めはじめて。
「LIVE」と「Highway」が、10代半ばに一番沢山聴いた洋楽のアルバムだったと思います。
バッド・カンパニーの1st. albumが高一のころで、そのヒットは嬉しかったけど、Freeは日本の同世代では通?の人たちの間でしか語られないバンドだったので、その後の活躍と評価の広がりにはちょっと驚いたというのが高校時代だった。
ベースを弾き始めた当時、アンディ・フレイザーのベースに最も影響を受けましたが、ボズ・バレルもとても好きなベーシストでした。
自分の初ライブ?と言える中学3年の文化祭で演ったのは、「Be my friend」のピアノ弾き語りだった。
(中学時代にはまだ、バンドでFreeの曲を一緒に演奏できる出来るメンバーがいなかったので。)

今回、26日の公演ではアンコールに1曲だけFreeをやってくれた、Be my friend!!!
自分のルーツの曲を目の前で、ポールとサイモンが演奏している、それに生で接していることにジーンと来ましたです。

ポール・ロジャースは93年にサンプラで、2005年にはQueenプラスの時に埼玉スーパーアリーナでも観たのですが、93年の時にはバックの演奏が物足りなかったし、どちらも彼の本当の土俵ではないと感じる状況でしたから、今回3度目にしてやっと納得できるポール・ロジャースが堪能出来たと思います。
やはり、サイモン・カークの存在は大きいです。
今回、PAのミキシング的に、ドラムの音がやや貧弱だったのが、惜しい・・・セットは予想外に小ぶり(キックは20インチか?)だったしスネアのチューニングが低めなのは彼の個性でしょうが、それをちゃんと抜けの良い音にするのが、PAミキサーの腕でしょう。。。
ベースに関しては、語る気がしない・・・ポールのソロなどで何年も一緒にやってる人らしいけど、なんか違うよな~・・・という音と演奏でしたが、ミキシング的には重低音がうるさく出てこなくて幸いだったかも。
トータル的にはベースとピンチヒッターのギターには残念な面もありましたが、それでも納得の出来るコンサートの出来だったところに、ポールとサイモンの実力と才能を改めて感じました。
ミック・ラルフス氏が元気に快復して、再来日で今回を上回るパフォーマンスを見せてくれることを願っています!

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★ オレンヂチューブ ★ ライブのお知らせ

2010-10-25 19:33:00 | ライブ告知
「いっぺのいっぺんやりたかった vol.13」

■日時:2010年11月20日(土) 17:30 open 18:00 start
■場所:東京・Shibuya TAKE OFF 7・・・03-3770-7755
http://kox-radio.jp/to7-top.html)
東京都渋谷区宇田川町32-12 アソルティ渋谷 B-1

■チャージ: 前売り 2000円 / 当日 2500円(Drink別)

出演
・オレンヂチューブ
http://ouroboros.no.coocan.jp:80/orangetubeTakeOff7.html

・R256ミヤコ ロックンロールショー
・Hard Getten More Rock'n Roll
・金色
・サンカマぷらすワン
(出演順は、後日にアップします。)

昨年秋、25年ぶりに復活したオレンジチューブに、私がキーボードで加わり、今回3回目のライブです。
4月にギタリストの大島が急逝という事態の中、5月の池袋手刀では、戸川純のギミギミギミックスのライブのオープニングアクトにデルピエーロ橋本氏を迎え、好評のステージを行うことが出来ました。
半年振り、このラインナップでは2回目のライブ、さらに迫力を増した演奏にしたいと思っています。

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そして神戸~旅行記その4

2010-10-15 22:42:00 | ノンジャンル
大阪には3人組で一昨年と昨年泊っていたものの、祖母との思い出の地、神戸には長らく行く機会が無かった。
祖母は86年に亡くなっていて震災のことは知らないし、神戸にいた伯父もやはり震災よりは前に他界。
義理の伯母と従姉は神戸近辺在住のはずだけど、事情があってもう付き合いはない状態。

なんだけど、今回はなんとなく旅行の終わりの1日、神戸を歩いてみたくなった。
震災から15年、一度も訪ねることが出来なかったけど、ゆかりの地である神戸の町をこの目で見ておかねばと思ったのだ。

まずはJRで、祖母の家のあった六甲道へ。
祖母の家は、伯父が85年ごろに建て替えていて、古い二軒長屋の片側を建て替えた形だが、そのあたりはそういう古い家が並ぶ地域だった。
震災のしばらく後に、大阪の叔父がその建物がどうなっているか心配して、自転車で様子を見に行った話を記憶しているし、その時撮ってきた写真を見た覚えがあるが、まわりの家が潰れている中に、ポツンと建っていたという様子だったように思う。
住所から地図は検索しておいたのでそのあたりに行ってみると、当然ながら新しい家ばかりがずらっと並んでいる。
祖母が最後に住んだ家も、もう震災時に築10年経っていたわけだし、伯父が亡くなり伯母がその家を手放したあと新しい持ち主は建て替えをした様で、3階建ての家に見知らぬ名前の表札が掛かっていた。
そのあたりを歩いたことがあるから分かる、元が二軒長屋の狭い土地を半分にしてそれぞれ別々に建て替えて3階建てが連なっている、そんな新しい住宅地になっていた。
ぐるりと歩きながらしばし感慨にふけって、それからモーニングを食べようかと思ったのだけど=大阪や神戸は、東京よりも昔ながらの普通の喫茶店が残っていて、祖母はよく近所の喫茶店にモーニングを食べに行っていたと聞いてたこともあり=でも、美味しそうなパン屋を見つけたので陽気も良いしパンを買って、駅前の公園で食べて朝食に。
それからバスに乗って、六甲ケーブル乗り場に向かい、ケーブルで山上駅に。
かなりの急勾配、両脇に金木犀が満開、昇るにつれて海が見える。
その後、バスの時間が合えば摩耶山のロープウェーとケーブルで下ろうと思ったのだけど、ちょうど目の前で発車するバスが有馬温泉方面に降りるロープウェー駅行きで、そのルートでもいいや!っと、バスで移動して六甲有馬ロープウェーで下る。
12分間の空中散歩、ここも絶景でございました。
古い温泉街を散歩して、有馬サイダーを飲み、金の湯で無料の足湯につかり有馬温泉駅へ。
ものすごい駆け足の移動ですが・・・他にも回る予定のところがあるので、またいつかゆっくり来たいと思いつつ電車で三宮へ。
で、まずWILCOMのショップで携帯の充電を頼む。
実は携帯の充電器を持たずに旅に出たら前日夜から残量がやばくて。
旅行中なんてほとんど携帯使わないからもつだろうと思っていたら、行きの新幹線で3本ほどメール出した時に、PHSだから送信にかなり時間がかかりあっという間に電池が減ってしまって。
ホテルで無料貸し出ししている充電器には残念ながらWILCOM用はなく、ホテルの1階の10分100円のPCコーナーでWILCOMショップを検索してから出たのであります。
で、その間にお昼ご飯で、出来れば明石焼を食べたかったのだけど、平日昼間なので北野近辺のたこ焼き屋などはお休みで。
結局、うどん屋で昼飯。
その後に、携帯を受け取ってから、バスでHAT神戸方面へ。
目指すは、阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」。
全面ガラス張りの5階建ての建物の壁に大きく、1995.1.17の文字が浮き出ているのが、バス停に止まる前から見えて、ああ!ここなんだ!と最初からインパクトが強かった。
4階から降りる形で、震災追体験フロアでの映画2本から数々の展示コーナーを回る順路が決まっているのですが、平日の午後で、まったくの貸し切り状態。
最初に観た1.17シアターの映画は、大型映像と大音響にストロボ的な照明も組み合わせて、震災の日の様子を再現していて、とにかく言葉を失う迫力。
部屋を出て、係りの人にお一人ですか!?と、よくお一人で見られましたね、地元の方は具合を悪くされる方も多くて・・・と話しかけられて、「そうですよね、実際体験された方には辛いと・・・」と返事をしようとしたら、それまで息を詰めていたけど涙が出て声が詰まってしまった。。。
ゆっくり見ると1日じゃ終わらない情報量なので、ここもかなり駆け足になってしまったけど、でも、行って良かったです。
バスで三宮に戻り、新幹線の指定予約をして新神戸に向かいお弁当=最後は豪華に神戸ステーキ弁当!とビールを買って乗車。
金曜の6時過ぎで、まわり中出張帰りのビジネスマン、おっさんに挟まれたB席で窮屈だったっすが、お弁当は美味しかったです・・・。
と、そんな旅行最後の1日、駆け足の一人旅でした。

祖父母と父は広島県福山市の出身で、祖母と伯父が神戸に引越したのは父が上京し大学進学した後のこと。
私のとっての祖母はもっぱら夏休み中に、関東の娘息子宅を数週間単位で泊りに来る人で、こちらから神戸の祖母宅に行く機会は子供の頃にはなかったのだけど、20代前半から半ばに何度か、浦和から家に戻る祖母を送りがてら神戸に行く機会があった。
離れていた分、会った時はとにかく可愛がってもらって本当に優しくて・・・そんなことを妙に思い出すようになったのも、自分が年を取ったせいなのかなぁ。
一昨年に、母の郷里の岡山に行った時もそうだったが、今回神戸でバス停を案内してくれた人など接した方たちの語り口が妙に自分のテンポ感に合って居心地が良いのだ。
やはりルーツということなのかな~、またいつかゆっくり行きたいとしみじみ思った。

とりとめのない内容で、長々とすみません。
読んでくれた方々、ありがとう。


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旅行記その3

2010-10-13 21:11:00 | ノンジャンル
その2のあとに、URC40周年飲み会やらオットの連休がはさまり、あっという間に別府に行ってから1週間経ってしまいましたが、続きを。

さてさて、6日に新大阪から別府に向かい、ホテル白菊にチェックイン。
気温がかなり高い日だったけど、別府駅に降り立つと空気がとても爽やかで気持ちが良い。
やはり、東京、大阪とは全然違います。
九州組が予約してくれた旅館ですが、駅から山側に徒歩6分、別府公園のすぐそばで4階の部屋からは海が見える素晴らしいロケーションでした。
大浴場、露天風呂ともに、泳げるくらいに広い!
旅館のお風呂でここまで広いところは、初体験かも。
お料理も、松茸土瓶蒸しや関アジの刺身やフグの唐揚や・・・超豪華で、大満足でありました。
翌朝部屋から、海に昇る日の出を眺めることが出来ましたが、太陽が濃い朱色なのです。
富士山で観たご来光に近い感じの色。
九州組に話すと、いつもこういう色だと言うのだけど、関東で見るのと違うものなんだなぁ。
やはり空気が澄んでいるからなのだろう。
朝食バイキングの会場が9階のレストランで、ここで案内された席もラッキーなことに海を眺める窓際で、本当に美しい景色でした。
朝食後に、別府公園を散策。
その後、九州組お奨めのコーヒーショップでウインナコーヒーを飲み、お昼には海産物問屋直営の店で豪華な刺身定食。
関アジ、関サバを堪能。
それから、海沿いにドライブ。
佐賀関の海に降りて、岩場を散策。
バランスの悪い私は、Hさんを支える力はまるで無しなんだけど、他の二人が上手にリードしてくれて。
しばらく海に入る機会がなかったというHさんは裸足になって、海を感じることを楽しんでいました。
公園でも木に触ったりちょっと登ってみたり、海の水にも浸かってみるなど、景色が見えない分、肌で感じることがらがとても大切だし、そのことを良く理解しているメンバーが一緒で本当に良かった。
臼杵の街並みをちらっと見てから高速に乗り、別府湾SAでお茶。
ここのカフェも別府湾や高崎山を眺められる絶景ポイントで、気持ち良かった。
九州組の最寄の中津駅まで乗せてもらい、別れて大阪へ。
大阪駅の環状線ホームでHさんを見送り、駅そばのホテルに一人チェックイン。
翌日は、神戸へ。

次回、その4に続く。

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旅行記その2

2010-10-10 03:05:00 | ノンジャンル
今回の旅行では障害者割引で同行の部分は運賃が半額になるので、私は東京大阪間のみ金券ショップでディスカウントチケットを買い、当日Hさんと新大阪で早めに待ち合わせて大阪別府間の往復を買う打ち合わせになっていたのだけど、数日前に彼女が駅員に相談して切符を買ってみるという。
彼女が携帯で検索した情報だと、博多乗り換えで大分行きのソニックに乗るだそうだが、それはダブる区間があってなんでそうなるのかなぁ。
私の方でも乗る列車は検索していたのでメールで伝えて、私が選んだとおりの切符が買えましたが、駅員も検索ソフトは変な結果も多いので駅員に直接相談してくれる方が良いですと言ってたそうな。

ちなみに彼女は、携帯は器用に使いこなすわけです、道案内もメールも視覚障害向け機種には読み上げソフトがあります。
でも、「こくら」は「おぐら」と読まれちゃうんで、彼女は友達に「おぐら」いうところで乗り換えるんや~なんて話したら、それは・・・「こくら」やないん?と言われた~と^_^;
彼女は京都出身で、「おぐら」という駅が近くにあったので、小倉=おぐらだったみたい。
ま、おぐら・・・って読むかな、機械なら。。。

さてさてそして、新大阪駅での待ち合わせは、私は切符の都合上一旦改札を出てから一緒に入るようにせねばならないから、待ち合わせを在来線の東口改札と伝えてあって出てしまってから、「もう着いてる?」って電話したら改札の斜め前の喫茶店に居るっていうから迎えに行くと言って探したらそれらしい店がなくて、私の伝え方が悪くて東口出口まで行ってしまったか?と妙な誤解をしてビルの出口まで探しに行ってしまって、彼女は在来線改札の内側の店に居たので会えるまでに携帯で何度か連絡を取る展開になり、こういうことがあるからやっぱ携帯電話の存在はありがたかった。

改札の内側の彼女からチケットを受け取る時は、どさくさで端の通路を一旦入ったりしたけど特にとがめられることもなく無事に自動改札を通過。
私は今回、障割切符で同行の旅行は初めての経験で、事前にネットで調べてとにかく介助者は一緒に行動ということに意識が縛られていたため、新大阪の在来線改札に一緒に入らなきゃとか障害者手帳を毎度提示しなければならないのかな?などと構えすぎていたのでした。

チケットは彼女が駅で購入時に手帳を提示して障割と印刷されたものを受け取り、それは普通に自動改札を通る切符であとは大阪に戻るまでそれぞれが自分の切符を持っていれば良いだけだったし、手帳の提示の機会を求められる機会は一度もなかったです。
彼女は日常通勤して自動改札も慣れているし、むしろ私の方が複数の切符(乗車券の他に複数の特急券)に混乱しそうなくらいだった。
彼女の場合、切符はどの組み合わせで持ってどの順番で出せば良いか、購入駅の駅員にクリップで留めて渡してもらってさっと出せるように準備怠りないのでした。
一時記憶の能力は年と共にどんどん衰えて行きがちなんだけど、視力に頼れなかったら覚えなければならない場面は健常者よりも常に多くて鍛えられると話していたけど、その明晰さにはいつも感嘆するばかりです。

その3、また後日に続く。。。


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