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みっちゃんとの思い出

2018-09-22 22:09:00 | ノンジャンル


先週、中学時代の同級生のみっちゃんが急逝された。
お連れ合いはウラワ・ロックンロール・センターの元代表であり安全バンドのマネジャーの滝口氏。
滝口氏は先日のやど工房Returnsのステージにゲストで2曲参加したので、ここ数か月の間に何度か続けて会っていたのだけど、彼女がガンを患っていることを誰にも語らずにいたので突然の訃報に呆然とした。
17日にお通夜に行き、新潟から駆け付けた長沢ヒロさんが通夜の最後に「月まで飛んで」を歌って送るということでキーボードで伴奏をさせて頂きました。
セッティング中には彼女の好きだったスリー・ドッグ・ナイトのOld Fashioned Love Songをそっと弾きました。

80年代後半、彼女が結婚して以降はあまり会う機会が無かったこともあり、まだ実感がわかないけど、同級生としての思い出も沢山あるのでここに書き残しておきます。
彼女とは本太中学校の1年と2年の2年間、同じクラスでした。
私は小学校5年の時に北浦和地区に越してきて、そのまま前の学区の岸町小学校に卒業まで通ったので、中学に入った時は学校に友達がいない状態でスタートしたのだけど、一番最初に仲良くなったのがみっちゃんでした。
洋楽が好きな女友達は中学時代には少なかったので、学校からの帰り道の方角が、彼女は南の方、私は北浦和方向と別々なのにおしゃべりしながら彼女の家の方を回って時々お邪魔した。
スリー・ドッグ・ナイトの大ファンでアルバムを持っていたので、彼女の部屋でよく聞いたものでした。
ミュージックライフを二人で熱心に見て、興味のある洋楽ミュージシャンの名前を一生懸命覚えたり・・・そんな時代だったことを懐かしく思い出します。
彼女の部屋にはマンドリンがあって時々練習していたので、私が中学2年の時にエレキギターを手にしてからは、合わせてみたこともあって、一緒に文化祭に出ようという話に。
私が選曲したのがVSOPの「雨」という曲で、レコードは持ってないのだけどその頃にラジオで良くかかっていて気に入って、カセットに録音してコピーしたんだろう。
女性でも歌えるくらいキーの高いポップな曲だったことと、わりとハードなギターソロも入るのでそれを弾きたくて、もう一人ピアノの上手なヨーコちゃんと3人のユニット作って練習して、音楽室で行われた文化祭のオーディションに出たことは覚えているのだけど、エレキとピアノとマンドリンでどういうアレンジをしたのかは全く覚えてない。
そして、エレキの音がうるさかったためか、アンサンブルが悪かったためか、よく覚えてないけどオーディションに落ちたような?、あるいは他の二人が人前での演奏に気乗りがしなくてユニット消滅になったかで、私は結局ピアノの弾き語りで一人で文化祭に出て、その時に歌ったのはFreeの「Be my friend」とピアノのインストで「The Letter」だった。
高校は別々になったけど、彼女は高校で中学からの同級生のノンちゃんと親友になり、一緒にURCの事務所によく来るようになった。
高校2年くらいにはすっかり不良になっていた私は、ロックバーに行ってみたり夜遊びするようになって、知り合ったばかりの男性の家に遊びに行ってそのまま外泊しちゃったことがある。
奥様もいらっしゃる方だったので家に電話を入れてもらって外泊を強行した、その時も彼女が一緒だったなぁ。
厳格なお父さんだったのに、無茶な私によく付き合ってくれたものだったと思います。
その後私はバンド活動を中心にした日々を送るようになり彼女は子育てに忙しく、会話の機会は途切れたまま時は流れたけど、ロックを聴き始めた10代、そして20代のあのころを共有した友として彼女との思い出を忘れることはありません。
みっちゃん、どうぞやすらかに。
ご冥福をお祈りします。

写真は、今日散歩した天王川の上の遊歩道のハナミズキ。昔彼女の家があったあたりを歩いてみました。


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