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大和センター祭報告

2019-02-27 21:25:00 | stage photos




早いものでダブルヘッダーライブだった2月17日から10日が過ぎてしまいましたが(24日にスモサクの5時間リハが入ってたので~)、遅ればせながら17日の午後に参加した生涯学習センター祭の報告を。
私が大和ウクレレ倶楽部のセンター祭のステージに参加するようになって4回目、新しい施設シリウスのサブホールでは2回目の演奏ですが、今回も多くの生徒さんが参加され総勢50名、250人の客席も満員御礼でした。
年を追うごとに曲の難易度が少しずつ上がっているので、生徒さんたちは練習に追われて大変だったと思うけど、これも山下センセが全体のレベルを向上させたいという熱い想いを込めてのことで、皆さん本当によく頑張って実にまとまった、そして楽しさ溢れる歌と演奏を堂々と披露され、お客様からも大喝采でした!
ウクレレという楽器はギターに比べると高音の4本の弦なので低音域がないことから、ベースが加わるとお互いの存在感がそれぞれに際立つところがあって、それを生徒さんたちもしっかり聴いてくれてベースが加わると凄く演奏しやすいと言ってくださるので、ベーシストとして実にやりがいがあります。
ウクレレのアレンジ、コーラスアレンジ、50名が歌いながら弾くステージをまとめ上げた山下センセの指導力、牽引力は本当にお見事でした!
ウクレレだけでなく歌もハモリも生かしてこれだけの人数のアンサンブルをまとめるのは、並大抵の力で出来ることではないと思います。
山下さんの熱心なレッスンに応えて年々レベルアップしている生徒さんたちの努力、楽しみながら続けている姿勢も素晴らしいとしみじみ感じました。
今回はグループサウンズ50周年ということで選曲の目玉は7曲のGSメドレー、その他の曲も含め私が昔70年代終わりから足掛け25年に渡って慰問演奏の機会を頂いた精神科病棟のダンスパーティバンドのレパートリーと見事に重なっていて、大好きなGSナンバーと60年代ポップスが演奏できたのもとても楽しかった。

セットリスト
1.ワイプアウト
2.パイナップル・プリンセス
3.GSメドレー(ブルーシャトー→エメラルドの伝説→君に会いたい→花の首飾り→亜麻色の髪の乙女→あの時君は若かった→想い出の渚/7曲メドレー)
4.テキーラ
5.パフ
6.バナナボート
7.ロコモーション
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2週はさんで次は3月3日に大和音楽フェスティバル、1000人のキャパのシリウスメインホールで演奏します。
このフェスは地元の中学校やシニア世代の合唱団、ハーモニカサークルなどが出演するイヴェントで、ウクレレ倶楽部は15分のステージ。
12:30開場、13:00開演です。

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SGT.TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND with H.U&ヨシコ

2019-02-19 12:45:00 | stage photos




一昨日の2月17日、午後は大和ウクレレ倶楽部の演奏@シリウスのサブホール、夜は中央林間のパラダイス本舗でライブのダブルヘッダーでした。
まずは、パラ本のライブの報告を。
12月のJemini TheaterでのH.U&Bookieライブの帰りに、H.Uさんから2月のパラ本ライブの話を聞いて、私その日に丁度大和にいるよ~って話したら、じゃあ何曲か参加してもらおうかなって誘って頂いて。
元センチメンタル・シティロマンスの告井さんと一緒にビートルズナンバーを演るというお話で、候補曲はすべて知ってはいてもギター一本でビートルズの完コピアルバムを出しておられる告井さんの隣でベースを弾くのは考えてみれば大変畏れ多い・・・しかもウクレレベースだし!
出来るだけコピーに努めて臨もうとはしたものの、ウクレレ倶楽部の曲と同時並行での練習の日々はなかなかにハードでした。
大和のシリウスから移動してパラ本のサウンドチェックに到着したら、オープニングのH.Uさんのコーナーでもオリジナルやカバーに私も全面的に参加することとなって、譜面持ってきてないよ~(汗)、それに今まで一度もステージで一緒にやったことない曲もやることになったり(汗)な展開、その後の告井さんのステージの終わりに3人でビートルズナンバーを数曲演奏するのも、予定曲と違うものも入ったりキーが変わった曲もあったり、リハでは内心焦りまくりな私でしたが、なんとか無事にステージを務めることが出来たかなと思います。
告井延隆さんの、アコースティックギター1本でビートルズの楽曲を再現してしまうライブ、本当に凄かった!
長年、加藤登紀子さんをはじめ多くのアーティストのサポートやプロデュースをされてきて、仕事に関しては家でギターを弾くことはほとんどない年月だったそうですが、YAMAHAの安価な古いギターが手に入って部屋に転がしておいたら弾く気になって、パズルを解くようにビートルズの曲をギター1本でメロディーラインもハモリもベースラインもすべてを表現する方法を模索し始めたら楽しくて丸10年が過ぎたとのこと。
57歳で初のソロアルバム「SGT.TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」を発表し、今そのシリーズが3枚出ています。
ミッシェルのコード進行は中田喜直の「ちいさい秋みつけた」と重なるとか、「ノルウェイの森」の歌詞の意味解説や、「This Boy」の邦題は「こいつ」、でも歌はあいつ(That Boy)から始まるなどトークも非常に面白く、リアルタイムでビートルズを体験して愛し続け探求をし続けている姿勢は実に奥深く尊敬の一言では表せない感動、楽しくあっという間のでした。
3人でライブをやらせて頂いて、本当に幸せな時間だった。
H.Uさんとも二人でウクレレベースで合わせたのは初の試みで嬉しかった。
この日の2本の演奏をやるに当たって、このところ若干気になっていたハムノイズ解消のために先週急遽大宮のオレンジカウンティギターズに相談をして1日預けてアースの配線をしてもらったのも良いタイミングで大正解でした。

思えばパラ本に行くのは2016年4月に藤山コン美で出演して以来ですが、私はその日に遊びに来たH.Uさんと知り合いその後にBookieさんのお誘いでH.U&Bookieのサポート参加に発展、その時にジョイントしていたFoggy Rainの高崎昌子さんとH.Uさんはその日が久方ぶりの再会で、そこから越中屋バンド&紀の国屋バンドのTWO BY TWOの結成に発展していったのだと思います。
ミュージシャンの繋がりの化学反応は実に面白い!

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マゼンダ・メンバー解説

2019-02-01 14:36:00 | マゼンダ


昨年12月に発売された22枚組CDボックス「ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡」、マゼンダはDISC 10に11曲収録されましたが、ジャケットのメンバークレジットは3期に渡る総勢9名が列記されているだけなので、ここに解説しておきます。

第1期 1980~81年
塩崎秀子、フジタヨシコ、下田真澄、上田ひろみ、安江景子

メンバーは常に5人での活動だったのですが、1年ごとにギター、キーボードが交代していきました。
3年間の活動期間を通してのオリジナルメンバーは、ボーカルと作詞の塩崎秀子、作曲とベースと11曲目に収録のDemoトラックのピアノがフジタヨシコ、ドラムと7、9曲目の作詞作曲がギューこと下田真澄、この3人でした。
結成当時のギターは安江景子(元・メドゥーサ)、彼女とはメドゥーサのライブで知り合って、私と塩崎がスーパーエレファンツからガールズバンド結成にステップを進めようとしていたタイミングでメドゥーサの解散があったので、この人しかいないと声を掛けた。
キーボードの上田ひろみ(2曲目は彼女の作)、彼女は塩崎の同級生で高校時代は「おつかいアリさん」というバンドで銀座3ポイントにも出演、その頃は塩崎はドラム、ひろみはギターで安全バンドのカバーをやっていた。
ドラムのギューはURCのコンサートに阿修羅王というガールズバンドで出演していて、当時の若手ドラマーの中で断トツに安定したビート、ドライブ感に惚れて誘ったのでした。
初期の活動はURCのコンサートの他にエピキュラスで行われたイーストウエストのレディース部門に出ましたが、残念ながら受賞ならず。。。
その後、渋谷屋根裏のHeroのライブに前座で出演させてもらったことを機に、毎月の屋根裏出演の他、学園祭など活動の場を広げていきました。

第2期 1981年
塩崎秀子、フジタヨシコ、下田真澄、中谷ひよこ、安江景子

81年春にひろみが脱退し、新たに加わったのがギターのひよこ、彼女はドラムのギューの大学のサークル仲間。
この時期、女性バンド特集の雑誌取材をいくつか受け注目を集め、徳間ジャパンからデビューの話が持ち上がったのだけど、残念ながら話がまとまらず。。。

第3期 1982年
塩崎秀子、フジタヨシコ、下田真澄、石原富紀江、八巻恭子

この年の初めに安江の脱退に伴いCDの3曲目で客演してもらったのが、パンサーのギタリスト飯ケ浜弘子。
そして、その後ひよこの脱退で加入したのが、ギターの石原富紀江(フキエ)とキーボードの八巻恭子(KYOKO)。
フキエとの出会いは大宮の下倉楽器の紹介で、KYOKOはフキエの大学のサークルの後輩でした。
22枚組のCDの中で1バンドに9人もメンバーが載ってるのはうちらだけかなと思う、それも正味3年弱の今から思えば短い期間にメンバーチェンジを繰り返しつつも疾走した・・・と、しみじみ思います。

CDボックスの情報は下記。
https://diskunion.net/jp/ct/detail/1007770649

メンバーのその後ですが、フキエは83年から90年までゼルダに在籍。
私はオレンジチューブに数年在籍し、ナゴムレコードのEP盤のレコーディングに参加。
KYOKOはその後Z-SKIP、のちにPICADOLLのメインボーカルで活躍、KYOKOのオリジナルを中心にしたバンドで渋谷Egg man、代々木チョコレートシティなどで精力的にライブ活動を行っていて、私は90年に彼女に誘われてPICADOLLにキーボードで参加、SWITCHのオムニバス盤に2曲収録されていますが、ちなみにそのアルバムにはデビュー前のミスチルも入っています。
その後PICADOLLはベースの上野君の脱退があり、私がベース担当に。
90年代前半は長沢ヒロのライブイヴェントシリーズ「HIROISM」で、オープニングアクトを何度もつとめる。
90年代後半にPICADOLLは活動休止、私はessenceを経て布谷文夫、佐野行直のバックバンドなどサポートベーシストとしてのライブが増えましたが、運命の糸に導かれ今また古澤隆広&ザ・スモーク・サークル・オブ・フレンズでKYOKOとギター長田杉一と共に活動しています。
マゼンダのリードボーカル塩崎は現在、別名キャサリンとして新中野BENTENを拠点に60~70年代洋楽ヒット曲カバーバンド「Loose&Beat」で定期的にライブ活動中。

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