「ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡」展では、自分のやってたバンドの名前の入ったポスター類などが沢山展示されておりましたが、それにしても、当事者しか覚えてないと思うけどマゼンダの前、スーパーエレファンツはまだ良いとして、実はその前にやってたバンド名は「メカニカル・ドールズ」ですが、その前はなんとウラワ・ドールズでした(苦笑)。
「メカニカル・ドールズ」は頭脳警察の「メカニカル・ドールの悲劇」から頂いた名前で、この曲をキーを上げて塩崎のリードボーカルでバンドのテーマ曲として毎回オープニングでやっていた時代がありました。
ウラワ・ドールズはね~、別にニューヨーク・ドールズのファンがメンバーにいたわけでもないのだけど、URCのスタッフとやっていたバンドでメンバーも固定していない時期だったし、プロのバンドが多数出演する埼大むつめ祭のオールナイトコンサートと違って、前夜祭や後夜祭にはURCスタッフのバンドなどが中心にラフな感じでやっていたので、深く考えずに適当に付けたんだなぁと思う。
回顧展で機関誌が展示されていましたが、マゼンダが表紙を飾る写真もあったので、ここに別versionと共に、アップします。
これは81年、ポップティーンという雑誌の女性バンド特集の取材を受けて六本木の写真スタジオで撮ったのだけど、編集者がマゼンダ色の照明を当てて撮りたいというアイディアを提案してプロカメラマンが撮ってくれたものの、結局照明だけではその色味は出なかったので、この色については後から加工されたものです。
ちなみにURCの機関誌の表紙の方は、その号のカラーがオレンジだったので元の写真の色とは違うのでした。
もう一枚の脚丸出しの恥ずかしいショットは、78年ごろのスーパーエレファンツ時代、回顧展に塩崎のパネルがありましたが、そのステージで一緒に浦和市民会館の大ホールに出演した時のもの。
回顧展のスライドショウでも、79年の田島ヶ原でのスーパーエレファンツのショットがあり、私は短い脚を出しムチムチなタンクトップ姿で出ていたのでした~(汗)。