1995年、夏。セルビア人勢力によって占拠されたボスニア・ヘルツェゴヴィナの町、スレブレニツァ。
2万5千人もの住人たちが保護を求めて国連基地に集まっていた。国連平和維持軍で通訳として働く
アイダは交渉の中で極めて重要な情報を得ることに。セルビア人勢力の働きがエスカレートし基地
までも占拠しようとする中、アイダは逃げてきた同胞を、そしてその中にいる夫と息子たちを守るが
できるのだろうか
1995年は自分は既に32歳だった、充分に分別がある年代だが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が
こんな凄惨な「民族浄化」だったことを、この映画で初めて知った。1995年というとサリン事件や
阪神大震災で印象深い一年だったし、世界の人もウィンドウズ95の登場に歓喜していたはずだ。
その中でこのボスニアではとんでもない事が起こっていた。「民族浄化」なんて嫌な言葉なんだろう
結局それはエゴであり、浄化と銘打つ人殺しだとこの映画を見て強く思った。
この映画では直接な表現はあまりない。グロデスクでも直接的でも。でも楽しかった人々の笑顔を
映し出したり、それまで隣で暮らしていた人に銃口を向けられたり、騙されて男女分けられて
トラックに連れられ殺される。そんな日常に変わってしまう怖さ、監督の強い怒りを感じた。
もっとこの作品がたくさんの人に伝わりますように。
アイダの気持ちも眼差しも私たちだったかもしれないんだから・・・ ☆☆☆☆
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