信州諏訪発気まぐれ親父のブログ

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お玉が池

2024-05-29 10:33:44 | 南信地方

    木曽から辰野町小野に抜ける「初期中山道」を走り抜けた際(バイクです)気になったのですが

    帰宅を急いでいたので又で良いか~と・・・が、翌日チャンスが訪れました(笑)

    意外と午前中の仕事が早めに片付いたので、これはチャンスでしょ!? 多分一時間はかからないはず

 

 

                     お得意の手抜きです

 

     お玉が池迄役1000メートル高低差200メートル そこそこ標高差あるな~と歩き出す

 

       後615メートルの地点まであまり高度を上げていない…ここからが上りでした

 

    成程…途中にベンチがあるとは書いてありましたがこれですか 深緑の中一休み(しないです)

 

        なんとなく(おっ?あの先じゃない?)と思われる場所が見えてきました

 

    と言うことは…この山の中に「金龍院」はあったという事か? 、して池は?

 

           ん~~池・・・沼だよね あっ!底なし沼って書いてあったか?

 

            池?を見下ろす場所に祠が建っています  手を合わせ下ります

 

                    もう一度、池?を振り返り

     往復僅か30分程でしたが、もう一ヵ所寄りたい場所があるので(通り道ですが)寄り道します

 

         初期中山道の証 江戸より六十里の塚が建っています その反対側に・・・

 

 

    昔、山口集落(牛首峠のすぐ下の集落)の裏に長者の館があり、ここの長者にはお玉という綺麗な

    一人娘がいました。村の人々からも「お玉様」と呼ばれ、慕われていました。また、この長者の家

    では牡の大きな黒い牛を飼っていて、お玉もこの牛を可愛がっていました。

    ある日、お玉は目を患ったのですが、藤沢集落というところの金龍院というお堂の傍にある沼の水が

    目の病に効果があるということで、毎日牛に乗って通っていました。そのお堂には、若い綺麗なお坊さん

    が住んでいて、やがて二人は恋に落ち、世を儚んで心中をしてしまったのです。

    お玉の牛は一匹で帰ってきましたが、その日から田畑を荒らし回るようになってしまったため、村人達は

    牛を捕まえて首を切り、この地に埋めて塚を作り、松を一本植えて、供養しました。これが現在の牛首塚

    の場所であり、この峠もいつしか牛首峠と呼ばれるようになりました  案内看板より

     取り敢えず気になった所を早い段階で訪問できたのは幸いでした 

                       しかしこの場所は中々のディープスポットでした



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ばらりん)
2024-05-29 14:23:19
怖いお話ですね。
場所も鬱蒼として、、、
でも、池には新緑の葉が映っていて、
爽やかな空気をたくさん吸い込まれたでしょうね。
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こんばんわ! (papaたん)
2024-05-29 20:15:52
気まぐれ親父へ......凄いですね。

私は、この様な場所へは.....どうも苦手です。
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Unknown (よっちん)
2024-05-29 21:27:11
中山道はいくつかの場所を歩いたり
宿場町を訪ねたりしましたが
「初期中山道」というのは
私たちが知っている中山道とは
また違うものなのでしょうか??

応援ぽち
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Unknown (気まぐれ親父)
2024-05-29 21:58:24
ばらりん様
そうなんですよね~ が縁結び?
考え方の違いなのかな?と、かんじました
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Unknown (気まぐれ親父)
2024-05-29 22:03:12
papaたん様
話を見ると少し怖い?場所かな?と
感じますが、それほど怖い場所ではありません
苦手なかたにはちょっとですが・・
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Unknown (気まぐれ親父)
2024-05-29 22:07:36
よっちん様
そうです!大方の方が知っている中仙道とは
違いますね 初期中仙道はわずか7年間だった
道だそうです
この道を歩いている方は少ないと思います
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