木曽から辰野町小野に抜ける「初期中山道」を走り抜けた際(バイクです)気になったのですが
帰宅を急いでいたので又で良いか~と・・・が、翌日チャンスが訪れました(笑)
意外と午前中の仕事が早めに片付いたので、これはチャンスでしょ!? 多分一時間はかからないはず
お得意の手抜きです
お玉が池迄役1000メートル高低差200メートル そこそこ標高差あるな~と歩き出す
後615メートルの地点まであまり高度を上げていない…ここからが上りでした
成程…途中にベンチがあるとは書いてありましたがこれですか 深緑の中一休み(しないです)
なんとなく(おっ?あの先じゃない?)と思われる場所が見えてきました
と言うことは…この山の中に「金龍院」はあったという事か? 、して池は?
ん~~池・・・沼だよね あっ!底なし沼って書いてあったか?
池?を見下ろす場所に祠が建っています 手を合わせ下ります
もう一度、池?を振り返り
往復僅か30分程でしたが、もう一ヵ所寄りたい場所があるので(通り道ですが)寄り道します
初期中山道の証 江戸より六十里の塚が建っています その反対側に・・・
昔、山口集落(牛首峠のすぐ下の集落)の裏に長者の館があり、ここの長者にはお玉という綺麗な
一人娘がいました。村の人々からも「お玉様」と呼ばれ、慕われていました。また、この長者の家
では牡の大きな黒い牛を飼っていて、お玉もこの牛を可愛がっていました。
ある日、お玉は目を患ったのですが、藤沢集落というところの金龍院というお堂の傍にある沼の水が
目の病に効果があるということで、毎日牛に乗って通っていました。そのお堂には、若い綺麗なお坊さん
が住んでいて、やがて二人は恋に落ち、世を儚んで心中をしてしまったのです。
お玉の牛は一匹で帰ってきましたが、その日から田畑を荒らし回るようになってしまったため、村人達は
牛を捕まえて首を切り、この地に埋めて塚を作り、松を一本植えて、供養しました。これが現在の牛首塚
の場所であり、この峠もいつしか牛首峠と呼ばれるようになりました 案内看板より
取り敢えず気になった所を早い段階で訪問できたのは幸いでした
しかしこの場所は中々のディープスポットでした
場所も鬱蒼として、、、
でも、池には新緑の葉が映っていて、
爽やかな空気をたくさん吸い込まれたでしょうね。
私は、この様な場所へは.....どうも苦手です。
宿場町を訪ねたりしましたが
「初期中山道」というのは
私たちが知っている中山道とは
また違うものなのでしょうか??
応援ぽち
そうなんですよね~ が縁結び?
考え方の違いなのかな?と、かんじました
話を見ると少し怖い?場所かな?と
感じますが、それほど怖い場所ではありません
苦手なかたにはちょっとですが・・
そうです!大方の方が知っている中仙道とは
違いますね 初期中仙道はわずか7年間だった
道だそうです
この道を歩いている方は少ないと思います