今日(9月5日)は、日露戦争が終結した日。
1904(明治37)年2月8日、日本海軍が旅順のロシア艦隊を攻撃することによって始まった日露戦争 。この戦争では、日露とも諸事情から、戦争の早期終結を望んでいた。日本は、1905(明治38)年3月の奉天会戦後、武器・弾薬も底をつき、戦費も8億円と見込んでいたものが18億円以上にも達したと言われており、国民はこの戦費捻出のための非常特別税の負担に耐えなければならなかった。その上、203高地 の占領のために多くの兵が犠牲になるなどで、兵隊の損失も戦死者8万人以上、戦傷者14万人以上にもなったと言い、これ以上、経済的にも軍事的にも戦争の続行は難しい状況にあった。この203高地攻略の指揮をとった乃木希典 は、国民に愛されている人の良い忠臣ではあったようであるが、軍師としては、凡才であったようだ。
一方ロシアも、独裁政治に対する民衆の反乱が相次いでいたし、食料事情などの問題から兵士の士気も落ちていたので、戦争継続は難しい状況であった。しかし、取り敢えずは、日本が勝利し、1905(明治38)年 9月5日アメリカ・ポーツマスで「日露講和条約(ポーツマス条約 )」に調印。日露戦争が終結した。
しかし、この条約では、占領下の樺太 の北半分をロシアに返還することとなり、賠償金の要求も放棄することを余儀なくされた。この条約の結果には、日露戦争を大勝利と伝える報道を信じていた国民は納得がゆかない。激怒した大勢の民衆が暴徒化し、警察署や新聞社などを襲う日比谷公会堂焼き討事件を起こすことになったのもこの日である。
そういえば、今年(2005年)は、日露戦争の終結、比谷焼き討ち事件のあった年から丁度100目の年にあたる。
私達も日露戦争は、日本の大勝利であったように、教えられてきた。しかし、よく考えてみると、日本は、ロシアと戦ったとは云うものの、ロシア領内で戦ったわけではなく、清という国で戦争を始めた訳で、ロシアにしてみれば、自分の領土を一歩足りとも損なったわけではなかった。遼東半島を日本が取ったとはいえ、それは、もともと清の領土だった訳であり、ロシアにとってはそれほど痛くも痒くもなかった訳である。日本が朝鮮を保護国化するといったところで、ロシアにとってみれば、自国の権益が少し減るだけのことで、主権が侵されたわけでもなかったのだ。日露戦争の後のポーツマス条約で、日本側の言い分としては、奉天会戦・日本海海戦で勝っているのだから、樺太はおろか、賠償金まで取りたかったことでろう。しかし、ロシア側では、先にも述べたように、あくまでも、一部局地戦での敗戦をしただけであり、負けたとは思っていない。弾薬も資金も使い果たした感のある日本は、何としても戦争を終結させて講和を結びたいが、ロシアの方では、「不利な条件で講和を結ぶくらいなら、戦争継続もやむなし」の強硬論。 結局、大幅な譲歩を強いられ、南樺太の割譲と南満州鉄道の利権で手を打って、講和を成立させた。戦時は、増税につぐ増税、塩専売制の新設、煙草専売制の強化、献金ないし公債の強制わりあてなどの負担はたえがたく、そのうえ物価が騰貴し、国民の生活苦を倍加させていた。しかし、大国ロシアに対して連戦連勝し、遼東半島を占拠、奉天の会戦にも勝利。日本の軍隊の強さのみを報道されてきた民衆にとって、政府に対する不満が爆発しても仕方がないだろう。戦争に勝って、講和に負けたとも言える。 大国ロシアに勝利したことを、現実には辛勝であったことを政府はひたかくしにしたため、国民の間に「神国日本」といった歴史観などが増長され、ロシアにも勝てたのだからアメリカにも勝てるといった増上慢な考え方が生まれるにいたり、アジアの利権に関心のあったアメリカの警戒心を呼び起こし、日英同盟の解消や軍縮の要求などにつながり、黄禍論 (こうかろん)の高まりなどとともに後の太平洋戦争の遠因にもなったといわれている。しかし、このような国の誤った歴史観の増長に対して、批判をすべき新聞などのメディアが、当時、競って、日本軍の活躍を号外などで報じるなど、むしろ煽ってきた感があるのは反省すべきことである。
私の別館HP「Yousan'sCollectinRoom」に「日露戦と観艦式」が有る。参考に、見てくれると嬉しいね。ここです。
(画像はコレクションの絵葉書「明治神宮外苑聖徳紀年絵画館壁画」左:日露戦役旅順開城、中央乃木希典。右:日露役日本海海戦)
参考:
日露戦争(にちろせんそう)
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N362L200.HTM
連合艦隊の駆逐艦隊、旅順口のロシア艦隊を夜襲攻撃 / クリック 20世紀
http://www.c20.jp/1904/02yasyu.html
明治DB(号外を報道の主役に仕立てた日清・日露戦争)
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji34m.htm
日比谷焼き討ち事件/日露戦争は 何をもたらしたのか?
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj020110.html
ユダヤ資本の金融力で戦った日露戦争
http://www.yorozubp.com/9811/981115.htm
1904(明治37)年2月8日、日本海軍が旅順のロシア艦隊を攻撃することによって始まった日露戦争 。この戦争では、日露とも諸事情から、戦争の早期終結を望んでいた。日本は、1905(明治38)年3月の奉天会戦後、武器・弾薬も底をつき、戦費も8億円と見込んでいたものが18億円以上にも達したと言われており、国民はこの戦費捻出のための非常特別税の負担に耐えなければならなかった。その上、203高地 の占領のために多くの兵が犠牲になるなどで、兵隊の損失も戦死者8万人以上、戦傷者14万人以上にもなったと言い、これ以上、経済的にも軍事的にも戦争の続行は難しい状況にあった。この203高地攻略の指揮をとった乃木希典 は、国民に愛されている人の良い忠臣ではあったようであるが、軍師としては、凡才であったようだ。
一方ロシアも、独裁政治に対する民衆の反乱が相次いでいたし、食料事情などの問題から兵士の士気も落ちていたので、戦争継続は難しい状況であった。しかし、取り敢えずは、日本が勝利し、1905(明治38)年 9月5日アメリカ・ポーツマスで「日露講和条約(ポーツマス条約 )」に調印。日露戦争が終結した。
しかし、この条約では、占領下の樺太 の北半分をロシアに返還することとなり、賠償金の要求も放棄することを余儀なくされた。この条約の結果には、日露戦争を大勝利と伝える報道を信じていた国民は納得がゆかない。激怒した大勢の民衆が暴徒化し、警察署や新聞社などを襲う日比谷公会堂焼き討事件を起こすことになったのもこの日である。
そういえば、今年(2005年)は、日露戦争の終結、比谷焼き討ち事件のあった年から丁度100目の年にあたる。
私達も日露戦争は、日本の大勝利であったように、教えられてきた。しかし、よく考えてみると、日本は、ロシアと戦ったとは云うものの、ロシア領内で戦ったわけではなく、清という国で戦争を始めた訳で、ロシアにしてみれば、自分の領土を一歩足りとも損なったわけではなかった。遼東半島を日本が取ったとはいえ、それは、もともと清の領土だった訳であり、ロシアにとってはそれほど痛くも痒くもなかった訳である。日本が朝鮮を保護国化するといったところで、ロシアにとってみれば、自国の権益が少し減るだけのことで、主権が侵されたわけでもなかったのだ。日露戦争の後のポーツマス条約で、日本側の言い分としては、奉天会戦・日本海海戦で勝っているのだから、樺太はおろか、賠償金まで取りたかったことでろう。しかし、ロシア側では、先にも述べたように、あくまでも、一部局地戦での敗戦をしただけであり、負けたとは思っていない。弾薬も資金も使い果たした感のある日本は、何としても戦争を終結させて講和を結びたいが、ロシアの方では、「不利な条件で講和を結ぶくらいなら、戦争継続もやむなし」の強硬論。 結局、大幅な譲歩を強いられ、南樺太の割譲と南満州鉄道の利権で手を打って、講和を成立させた。戦時は、増税につぐ増税、塩専売制の新設、煙草専売制の強化、献金ないし公債の強制わりあてなどの負担はたえがたく、そのうえ物価が騰貴し、国民の生活苦を倍加させていた。しかし、大国ロシアに対して連戦連勝し、遼東半島を占拠、奉天の会戦にも勝利。日本の軍隊の強さのみを報道されてきた民衆にとって、政府に対する不満が爆発しても仕方がないだろう。戦争に勝って、講和に負けたとも言える。 大国ロシアに勝利したことを、現実には辛勝であったことを政府はひたかくしにしたため、国民の間に「神国日本」といった歴史観などが増長され、ロシアにも勝てたのだからアメリカにも勝てるといった増上慢な考え方が生まれるにいたり、アジアの利権に関心のあったアメリカの警戒心を呼び起こし、日英同盟の解消や軍縮の要求などにつながり、黄禍論 (こうかろん)の高まりなどとともに後の太平洋戦争の遠因にもなったといわれている。しかし、このような国の誤った歴史観の増長に対して、批判をすべき新聞などのメディアが、当時、競って、日本軍の活躍を号外などで報じるなど、むしろ煽ってきた感があるのは反省すべきことである。
私の別館HP「Yousan'sCollectinRoom」に「日露戦と観艦式」が有る。参考に、見てくれると嬉しいね。ここです。
(画像はコレクションの絵葉書「明治神宮外苑聖徳紀年絵画館壁画」左:日露戦役旅順開城、中央乃木希典。右:日露役日本海海戦)
参考:
日露戦争(にちろせんそう)
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N362L200.HTM
連合艦隊の駆逐艦隊、旅順口のロシア艦隊を夜襲攻撃 / クリック 20世紀
http://www.c20.jp/1904/02yasyu.html
明治DB(号外を報道の主役に仕立てた日清・日露戦争)
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji34m.htm
日比谷焼き討ち事件/日露戦争は 何をもたらしたのか?
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj020110.html
ユダヤ資本の金融力で戦った日露戦争
http://www.yorozubp.com/9811/981115.htm