1954(昭和29)年の今日(9月14日)は、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」が封切られた日である。この映画は今からちょうど、50年ほど前に公開された白黒映画である。原作は元教師で作家の壺井 栄の、同名の小説を映画化したもの。貧乏の苦しみ、戦争が人々にもたらす悲惨さを気負いなく描き出した「二十四の瞳」は、木下監督1954(昭和29)年の傑作反戦映画だ。この映画は、1928(昭和3)年、四国・小豆島の岬の分教場が舞台で、女教師と12人の小学生を主人公にした高峰秀子主演のもので、文部省認定の作品だった。戦前から戦後にかけての女性教師と12人の教え子の心のふれあいを描き、貧しい暮しや戦争の悲惨さが描かれている。私も見て、凄く感動した映画であり、この映画を再度見ることによって、今の時代の日本人がなくしたものを取り戻せるのではないかと思える映画だ。
ストーリーは、若き大石先生(高嶺秀子)が因習にとらわれない颯爽とした女性教師として赴任した。そして、素朴な幼い小学生たちと心を通わせていく。嵐が去った浜辺で落とし穴に落ち、アキレス腱を切って自宅で療養する大石先生。自分たちの作った落とし穴で怪我をした先生を見舞うため子供たちは親には内緒で、先生の家がある一本松まで会いに行く。泣きべそをかきながら歩く一年生たち。「先生の顔みにきたん。遠かったあ」。笑っている先生の頬を、とめどなく涙が伝わっていた。物語前半のこの詩情ゆたかな名場面は映画を見た誰もが忘れられないシーンである。
その後、場面も暗転する。日本は戦争の時代に向かい、貧しさゆえに女の子は奉公に、徴兵によって男の子たちは兵隊にとられる。このような現実の中で、大石先生は必死に子供たちに寄り添うが、先生もまた、夫の戦死、娘の死と荒っぽい時代の波に翻ろうされながら教師を辞す。
ラストシーンでは、降りしきる雨の中、自転車で颯爽と学校にむかう大石先生の姿は、20年間の様々な出来事をすべてのみこんだうえで、それでも生きることを肯定する。そして、最後のカットではちゃんと雨が上がっている・・・心憎い演出である。
数ある映画の中でも、これほど素直に、当時の「日本」を体現させてくれる作品は少ないだろう。この映画を見た人は、日本情緒に酔いしれ、貧しく、苦しい時代ではあったが、そんな時代を是非生きてみたかったという気持ちを生じさせるのではないだろうか。
正に、木下恵介監督の真骨頂。この人の作品は、「いつでも、どこにでもありそうな人生」を丹念に描いてくれて好感が持てた。
本当の名作と言えるものは、けっして時代の流れに色あせない。戦前戦後の時代を経験したことのない人達には、現実感のギャップはあるだろうが、そんなに古くもない時代。日本人には、まだ、このような情緒性があったことを思い起こしてもらいたいものである。
去年の今頃、朝日新聞に、島崎栄一(しまざき えいいち)氏の作と言うこんな「うた」が、紹介されていた。
「面白きことのすくなき戦の日 われに話してうれしそうなり」
私はこの人のことをよく知らないが、昭和10年生まれだという作者は敗戦の年は10歳。食料の極度の乏しさなど「面白きことのすくなき」時代だったことを、体験的に知っていた世代で、そう言う時代でも、いろいろろ思い出し、嬉しそうに話す人がいて、作者の相手はそう言う人だったのだろう。まるで、その話をしていた人物が自分とダブってきたりして・・・。
日本人の心に染み入る数々の名作を生んだ映画監督、文化功労者の木下恵介(きのした・けいすけ)氏は1998(平成10)年12月30日脳梗塞(こうそく)のため東京都港区の自宅で死去した。(86歳)。
この「二十四の瞳」のリメイク版は、高峰秀子の先生役を田中裕子が演じ、1987年夏公開された。(松竹映画)。映画のチラシには、「忘れもの、見つけた」とある・・・この映画で、貴方の失った大事なものが、見つかるかると良いが・・・。
(画像は、マイいコレクションよりリメイク版「二十四の瞳」の映画チラシ。1987年夏公開の松竹映画。)
参考:
木下恵介記念館
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/keisuke/
二十四の瞳映画村
http://www.24hitomi.or.jp/top.html
壺井栄『二十四の瞳』
http://park18.wakwak.com/~seppo/0401kyokasyo/9807.htm
ストーリーは、若き大石先生(高嶺秀子)が因習にとらわれない颯爽とした女性教師として赴任した。そして、素朴な幼い小学生たちと心を通わせていく。嵐が去った浜辺で落とし穴に落ち、アキレス腱を切って自宅で療養する大石先生。自分たちの作った落とし穴で怪我をした先生を見舞うため子供たちは親には内緒で、先生の家がある一本松まで会いに行く。泣きべそをかきながら歩く一年生たち。「先生の顔みにきたん。遠かったあ」。笑っている先生の頬を、とめどなく涙が伝わっていた。物語前半のこの詩情ゆたかな名場面は映画を見た誰もが忘れられないシーンである。
その後、場面も暗転する。日本は戦争の時代に向かい、貧しさゆえに女の子は奉公に、徴兵によって男の子たちは兵隊にとられる。このような現実の中で、大石先生は必死に子供たちに寄り添うが、先生もまた、夫の戦死、娘の死と荒っぽい時代の波に翻ろうされながら教師を辞す。
ラストシーンでは、降りしきる雨の中、自転車で颯爽と学校にむかう大石先生の姿は、20年間の様々な出来事をすべてのみこんだうえで、それでも生きることを肯定する。そして、最後のカットではちゃんと雨が上がっている・・・心憎い演出である。
数ある映画の中でも、これほど素直に、当時の「日本」を体現させてくれる作品は少ないだろう。この映画を見た人は、日本情緒に酔いしれ、貧しく、苦しい時代ではあったが、そんな時代を是非生きてみたかったという気持ちを生じさせるのではないだろうか。
正に、木下恵介監督の真骨頂。この人の作品は、「いつでも、どこにでもありそうな人生」を丹念に描いてくれて好感が持てた。
本当の名作と言えるものは、けっして時代の流れに色あせない。戦前戦後の時代を経験したことのない人達には、現実感のギャップはあるだろうが、そんなに古くもない時代。日本人には、まだ、このような情緒性があったことを思い起こしてもらいたいものである。
去年の今頃、朝日新聞に、島崎栄一(しまざき えいいち)氏の作と言うこんな「うた」が、紹介されていた。
「面白きことのすくなき戦の日 われに話してうれしそうなり」
私はこの人のことをよく知らないが、昭和10年生まれだという作者は敗戦の年は10歳。食料の極度の乏しさなど「面白きことのすくなき」時代だったことを、体験的に知っていた世代で、そう言う時代でも、いろいろろ思い出し、嬉しそうに話す人がいて、作者の相手はそう言う人だったのだろう。まるで、その話をしていた人物が自分とダブってきたりして・・・。
日本人の心に染み入る数々の名作を生んだ映画監督、文化功労者の木下恵介(きのした・けいすけ)氏は1998(平成10)年12月30日脳梗塞(こうそく)のため東京都港区の自宅で死去した。(86歳)。
この「二十四の瞳」のリメイク版は、高峰秀子の先生役を田中裕子が演じ、1987年夏公開された。(松竹映画)。映画のチラシには、「忘れもの、見つけた」とある・・・この映画で、貴方の失った大事なものが、見つかるかると良いが・・・。
(画像は、マイいコレクションよりリメイク版「二十四の瞳」の映画チラシ。1987年夏公開の松竹映画。)
参考:
木下恵介記念館
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/keisuke/
二十四の瞳映画村
http://www.24hitomi.or.jp/top.html
壺井栄『二十四の瞳』
http://park18.wakwak.com/~seppo/0401kyokasyo/9807.htm