今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

カラーテレビ放送記念日

2005-09-10 | 記念日
今日(9月10日)は、「カラーテレビ放送記念日」
1960(昭和35)年のこの日、NHK・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現在のTBS)・読売テレビ・朝日放送の5局がカラーテレビの本放送を開始した 。この年は、第一次池田内閣が成立し、「所得倍増計画」が発表された年である。そう云えばこの頃「だっこちゃん」が大ブームで発売日には、デパートに大行列が出来たのを覚えているよ。町中では、若い女の子が腕にだっこちゃんをして、得意になって歩いていたね。そして、音楽の世界では、「潮来笠」「誰よりも君を愛す」「有難や節」「アカシヤの雨がやむとき」などが大流行していたのではなかったのかな・・・。私も、この頃は、青春時代、松尾和子の「誰よりも君を愛す」や、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は、よく歌っていたものだ。
1950年代中頃からは、神武景気といわれた高度経済成長の始まりとともに、家電が高級品から生活必需品に移行し始めた時代であり、多くの種類の家電製品も登場した。1953年からはラジオの放送から、白黒テレビの映像放送がされるようになり、「電気洗濯機」「電気冷蔵庫」「テレビ」の3商品が三種の神器と呼ばれるようになった。その後、1960年に、東京オリンピック開催にあわせてカラー放送が開始されたが、放送開始当初はごく一部の番組がカラーで、カラー番組は、NHKで1日1時間。白黒番組が主流で、カラー番組の時には画面の隅にわざわざ「カラー」と表示をしていた。因みに、この年発売された松下電気の17インチカラーテレビ第1号(K17ー30)の価格はなんと370,000円だったそうである。当時のサラリーマンの初任給が1万4~5千程度の時代だから、とっても、庶民が手を出せる代物ではなかった。
この頃になると、やせても鯛とテレビに出ることを拒んでいた映画スターも経営不振の新東宝などの俳優がぼちぼちとテレビに出始めた。1960(昭和35)年は、チャンバラ映画・東映の山城新伍が、前年(1959年=昭和34年)にテレビ向けに製作した「風小僧」のヒッで名前が知られるようになり、「白馬童子」で全国的な人気スターになった年でもある。この頃の山城新伍は格好良かったよな~。
NHKの大人気番組の紅白歌合戦も第15回1964年(昭和39年)の放送からは、カラー放送となるが、この頃のテレビは、真空管テレビが主流で、画像が出るのに数分かかった。 1968(昭和43)年にはGNPが世界第二位となり、1971(昭和46 )年にNHK総合のカラー化が完了し、他の放送局も1975(昭和50)年頃までに完全にカラー化された。経済成長の波に乗って、サラリーマンの所得も年々伸び、家電製品も必要最低限のものから、趣味や嗜好で選ぶ時代に移り、三種の神器も3Cといわれた「カラーテレビ」「クーラー」「カー(車)」へと進化している。その後も、経済発展は続き、一時は、ジャパンワズナンバーワンとまで云われた時代もあったがが、ここ10年ほど前には、バブルもはじけて、日本の経済力はかなり低下した。しかし、それでも電化製品の進歩は著しく、テレビも、今までのただ一方的に送られて来た情報を、ただ見るだけのものから、自分からも情報を発信する双方向型のテレビへと移行しようとしている。将来はどんなテレビになっているのだろうね~。
(画像はマイコレクションの「だっこちゃん」)
参考:
所得倍増計画 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E5%BE%97%E5%80%8D%E5%A2%97%E8%A8%88%E7%94%BB
あの日あの時 昭和35年
http://www.jrt.co.jp/radio/natsumero/anohi/anohi19-S35.htm
テレビ・むかし/第8回 1960年(昭和35年)
http://www.maboroshi-ch.com/ata/atv_36.htm
テレビは進化する(ハイビジョン)
http://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/p16/