今日(9月12日)は、「マラソンの日」。
紀元前490年、第二ペルシャ戦争(マラトン戦争)でペルシャの大軍がアテネの攻略を目指して、マラトンに上陸したのを、アテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、健脚の誉れ高かったフェイディピデスという兵士が選ばれ、伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われる日。1896(明治30)年アテネで第1回オリンピックが開かれるに当り、この故事を偲んで、マラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、初めてのマラソン競走が行われた。このときのマラソンの距離は現在の42.195kmではなく、約40kmであったそうだ。
この第1回大会では13カ国295人の選手が参加したが全員が男性であった。これは古代オリンピックが女人禁制であったので、第1回大会もそれに従った形となった為である。女性がオリンピックに登場するのは1900(明治33)年の第2回パリ大会からである。
第1回大会から108年、昨2004(平成16)年、第28回大会が再びアテネの土を踏み、オリンピックは生まれ故郷に里帰りすることになった。この第28回アテネ大会では、201の国と地域、15,000人余りが参加し盛大に行われた。
当大会では日本人選手が近来まれに見る大活躍をし、特に女子選手の活躍が著しかった。そして、何よりも、オリンピックの申し子とも言える「マラソン」では、女子マラソンで、野口みずき選手が、前回のアトランタ大会で優勝した高橋選手に続いて連続優勝し、金メダルを獲得、出場した他の土佐、坂本の2選手も入賞を果たすという快挙を成し遂げた。又、強豪揃いで、不振の続いていた男子マラソンでも、油谷、諏訪の2選手が3大会ぶりの入賞(5位6位)を果たしたのは喜ばしいかぎりである。
日本のオリンピック初参加は、1912年(明治45年)の第5回ストックホルム大会からである。オリンピックのハイライトである男子マラソンでは、円谷 幸吉選手が地元、東京大会(1964)において、ベルリン大会(1936年、孫 基禎 、金メダル)以来28年ぶりで、陸上に日の丸(銅メダル)をあげて、大喝采を受けた。この大会では、あのハダシのランナーで有名なエチオピアのアベベ選手が、白い靴を履き、ローマをはるかに上回る(3分以上)世界最高記録をだして、超人的な走りを見せ、完全優勝したのを思い出すよ。
因みに、日本国内の最初のマラソン競技で、「マラソン」という呼称が使われたのは、1909年(明治42年)神戸の生田神社周辺で開催された競技が始めてらしいことを付け加えておこう。(一寸地元自慢を・・・(^_-)-☆)
(画像は、アサヒグラフ増刊「東京オリンピック」より、ベルリンオリンピック以来28年ぶりで、陸上に日の丸をあげた円谷選手)
参考:
日本オリンピック委員会
http://www.joc.or.jp/
JOC - オリンピック
http://www.joc.or.jp/index_olympic.html
松下オリンピックギャラリー (日本語ページ)
http://panasonic.co.jp/olympic/jp/index.html
紀元前490年、第二ペルシャ戦争(マラトン戦争)でペルシャの大軍がアテネの攻略を目指して、マラトンに上陸したのを、アテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、健脚の誉れ高かったフェイディピデスという兵士が選ばれ、伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われる日。1896(明治30)年アテネで第1回オリンピックが開かれるに当り、この故事を偲んで、マラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、初めてのマラソン競走が行われた。このときのマラソンの距離は現在の42.195kmではなく、約40kmであったそうだ。
この第1回大会では13カ国295人の選手が参加したが全員が男性であった。これは古代オリンピックが女人禁制であったので、第1回大会もそれに従った形となった為である。女性がオリンピックに登場するのは1900(明治33)年の第2回パリ大会からである。
第1回大会から108年、昨2004(平成16)年、第28回大会が再びアテネの土を踏み、オリンピックは生まれ故郷に里帰りすることになった。この第28回アテネ大会では、201の国と地域、15,000人余りが参加し盛大に行われた。
当大会では日本人選手が近来まれに見る大活躍をし、特に女子選手の活躍が著しかった。そして、何よりも、オリンピックの申し子とも言える「マラソン」では、女子マラソンで、野口みずき選手が、前回のアトランタ大会で優勝した高橋選手に続いて連続優勝し、金メダルを獲得、出場した他の土佐、坂本の2選手も入賞を果たすという快挙を成し遂げた。又、強豪揃いで、不振の続いていた男子マラソンでも、油谷、諏訪の2選手が3大会ぶりの入賞(5位6位)を果たしたのは喜ばしいかぎりである。
日本のオリンピック初参加は、1912年(明治45年)の第5回ストックホルム大会からである。オリンピックのハイライトである男子マラソンでは、円谷 幸吉選手が地元、東京大会(1964)において、ベルリン大会(1936年、孫 基禎 、金メダル)以来28年ぶりで、陸上に日の丸(銅メダル)をあげて、大喝采を受けた。この大会では、あのハダシのランナーで有名なエチオピアのアベベ選手が、白い靴を履き、ローマをはるかに上回る(3分以上)世界最高記録をだして、超人的な走りを見せ、完全優勝したのを思い出すよ。
因みに、日本国内の最初のマラソン競技で、「マラソン」という呼称が使われたのは、1909年(明治42年)神戸の生田神社周辺で開催された競技が始めてらしいことを付け加えておこう。(一寸地元自慢を・・・(^_-)-☆)
(画像は、アサヒグラフ増刊「東京オリンピック」より、ベルリンオリンピック以来28年ぶりで、陸上に日の丸をあげた円谷選手)
参考:
日本オリンピック委員会
http://www.joc.or.jp/
JOC - オリンピック
http://www.joc.or.jp/index_olympic.html
松下オリンピックギャラリー (日本語ページ)
http://panasonic.co.jp/olympic/jp/index.html