山本洋三「たにしのなげき」(全文)
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全文は以下の通りです。
たにしのなげき
カナダモのおいしげる
水そうの中
たにしには毎日お散歩です
──やあごきげんよう
──あらどちらへ
──うんちょっとそこまで
毎日毎日おんなじ景色
たんぼのどじょうがなつかしい
たにしは時々
立ちどまり
ホッとため息つくのです
すると
小さな泡がプクリと生まれ
天井でパチンと消えてしまいます
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ぼくが高校3年生のときに書いた詩です。
いやはや、何という幼稚さでしょうか。
ぼくの周囲では、松原秀行君(「パスワードシリーズ」で今や児童文学の泰斗)などが
才能あふれる詩を書いて、同人誌に発表していたのですから
こんな詩を書いているぼくなんぞは、もう、身の置き所のない思いでした。
でも、ノートの片隅にこんな詩を書いては、いつか松原みたいな詩を書ける日が来るかもしれない
なんて思っていたのかもしれません。(永遠に来ませんでしたが)
まあ、そんなわけで
ずっと、こんな幼稚な詩には、コンプレックスしか感じてこなかったわけですが
近ごろ、こうやって、「書」とするための「素材」にしつつ
改めて読むと、この詩などは、案外「いけてる」って思ったりもするわけです。
受験勉強の真っただ中にあった当時
勉強部屋に置いてあった水槽を見ながら書いたのですが
「水槽」に閉じ込められた「たにし」は
まさにぼく自身であったわけですし、
「たにしのなげき」は、もちろん、やり場のない当時のぼくの「なげき」でもあったわけです。
で、今のぼくも、結局、状況としてはあまり変わっていないんじゃないか、
そんなふうに思えるのです。
「時間」という「水槽」の中で
「毎日毎日おんなじ景色」を眺めている。
「なげき」は「泡」となって、水面にのぼっていくけれど
「天井」で、虚しく消えていってしまう。
「たんぼのどじょう」は、今ごろなにをしているのでしょうか。
って、そもそも「たんぼのどじょう」は誰なんだろう?