日本近代文学の森へ (32) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(3)放浪』その1
2018.8.2
泡鳴五部作の三作目『放浪』は、こんなふうに始まる。
樺太で自分の力に餘る不慣れな事業をして、その着手前に友人どもから危ぶまれた通り、まんまと失敗し、殆ど文なしの身になつて、逃げるが如くこそ/\と北海道まで歸つて來た田村義雄だ。
前作『毒薬を飲む女』の末尾が、義雄が、樺太へ行くために上野駅から汽車に乗り、発車の汽笛が鳴る場面だったので、この『放浪』では、まずは樺太での事業とその失敗のいきさつが細かく描かれるのだと思っていたら、これである。最近の『半分、青い』みたいな、すっ飛ばしで、びっくりする。
このあと、カットバックで、樺太でのことが描かれるのかもしれないが、どうなのだろう。
岩野泡鳴の小説を読み始めたころの短篇に『熊か人か』というのがあって、これは樺太を舞台にして蟹を捕って生活する夫婦の話で、結末が妻が熊に喰われてしまうという凄惨な話だったが、これは完全なフィクションだった。それでも、樺太の寒さとか、大地とか、海とかの様子の描写がなかなか魅力的で、この『放浪』にも、そうしたものを期待していたのだが、冒頭から肩すかしをくらった感じだ。
で、話はそのあと、こんなふうに展開する。
小樽直行の汽船へマオカから乘り込んだ時、義雄の知つてゐる料理屋の主人やおかみや、藝者も多く、艀(はしけ)で本船まで同乘してやつて來たのは來たが、それは大抵自分を見送つて呉れるのが主ではなく、二三名の鰊漁者、建網番屋(たてあみばんや)の親かたを、「また來年もよろしく」といふ意味でなつけて置く爲めだ。
渠(かれ)とても、行つた初めは、料理店や藝者連にさう持てなかつたわけでもない。然し失敗の跡が見えて來るに從ひ、段々融通が利かなくなつて來たので、自分で自分の飛揚すべき羽がひを縮めてしまつたのである。よしんばまた、縮めてゐないにしたところで、政廳の方針までが鰊を人間以上に大事がり、人間はただそれを捕獲する機械に過ぎないかの樣に見爲(みな)してゐる樺太のことだから、番屋の親かた等がそこでの大名風を吹かせる勢ひには、とても對抗出來る筈のものではない。
渠等が得意げに一等室や二等室へ這入つて行くのを見せつけられて、自分ばかりが三等船客でなければならなくなつた失敗は、如何に平氣でゐようとしても、思ひ出せば殘念でたまらなかつた。
一等船室には、實際、三名の番屋が三ヶ所に陣取つてゐた。いづれも、それが自己の持つてゐる漁場から、マオカへ引きあげて來た時、例年の通り、負けず劣らずの豪遊を試みてゐたので、その時義雄も渠等と知り合ひになつた仲だ。北海道相撲の一行が來て三日間興行をした時なども、渠は渠等と組んで棧敷を買ひ切り、三日を通して大袈裟な見物に出かけ、夜は夜で、また相撲を料理屋に招いて徹宵の飮(いん)をやつた。
その親かた等の一人は義雄の事業に來年から協同的補助を與へてもいいといふ申し出をしてゐた。義雄もそれが若し成り立てば、今年の事はたとへ損失が多くても、辛抱さへしてゐればいいからといふ考へである。その相談はどうせ小樽に着してからでなければ孰(いづ)れとも定められない事情であつた。が、渠がふと三等室を出て、その人の室へ行つて見ると、その人は赤黒い戸張りの奧に腰かけて、そばに一人の女をひかへさしてゐる。
「これは失敬」と云つて、義雄が出ようとすると、
「いいのだよ、君も知つてるだらう」と引きとめ、その手で女の頸を押し出す。
見ると、お仙と云つた藝者だ。つき出された顏が笑つてゐる。義雄は、出發の前夜も、その人に連れられて酒店へ行き、この女を招いて飮んだのだ。その夜ふたりは關係したか、どうかは知らないが、以前は確かに關係があつたらしい。よく聽いて見ると、かの女は丁度いいしほに乘つて、見送りにかこつけ、マオカを脱走し、旅費だけをこの番屋に出させたのだ。
ここに出てくる「マオカ」というのは、樺太が日本の領有下であったころに存在した「真岡町(まおかちょう)」のこと。(どうでもいいことだが、ぼくは、最初「マカオ」と読んでしまい、どうして樺太から北海道へ帰るのに「マカオ経由」なのかと混乱してしまった。毎度のことながらお恥ずかしいことだ。ぼくはいつもこんなトンチンカンな読み間違えをして混乱している。何度も書いてきたことだが、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』を、何十年も『なめこと山の熊』と読み間違え、中味を読まずに、ずっと、「ナメコの好きな(あるいは嫌いな)熊」のお話しだと思いこんでいた。)
北海道がニシン漁で賑わっていたころの風俗がよく伝わってくる。金のあるところの女あり、ってことか。ありあまる金の使い道って、実はそんなに多くないのかもしれないなあ、なんて、ぼくには縁のないことを考える。
「飛揚すべき羽がひを縮めてしまつた。」というのも、耳馴れないが、「羽交い締め」の元だろうか。いや「締める」じゃなくて「縮める」だから、違う言葉だろう。「羽交い」というのは、「鳥の左右の翼が重なる所。鳥の羽根。」のことだから、「羽がひを縮める」は「羽根を小さく縮めてしまう」ということだろう。つまりは、「自由を奪われてしまう」の意。
「政廳の方針までが鰊を人間以上に大事がり、人間はただそれを捕獲する機械に過ぎないかの樣に見爲(みな)してゐる樺太」とあるが、こうした社会の構造は、結局今も変わりはしないということだ。「生産性のないヤツに税金は出すな。」みたいな言説は、こんなに深いルーツをもっているわけだ。泡鳴は、そうした社会のあり方に、いつも違和感をもち、いつも戦っていたのだろう。表面上は、自分が金持ちになれないことへのウラミツラミに見えるが、根底にはそういうものがあったはずだ。泡鳴の小説には、ところどころに、文明批判が織り込まれていて、見逃せない。
「相撲」というものが、単なるスポーツではないことがこうした記述からもよく分かる。こうした背景を知らないで、近代スポーツとごちゃ混ぜにするから、いろいろ面白くない事態となるわけだが、だからといって、今の相撲が、この時代に戻っていいわけでもないわけだが。
ことほどさように、ここだけを読んでも、当時の樺太の状況、北海道のニシン漁の繁栄、番屋の親方の豪放ぶり、したたかな芸者、興行としての相撲、などなど、いろいろなことが細かく分かって、興味が尽きない。リアリズム小説の恩恵である。
この小説の当時の評判を吉田精一が『自然主義の研究』で紹介している。
これだけを独立の長編として見れば、出て来る人物に対する適切な予備知識や、具体的印象を与へる環境の設定に欠けるところがあって、「小説とあるが、岩野君の放浪日記にすぎない」(「北海タイムズ」)といふ評の出るのも止むを得なかったかも知れぬ。しかしラフで、荒削りな筆致は力強い。却ってそのやうなバサバサした表現によって、新開の植民地的な北海道の特殊な空気や、若々しい気分が生々しく出ているのは、諸家の一致してみとめるところであった。(上司小剣「読売新聞」八月二一日、相馬御風「早稲田文学」)
こうした「情報」を丹念に収集して、きちんと書いておいてくれるというのは、ほんとうにありがたい。言葉を残す、ということは、大事なことだ。学者の本領のひとつはそこにあるのだろう。