先頃の「暮らすめいと」第40号即ち2月号に、“年々歳々”の表題のもとに、総願寺節分会が載っていた。一目であれっ!何処かで見た状景だな!と瞬間記憶が甦った次第である。中味の文章を良く見ると、矢張り、郷里不動岡のお不動様であった。今日は節分会で、さぞかし大変な人出で賑わうであろう。東武電車は浅草から在京の信心深い講人を沢山乗せて、臨時電車を増発し、多くの人を運び、追儺式と参詣とを併せ、周辺町村人をも巻き込んで、不動尊の年中最大行事、この豆撒きに繰り出したものなである。これがあの有名な「鬼追い豆撒き式」と言われ、370年の伝統を誇る春季の恒例行事として名高い。小学生時代の吾々子ども達は、幼き日の思い出のうち、この節分追儺式を多くの人達と共に、特にこの豆撒きを待ち焦がれ期待していた。見ものは赤鬼が大きな松明を抱え回廊を走り、その後を青鬼、黒鬼が剣を振り回して続く。松明の炎が燃え上がり、火の粉を飛ばして迫力満点な風景である。楽しみと喜びが発散し、分かち合ったものである。ただ翌週には決まって、小学校では、各学年夫々共に、節分のにまつわる作文を書かされたものである。これが祭りの後の苦労の種であった。
さて、この不動尊は境内として総願時を擁しており、その数多い伽藍は、不動様本堂、山門、本堂続きの僧坊、鐘楼、庫裏、お籠り堂、講堂などが広く大きい建物が現存している。その裏手にはこれまた広大な公園が配置され、広い池と築山が広がり、さながら豊かな自然の宝庫であった。四季折々の樹木も有って、梅、桜、躑躅、松、竹、藤、椎、ネズミ黐、樫、紅葉など、更に蝉・トンボなど、また魚も居て、季節には百花繚乱の賑わいであった。当然不動尊参拝の後に、公園を遊歩し草木を愛で、昭和初期まで、花々を楽しんだに違いない。私もこよなくこの不動岡公園を愛し、よくここで遊んだものである。ここで育ったと言っても過言ではない。午後3時と8時の追儺式に行ってみたい。残念ながら車が無いので行けないのである。
さて、この不動尊は境内として総願時を擁しており、その数多い伽藍は、不動様本堂、山門、本堂続きの僧坊、鐘楼、庫裏、お籠り堂、講堂などが広く大きい建物が現存している。その裏手にはこれまた広大な公園が配置され、広い池と築山が広がり、さながら豊かな自然の宝庫であった。四季折々の樹木も有って、梅、桜、躑躅、松、竹、藤、椎、ネズミ黐、樫、紅葉など、更に蝉・トンボなど、また魚も居て、季節には百花繚乱の賑わいであった。当然不動尊参拝の後に、公園を遊歩し草木を愛で、昭和初期まで、花々を楽しんだに違いない。私もこよなくこの不動岡公園を愛し、よくここで遊んだものである。ここで育ったと言っても過言ではない。午後3時と8時の追儺式に行ってみたい。残念ながら車が無いので行けないのである。