戦時中の昭和19年7月12日の午前、トンボが家の西側大越新道をぐるぐる飛翔して、ななかなか飛び去らない!何か良い事でも有るかなと思っていたが、果たせるかな、お昼前に陸軍省将校生徒試験常置委員会からの封書が届いた。近くの校医で診察して貰い、その結果を、7月25日までに返送すべしとの命令書であった。恐らく陸士受験で合格予定者に入った予兆であろうと推察し、急ぎ朝霞にある陸軍将校生徒試験常置委員会宛に身体検査結果を報告発送したものであった。翌月の月初め陸軍の憲兵が二人で内田屋旅館を訪れ、私の環境や動静の身元調べを、立ち会った父親から聴取して、本郷連帯区へ帰隊したものであったようである。なかなか厳重であった。これでほぼ陸士合格が目に見えて来たような気がした。目指すは大詔奉戴日の9月8日の合格発表日である。父母をはじめ祈るような気持ちでその日を待ち焦がれたことは言うまでもない。そして一ヶ月後の正にその日、陸軍教育総監からのウナ電で陸士合格の電報が届いたと言う次第である。天にも登る気持ちとはこのことを言うのであろうと昔の真実を、陸士合格の予兆として嬉しく懐想している。私の人生は、ここで決まったものと、今も嬉しく追想している。思い出は懐かしく、何時でも、何時までも奮起の糧なのである。