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日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

寒の戻り、冗談にも箴言にも無い降雪のお中日

2018年03月21日 | Weblog

 悪天候のお中日、何十年か振りにお中日に雨と雪とやら!恐れ入った次第である。明日から晴れて春日和だと言う。全く気侭な天候である。予報でも翌23日には晴れて本当の春が演ってくるとの予報である。冗談にも今日1日は家に蟄居して明日の晴れるのを待つだけであろう。鬱陶しいのも限りがあるであろうが、お天気だから止むを得ないと思う。いよいよお昼前から雪が降り始めて来た。小雪が舞い降りて中々に止む気配はない。この分だと関東の平地でも3センチ位の積雪が明日朝には見られるであろうと思う。


今日明日は冬のような天気、お中日は伝説と真逆、大荒れで雪

2018年03月20日 | Weblog

   季節感を味わう文人ならずとも、このところの悪天候の連続には呆れ果ててしまう。昔から“中日に曇りなし“と言い伝えられ、事実その通りの天気が風物詩として罷り通って来た。明日のお中日は大荒れの天候で雨から雪に変化するであろうと言われている。だが、確かにこの1〜2年の天候は正に悪天候そのもので、自然か何かのの影響かは知らないが、人間社会を蝕むことに成りはしないかが心配である。「自然と人生」という絶妙な掛かり合いが見事に覆されて、人は何処へ行くのであろうかと心配である。人の心も正に荒れなんとす!で済まされない世の中が、現出するのでなければ良いがと思われる。息子に同道して医歯大病院での検診結果は、まずまず大丈夫であった様だ。3ヶ月に一回の検診だが、大きな異常も無く済み安心している。此れからの人生を、健やかに元気に歩もうと思う。頃は今春たけなわ、間も無く桜花爛漫の好期を迎えようとしている。


剪定した柿の枝を早朝片付け、ごみ収集に間に合う

2018年03月19日 | Weblog

   今朝はゴミの収集日であるが、先日剪定した柿の徒長枝や、燐家に伸びようとする切り取った枝を、朝早く纏めて細砕し片付けた。午前8時のごみ収集に間に合った。朝飯がそのため約1時間半遅くなってしまったが、家の周りが片付いて気持ちが良い。今日の予定は天気が良ければ、家内の葬儀場だった碑文谷方向に足を伸ばして散歩して来ようかと思う。曇り空であるが雨はなさそうである。


桜の開花もあと一週間、気象庁開花宣言、にわかに早し!

2018年03月18日 | Weblog

 昨日散歩道を散策していたらもう桜の蕾も大分膨らんで来て、あと一週間で開花する予想だそうだ! 俄かに早し!と言う感じである。今日から雨で、この5日ばかり気温も下がって開花は遅れるとの予報の見通しもある。だが今朝は、飛行機雲棚引く快晴である。天気の予測は難しい。昔3人?で通ったお散歩道を、今日も一人歩んで、思い出を噛みしめ、楽しんでこようかと思う。事実午前10時に玄関を出発、いつも通った散歩道を世田谷公園へと辿った。気温が低く風もあり公園ベンチに約1時間腰掛けて、既往の思い出を手繰り出し回想を続けていた。鳩が懐いて足元を行き来していた。その内ジャックラッセルを連れた中老の夫人が、芝生に腰を下ろして約1時間寛いで居た。無性に懐かしく、帰途声をかけてそのワンコちゃんを撫でて仕舞った。メイが思い出されて懐かしくて堪らなかった。帰途スーパーでお昼ご飯を求め帰宅したのは0時半であった。このことを淑子の霊に報告もした次第である。明日も又風物詩の追想行脚を続けようと思う。


歳時記通りの春今此処に!

2018年03月17日 | Weblog

 居間の気温12度C、湿度38%、温暖な春が今日此処、我が家にもに到来した。娘や甥姪などからも、元気で気強く生きて下さいとの温かな激励のメールが届き、朝食後の一時をゆっくりと過ごしている。真っ先にお茶を家内に上げ、今日朝の祈りを捧げた。今日も静かに身辺整理をして、過ごそうかと思う。世田谷観音への挨拶は未だなので、今日午前中に参拝しようかと思う。


葬送後6日目、神社仏閣に拝礼

2018年03月16日 | Weblog

     10日に極小ぢんまりと親族のみの葬送をしてから今日で6日目、昨日は初夏のようなよう陽気で、故人とメイト3人?でよく散歩した緑道を往復して、思い出を顧りみながら2時間半を逍遥した。思い出は次々に身辺に纏わり、低回して去ることができないほどであった。今日はこれから今夜にかけて雨降りの天気になる予定だそうで、駒繋神社は昨日済んだので、明日は世田谷観音様へ詣ろうかと思う。昨日まで甥姪の二人から追悼と激励のメールを貰い、丁寧に返礼した。が、その文章を今日も読み直していた次第である。さほど、人の心が有り難く貴い。


小説は奇なりされどドラマは現実

2018年03月15日 | Weblog

   家内が鬼籍に入ったのを契機に、ドラマは現実に起こり得るが、小説は奇なることを知った。妻のいない生活は全てが虚ろで張り合いが起きてこない。寂しいということばかりである。春麗の春は、刻々とこの月末の桜花爛漫の時期を迎えつつある。姪や娘息子達に元気付けられて日常の生活を送っているものの、どこか積極性が抜けて良い発案が生まれないのである。庭や植木の手入れ水遣り、施肥など時節に応じた行動は遣り甲斐があって実施してから元気がでそうな気分である。今日から午前午後など適当な時間帯にメイと今は故人となった家内と3人?で、在りし日、散歩した遊歩道を静かに散歩してみようかと思う。それが 故人との思い出を「生活に生かす生きる術」であろうかと、静かに思っている。今朝も晴れ、神社から公園を散歩しスーパーに寄ってお買い物をして帰ってこようかと思っている。


本当の春が来たような感じ! 荼毘後の手続き皆済

2018年03月14日 | Weblog

   春霞は掛かっているが、快晴に近く温暖で寧ろ暑い感じの春の日である。9時前には息子と共に、三茶に郵便局や銀行などを回って、家内死去後のいろいろの手続きを行って来た。三茶で昼食をとってから二子玉川まで足を伸ばして年金機構での手続きまで,すべてを済ませた。帰宅した所丁度午後2時半であった。書類上の本人も一緒だったので全てが順調に進み、息子も喜んでくれた。朝のうち大事な書類が見当たらず、昨日来あちこちの思い当たる書類箱や閉じ袋など探し回ったが遂に紛失、親子で現場に行って本人確認してもらえば解決するとの手順手続きなので、これで、全部が片付き整理できたこととなった。ほっと一安心したところである。今日の天候は4月終わり頃の天気だそうである。道理で暖かく上衣も要らなくらいの気温である。


喪中の日常生活

2018年03月13日 | Weblog

 喪中の日常生活は確かに虚ろで何とも表現し難い感じである。日常生活はそれなりに平常通りであるが、内に秘めた淋しさや侘しさは何とも打ち消し難いものである。ただ葬儀の際掲げられた生前の写真、大変綺麗に明るく微笑みさえ窺えられ何とも故人に話し掛けたい風情さえ感じ、有り難く気に入っている。思えば、5年前の息子の教授昇任の際、新任の教授室でのスナップであり、私が撮ったものである。今にして思えば、本人も気に入った写真であり本当に良かったと思われる。今日も晴れである。そろそろ日中静かにお散歩などを試み、故人との散策の思い出などと共に日常を過ごして行きたいと思う。午前から午後にかけて君子蘭への肥料やりと水遣り、そして脇から家の裏に植えられている柿の木3本、樫の木2本、赤沢と同じ木の山桃1本、それぞれに他所に伸び出ないように枝切りなどを実施した。終わったら午後一時であった。これで植木や植物たちも、春を迎えて肥料やお水をたっぷりと蓄えており、いよいよの春本番の活躍時を、元気一杯で迎えられそうで、楽しみである。大いに期待している。


寂しさが現実に

2018年03月12日 | Weblog

    いざ家内が故人になって初めて、寂しさを実際に体得した、というのが現実である。姪からいざ励ましのメールを今朝頂いて、元気を取り戻した次第である。娘や息子も皆もう職域について家では唯一人になってしまい、侘しさが身に応える。洗濯物を屋上に干してから、6畳の部屋で家内にお線香をあげてお祈りした。本当の寂しさは味わった人でないとこの淋しさは分からないと思われる。でもさぁー元気を出して、これから少しずつ余生を努めて参ろうと思う。それが、故人に対する生きている者の務めであると考えている。