やっと訪れた本当の秋、騒擾の世間を掻い潜りやっと訪れた本物の秋、蝉の鳴き声も絶えて、朝晩は時折の烏のだみ声だけであり、なんとも遣る瀬無い思いである。世界が、日本も不安定な政情が今日の選挙で、少しは落ち着いてくれるだろうと思われる。今日午後から雨が振りがじめて夜間は大降りであるとか、明日の娘と二人と、甥と姪の都合5人の墓参で、鎌倉霊園へ家内の冥福を祈って墓参をしてこようかと思う。天気が全国的に雨模様であると予報は知らせてくれているが、皆で午前10時お参りしてくる予定である。古河近くの小山の湧水池に番のコウノトリ、「きらら」と「きずな」が一緒に飛来して市民の歓喜を呼び起こしている。一羽は一時和歌山県へ飛来してまた帰ってきたそうである。
お天気をはじめ季節の変異に、その情報は背後には人間の所作は含まれない。それだけに静かで穏やかで推移が楽しく眺められる。全世界的に人間の営み行う行動や動きは、残念だが、止むを得ず、背後の利害得失を考慮せざるを得ないようである。それが人としての二面性を包含しているせいか知れないと思惟する。天気がこのところ足早に、秋の気配が日常生活に迫ってきた。朝晩がとても涼しく感じられるようになってきている。パソコンを弄っていると教書が少ない代わりに、困ったときに、息子が即座に回答を明確に教えてくれるので、何とも大助かりである。楽しいパソコン修業が今日も続けられと思うと毎日が楽しい。何しろ22年間のMacからWindowsへの乗り換え勉強は、昔取った杵柄は通用しないのである。さぁー食事を整えて済ませてから、通常の日課始まりである。今日は京都の娘夫婦が所用で上京してくることとなっている。
昨日と今日の日中は、快晴の秋の清々しいお天気日和である。昨夕豪雨で茲世田谷も一時期大変な久し振りの大雨であった。今夜も豪雨が再来するそうであると、天気予報士がテレビで唱えている。湿地や低地ではそれこそ大変であるが備えを十分に構えて欲しい。自然災害が後を絶たずに繰り返し日本列島を襲ってきた、この8月9月。本当にそれこそ異常な災害であった。まだ復旧の目途が経っていない地区もあって、気の毒で堪らない。国も都府県も大急ぎで対策に取り組んでいるようである。自然はその間に月日の経過とともに移り過ぎつつある。昨夕まで鳴いていた蝉も今朝は途絶えて静かである。秋トンボがすいすい飛び始めている。
月曜日の祭日の多い我が国の暦、教職時代には教員各位の月曜日休日の代替に、大分苦心を払ったものである。月曜日が重なって休みになると、授業時間の配分に苦労をする。とりわけ月曜担当の教員方は、自らのやりくりに苦心惨憺である。学校としても土曜日午後を授業に充てたり、無理算段しての配置に苦心の営みが必要であった。その昔が懐かしい今である。今日はどうにか曇り、時に晴れの天気である。精を出して書斎を少しづつ片付けて、原稿執筆に目鼻を付けようかと思う。午前から午後5時くらいまでは快晴となった。夕方になって窓を開けると豪雨が一少時間続いた。植木もまた此れで息ずくであろう。
この長月は国内の神社の秋の例祭が彼方此方で実施される他、国民に祝日の月でもある。雨の一番多い月なのである。因みに暦を見ると、一日から三十日まで毎日日本各地の神社で重なっての例祭が、総じて行われている様である。神聖な佇まいの月なのである。此のところ雨や曇りの空模様で天気は中々晴れてこない。お彼岸もあって神社仏閣や寺院は大多忙な営みの長月なのである。落ち着いて依頼原稿を執筆しようと意気込んでるが、まだその構想が纏まっておらずこれから徐々に手筈を整えて参ろうという訳である。
今日は15夜であるが連休中には敬老の日も含まれる。連休となって歳時記を顧慮する人も左程多いとは思われないが、年年歳歳、国内外の行事や、最近多い事件などに目を奪われて、祭日の本来の趣旨を心底からお祭りする人は少なくなってきている。民俗行事も薄れてきており、それ故に、祭日を謳歌して個人としてその趣旨を汲んで生活を楽しむ心境を大事にしたい。雨模様で一日どんよりとした祭日である。
困難をしていたWindowsの写真の局面の画面が、息子の指図で綺麗に削除され、デスクトップの画面が爽快に生って清々しい。また意欲を出して進んでパソコンに精進したい。
この夏場程酷暑が荒れ狂い、で、それに伴う不安定な天候が日本列島各地で発生した。地震や津浪も発現して、民心は動揺不安定化して恐れ戦くばかりである。それかあらぬか、パワハラの現象が多くの組織体で発生している。正に人間関係の困難な損傷現象で、これを契機に人々の心情や暮らしが正常安定な姿に戻ってくれば幸いであるが、中々にそれは容易では無いと思われる。時間の経緯がそこに必要で、物心両面の安定正常化と平和な生活が、戻るのには相当な時間が掛かるであろうと、考えられ社会心理現象と思われる。昔のお月見を楽しんだ頃の、落ち着いた人間関係が懐かしい。
真夏日の連続や風水害で、夏の風物詩を愉しむゆとりもなくなって仕舞ったこの夏、もう9月も半ばを迎えた。葉月も過ぎ去り長月に入って白露や重陽の節句も済んで、中秋の名月を愛でる十五夜も最近はもう、過去の民俗行事となって仕舞ったようである。すべてが科学的、実証的、第三者的に進化していく時代になって、人心も虚ろに自然と共に、文化人類学的な佇まいは、省みられない社会へと変換して仕舞ったのであろうか? しかし何れ自然災害が消息して軈て落ち着いた暁には、日本的な文化も又花開く事であろうと思う。秋に入って気温も下がり涼しさも訪れてきている。落ち着いた思索も出来そうである。今日は一日曇りの天気である。
Windowsでブログを書いたり、依頼原稿を執筆したが、慣れてくると便利で使い勝手が良い。まだMacから移って3か月なので十分ではない。写真も文書もプリントしたが上出来で、息子からその一枚を所望された程である。今日も曇り空のはずであるが、只今は晴れて陽の光が輝きだしてきている。先日まで真夏日の暑い毎日が続いていたが、昨今は涼しくうすら寒いほどである。でも室内ではクーラーをつけて生活を楽しんでいる。初秋の爽やかさが訪れて、狭い脇庭ではチチロ虫の鳴く声も聞かれるようになってきた。関西や北海道地方の災害に逢われた方々の心情を察して同情を禁じ得ない次第である。
このところ社会の多くの組織や集合体で、様々な訴えや苦情が表面化して、マスコミに大きく取り上げられている。自由の立場からと時代背景からも、当面起こり勝ちな現象だと思われる。だが、少し気になるのは、第三者的意向も聞いた方が良いと思われる。ちょっと立ち止まって、お互い冷静になりたい。