夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2019年 2月14日(木)「カメラ」

2019年02月14日 21時36分00秒 | 「思うこと」
最近あおり運転が問題になっていますが、これも暴力という力の支配です。
同時にいきなりカメラを向けるというのも一つの暴力です。
アメリカは自己防衛のために銃を持つ。しかし逆に人々を傷つけるのも銃です。カメラを向けるというのも自己防衛的ですが、実は人を傷つけることにも。
(ツイッターより転載)
街を歩いていればあちこちに防犯カメラがあり、最近はスマホや車にもカメラがありプライベートでもカメラを向けることができてしまう。
たしかに防犯面などで役に立つこともあるでしょうが、カメラを向けることやカメラの悪用もまた増えて人を傷つけることにもなっている。
今のようにスマホが普及していないころ、テレビカメラが時としては暴力となっていたことがある。
犯罪を犯したいい年をした犯人の老いた両親にカメラを向けていた。
ルールを守らない車のドライバーにもカメラを向ける。
今までマスコミがやっていたことを今では個人ができるようになってしまいました。
悪ふざけ動画も。。。。。
昨日のテレビでも離島の老人が仙人のように「フォ、フォ、フォ・・・・」と笑うかカメラを向けていた。
たぶん多くの人はカメラを向けられてムッとするでしょうが怒れないでしょう。カメラ、マスコミの力です。
しかしそこからバカにされているとしたら怒るでしょう。
一つの挑発ですなぁ。。。。。(ツイッターより)
コンビニや飲食店でも悪ふざけ動画が問題となっていますが、悪ふざけ動画を撮った若い人を処罰しても解決はしませんね。社会問題です。
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池に浮かぶ月391【2月14日】

2019年02月14日 18時10分24秒 | 「池に浮かぶ月」
去年2018年の今日は俳句の窮屈さについて。。。
17文字の世界ですから窮屈さはもともとありますなぁ。そのうえ季語を入れるとかいくつかの決まりもあります。
窮屈ですなぁ。。。。。
しかし季語があるから世界は広がるのかもしれません。季節を連想させる季語から俳句を詠む人その俳句を読む人それぞれの経験などからの連想が広がるのかもしれません。
こう見ると俳句の形式という窮屈さが同時に俳句の永遠の広がりが出るのかもしれません。

北風が僕を包み渦となる
渦は広がり僕の翼となった
北風の翼は
冷たい空気を切って舞いあがる
北風は南に向う。。。
心は行く雲。。。

「2月14日という日」
【2018年】ツイッターつぶやき先に書いた「俳句の窮屈さ」の続きです。 俳句というのはいろいろと制約(先の「俳句の窮屈さ」では規制と買いましたが制約の方が良いかもしれません)が......
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