猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

しばしこちらをお楽しみください - erimaTV -

2005年07月21日 22時02分28秒 | 育てちゃったよ....
昨夜、サナギになる準備を始めた黒ミソちゃんが、いよいよサナギに変態しそうですっ!

中(あたる)、太(ふとる)と、その瞬間を惜しくも見逃してしまった私です。
今度こそ!今度こそ、その瞬間を見てやろうと、PCの上に飼育箱を据えて、先ほどから睨めっこをしております...。
おお~っと!いよいよ黒ミソちゃんが動き始めた~っ!!!

皆様、しばし、しばしお待ちを...
しばらく、こちらの美しいノーブルアントニー満開の写真でお楽しみ下さい。

ザー.......ザザー.....

楽園

2005年07月20日 23時29分18秒 | お出かけ
日曜日のこと。
車で10分ほどの小さな公園に行ってみた。

近所に子供たちのための公営プールがあるその公園は、割と交通量が多い道路が目の前を走っていることを忘れさせてしまうほど、静かで、人影も少なく、周囲の喧騒とは無縁の空間をポッカリとその部分に形作っている。
園内にはその敷地の大半を占める池があり、夏の強すぎる日差しを反射し煌きながらも、そこに浮かせた大きな蓮の葉で、様々な命を庇護している。

私とゴンザがこの公園を訪れたのも、以前から通りがかりに気になっていた蓮の花を見るためであったが、すでに時間は正午をとっくに周っていたし、花の1番美しい時間帯は逃してしまっただろうと、さほど期待もせず、しかしこのところの習慣である、カメラだけはしっかり携えての散策だった。

門をくぐり、お目当ての蓮の花を目印に池方向へ歩く。
小道を抜けて急に視界が開けると、そこには、一面の蓮の葉と蕾が風に揺れている。
「わあ~、綺麗だねぇ♪」
感嘆のため息を漏らしながら、その光景をもっと間近で見ようと、私は思わず足を踏み出そうとしたが、ふいに何かの違和感を感じ、踏みとどまった。
見れば、池の正面、ちょうど木陰になっている場所に、大勢の、息を殺した男性群の濃い影がある。私とゴンザは一瞬ギョッとしながら、そちらに注意を向けたが、よくみれば彼らの前には多数のカメラの砲列が組まれている。蓮の花を撮りにきたにしては時間は遅すぎるし、何か動く物を追っているにしては、レンズを覗く時間が皆短かすぎるが.....。

そんな時こそ、何かに疑問を持った場合、決して黙っていられないゴンザの出番である。

「何を撮ってるんですか?」
息を潜めるカメラマンたちの邪魔にならないよう、ゴンザがそっと訊ねる。
すると、相手の男性も暇を持て余していたのか、感じよく応じてくれる。
「カワセミですよ」

.....ああそうか。
それなら息を潜めるのも、大勢が一瞬の邂逅を待ちわびるのも理解できる。
さらに聞けば、彼らはカワセミが蓮の蕾にとまる瞬間を根気良く待っているのであり、しかしその幸運は滅多に訪れないのだという。彼らは同じ瞬間を待ちながら、こうして息を潜めていたというわけだ。
ゴンザは相手にお礼を言い、再び私と歩き始めた。
すると...。
なんと池を半周もしないうちに1羽の鳥が池中央、1つの蓮の蕾にとまった。
それをいち早く見つけたのは、そこで1人、集団を離れてチャンスを狙っていたカメラマンではなく、なんとゴンザ。
「あ...カワセミだ」
彼がたてた小さな声でその存在に気づいたカメラマンも大慌てでカメラに駆け寄る。
しかし、カワセミは、ほんの短く蕾の上に滞在し、再び羽ばたいた。

「うまく撮れましたか?」ゴンザのおかげでカワセミの存在に気付くことができたカメラマンが私に話しかけてくる。「このカメラではね。どうでしょう?」そう答えてから私は、彼にある告白をした。
「実はうちの近所でも、間近にカワセミを見たことがあるんです。それも普通のドブ川で」
相手は一瞬、驚いたように目を見開いたが、私の言ったことを本当に信用したのかはわからない。
それを証拠に、「そうなんですか!?」と言って、相手は再びレンズを覗き始めたから、鳥に関しての知識などなさそうな私たちの勘違いだと思っていたのかもしれない。
私たちは彼に軽く会釈して、再び歩き始めた。

真冬の早朝、近所をゴンザと二人でウォーキングしていて見かけたカワセミは、冬の凍りつく寒さにも似た青い羽をバタつかせて、廃棄物だらけのドブ川に降り立とうとしていた。それに比べたら、まるで楽園のように思えるこの池も、昔々は灌漑用池で、冒頭で触れた公営プールの敷地とも繋がっていた大きな池だったらしい。いつか誰かが投げ入れた蓮が根付き、増えて、水面を覆うようになったとも言われているらしいが.....。

日々、失われて行く楽園と、その象徴のような蓮の池。そして美しいカワセミ。
蓮の花が不思議と醸し出す静寂に包まれながら、私たちは歩く。

ふと見れば、そこでは誰にも注目されていないカルガモが、のんびり池辺で嘴を並べていた。

速報! 中(あたる)、サナギになる。

2005年07月19日 23時57分04秒 | 育てちゃったよ....
好評・不評に関わらず、かねてよりお伝えしております、アゲハの幼虫3人組成長記。
その名も太(ふとる)、中(あたる)、黒ミソちゃんと申しますが、いよいよ彼らがその形態を最終段階まで変化させるときが近づいて参りました。

昨夜のことです。
コロコロと肥え太り、ものすごい勢いで葉っぱを食べてゆく彼らに、今のままの飼育箱では蝶になるのにも不自由だろうと、新しく大きめの飼育箱を買って帰宅したときに、それはちょうど始まりました。荷物を置くのもそこそこにトイレに入った私に、ゴンザが大声で呼びかけます。
「大変~!中(あたる)が大変なことになってる~!走り回って暴れてる~!」

私は大急ぎでトイレから走り出て、中(あたる)の様子を伺います。
見れば、ネット上で検索した幼虫ページに書いてあった、サナギになるための儀式が忠実に飼育箱の中で繰り広げられている、ではあ~りませんか!
いつもとは違う、水分たっぷりの未消化のフン。何かを探し求めるように慌しく這い回る中(あたる).....。私は確信し、ゴンザに告げました。
「これは間違いない!サナギになるんだ。早く登るための棒を用意してあげなきゃ!」

そこからはもう、ゴンザと二人、狭い家中を右往左往です。
まず私が、走り回る過程でタイミングよく葉の上に乗った中(あたる)と、おとなしく日常生活を送っている太(ふとる)、黒ミソちゃんを新しい大きめ飼育箱に移します。その間、ゴンザは割り箸を上手に組み合わせて、ピラミッド形のつかまり棒を製作。大慌てで飼育箱の中に設置します。
幼虫ページによりますと、つかまり棒は65度から75度の角度が良く、しっかりつかまり易いものが良いそうですので、もちろんその条件も満たして.....。

.......すると、中(あたる)はその棒には目もくれず(笑)延々と箱中這い回るだけ。こりゃまだまだ時間がかかるのかもな、慌てて損したな、と、我々もちょっとばかり気が抜けてしまったわけです。
しか~し!次の瞬間。中(あたる)が飼育箱のフタ裏にピタっとくっついたまま、動かなくなりました。そしてついに、そろそろと自分で出した糸を操り、サナギになる準備を始めたのです!

「おお!幼虫ページで見た通りじゃないか」
それはまさに感動の瞬間です。
最初はあんなに気持ち悪がっていたことも、せっかく慣れた目が、脱皮のおかげでまた新たなる試練を受けたことも、今ではいい思い出です。
中(あたる)は、最後に糸で自分の胴を固定すると、頭を丸め、動かなくなりました。

そこからは、ときおりかすかに身体を震わせるものの、そのままの状態でフタ裏にぶら下がったまま。しかし形態はまだ芋虫だったので、どこかでサナギになる過程があるのだということだけは、私にもわかっていたのですが...。
それはまたしても突如の変身でした。
今夜8時半。病院から帰宅した私が中(あたる)を見ると、なんとなく表面の色が変わってきていました。
そして、洗濯物を干し、掃除機をかけ、その間約1時間.....すべての作業を終え、
「ああそうだ!中(あたる)どうなったかな?」と飼育箱を覗いてみると.....
「うぎゃ~あっ!なんだこりゃああああっ」
なんと先ほどとはまったく別の形をしたものが、中(あたる)のいた場所にくっついていたのです。

この不思議を、なんと表現したらよいのでしょう。きっと、口で説明しても、数枚の写真で説明しても、完全には理解してもらえないことでしょう。さっきまで芋虫状だったものが、どうしてあんな形になれるのか、糸にぶら下がったまま、どうやって皮を脱ぎ捨てるのか、すべてが謎、謎、謎です。それはまさしく生命の神秘。
虫嫌いの人にはおぞましいことかもしれませんが、機会があれば1度、幼虫を育ててみることをおススメします。

しかし、我が家の3人組も、まだまだこれで成長が終わったわけではありません。
先ほどは1番大きい太(ふとる)がついに身体を固定し終わりましたし、黒ミソちゃんも彼らを追うべく、もりもりと葉を食べ続けています。

願わくば彼らすべてが、無事に蝶になり、大空へ羽ばたいていかんことを.....。
そしてこの生命の神秘を、次の世代へつなげていってくれますことを.....。

でもやっぱりサナギも気持ち悪~い(笑)

うたかたの...

2005年07月18日 23時39分48秒 | お出かけ
昨夜は毎年恒例の国際花火大会(横浜・山下公園)へ行ってきた。

実は、10代の頃から水商売の世界にいるゴンザは(10代で水商売はもちろんイケマセン)、長い間働いていたバーが山下公園からすぐということもあって、花火当日はまさに店が稼ぎ時となるため、花火というものを間近に見たことがなかった。

だが5年前の、共に暮らすようになって初めての夏。
ちょうど前年に店を変わっていたゴンザは日曜が休日となっていたため、この山下公園の花火を見に行けることとなった。
しかし、当時のゴンザはちょっとばかりへそ曲がり。あのディズニーランドでさえ、「何が面白いのかわからない」なんて言っていたくらいの人物だったから、正直私は、彼が花火を楽しめるのかどうか心配していた。しかし....
そんな心配は杞憂に過ぎなかった。

なんと!生まれて初めて目の前に大音響とともに打ち上げられる花火を見て、ゴンザは感動のあまり涙ぐんだのである。

それからというもの、彼はすっかり花火フリーク(笑)夏前になれば必ず花火特集を組んでいる雑誌を買ってきて、下調べに余念がない。そして実際、県内外問わず、出かける。いつしか、場面によって楽しみ方を変えるなどという小技まで効かせるようになり、普通に人ごみの中で楽しむだけでなく、協賛席を買ったり、穴場で静かに楽しんだりと、最近では達人の域にまで達してきている。特に、この山下公園の花火については地元ということもあり、色々な方から特等席のご招待を頂いたり、毎年様々な楽しみ方をさせて頂いている(ただし、私が船に弱いため、それだけは申し訳なく思いながらもお断りしているが)。
ちなみに例の、「何が面白いのかわからない」と言っていたディズニーランドも、今では大好きな彼。私と一緒に駆け回り、歌ったり踊ったりするぐらいになってしまったから、人間って何がどうなるかわからないもんである(爆)

さて、肝心の昨夜であるが、5年目にして初めて電車で出かけてみたのだが、これもまた楽しく心弾む経験だった。二人で浴衣に着替え、いそいそと出かけてゆく。
何よりお祭りは気分だから、徐々に盛り上げる演出も重要だ。混んでいるのが嫌だの、歩くのが億劫だのとは、決して言ってはならない。人ごみに浮かれ、屋台のB級グルメを思う存分楽しみ、光と音の渦に身体を任せるのが1番なのである。
そして...華々しいフィナーレのあとに訪れる一抹の寂しさも.....。

私は自分に言い聞かせる。
「夜空に燃え残る火の粉が消え行く刹那、それを存分に楽しめ。
 人生はきっと、一瞬のはかない夢だから。」

しかし、この消え行く火の粉が私の心に残っている限り、その時間が永遠であるように、
この夏も、また来年の夏も、永遠に続くのだ。

ゴンザよ、どこへ...?

2005年07月17日 12時13分04秒 | ゴンザも隣人!?
さて、問題です。
これは誰の後頭部でしょう?

そう、みなさんもうおわかりですね。
ゴンザが坊主になりました。

それは昨日の夕方のこと、私がシャワーをあびていると、扉の向こうからゴンザが
「電池はどこ?」と訊ねてきました。
私は、何かの予感に胸をざわつかせながらも、ゴンザに電池のありかを教え、シャワーを浴び続けましたが...
再びゴンザが問いかけます。
「ね~、坊主になってもいい~?」
私も気楽に答えます。
「ん~、いいよ~」
果たして。
私がシャワーを浴び終えた頃には、可愛い坊主頭が出来上がっていました。

幸い、ゴンザの職種では(1流ホテルのバーとかは別として)服装や髪型にあまり制約がないもので、髪が何色であろうが、どんな長さであろうが、お客様に不快感を与えなければOKだったりするのです。
もっとも、最近じゃサラリーマン、特に営業の方々にも坊主頭が増えているそうですがね。
なんでも目上の者からみると「可愛がってやりたい感じがする」とかで。
髪型ひとつで人からどう扱われるか、どんな印象を与えるが変わるのって、ひねくれ者の私からすれば「どうなの?」って気もしますが、やはりそれほど、髪型や服装は社会人にとって、人間にとって重要なんですね。
そういえば私も仕事で色んな格好をしましたが(和洋花嫁さんから各国民族衣装、時代劇に男装まで)、それだけで気持ちが入り込んじゃったりもしましたし...。

さて。ゴンザの坊主頭は皆さんにどんな印象を与えるのでしょう。
昨夜の知人たちの反応では「イカツイな~」っていうのがほとんどでしたが。

これでもゴンザ、私が彼と出逢った頃は、自分の見た目を意識した、どちらかというとナルシストでした。体重は今より35キロも少なく、なんとロン毛。暗い地下のバーで、カウンターの向こうから私の目を真っ直ぐ見つめ、カードマジックなんかを披露されたときには
「ああ、この子。自分の使い方をよく知っているんだな。」
なんて思ったもんです。私はそういう男があまり好きではありませんでしたが、まさかその後1年半後、ゴンザと付き合い始め、一緒に暮らすようにまでなるとは...人生わからないもんです(笑)

私と付き合ったのが幸か不幸か、ゴンザはその後、どんどんその体格と性格を丸くしてゆき、あれほど気にしていた見た目も「好感度第一」のようになっていきました。大声を出したりすることもなくなり、激昂しやすかった性格もウソのよう。
やっぱ、私みたいなダメな大人と一緒にいると、
「俺がしっかりしなきゃ」って思うんでしょうね。
本当にありがたいことです。

おおそういえば、ゴンザの頭もよく見れば、ありがたい感じをかもし出している!
こりゃいっちょ、手でも合わせて拝んでみるか。

ああ有難や、有難や...