マチンガのノート

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「ザ・コンサルタント」ベン・アフレック主演 まとめ

2017-06-09 23:58:09 | 日記
発達障碍を扱った映画だが、今回はまず、発達障碍者の設定としては、
1988年の「レインマン」の頃は、ずっと施設で生活していて、だったが、
今回は軍人の父親に「他人に食い物にされないように」とのことで
格闘術や射撃などを教え込まれ、
数学が得意とのことで会計の高度な能力を持っていても、わざわざマフィアなどの
危険な相手の仕事をして高額な報酬を得ていて、それを様々なやり方で隠し持っていて、
企業の不正を見つけたら、その企業の会計係の人とともに抹殺されそうになり、
その人や自分を守るために自ら銃を持って一人で戦わなければならず、
ともに育てられた弟も軍関係から、フリーの傭兵になり、
企業に雇われて法を無視した仕事をしている。
これまでとかなり違うキャラクター造形だが、そこからアメリカにおける個人の分断と
お金しかあてになる物が無いなどの社会の荒廃が感じられた。

演出に関して

抽象化能力に限りがあるから、数字などの目に見えてかつ、予測可能なものを好む。
仕事を中断されると法則性と予測可能性が不確実になるから主体の弱さのため
動揺すると言う事なのだろう。
殺し屋に対しては「敵を殺す」というより必要なら「処理する」ために、
軍人の父親から教わったとおりに確実に「処理する」ために
とどめを刺す、頭部を撃つ、ということなのだろう。
周囲との境界が曖昧で、見知らぬ他者でも気の毒に思うので、麻薬カルテルなどに関して
自分と関係したことのある捜査官に間接的に電話で伝える、ということなのだろう。
捜査当局の対応能力に限界があるだろうということで、限定された事柄に関する
情報のみを伝える、とのことなのだろう。
そのためにその情報の受け手である引退を控えた捜査官も、
法律の範囲内でしか動いたことのない若手よりも、必要ならば法律の外側に
出れそうな新人を後釜に据えたのだろう。
そのようなところは「atプラス 30号」で、ラカン派の精神科医である
松本卓也氏の書いている「垂直方向の精神医学から水平方向の精神医学へ」
を連想させる。
すなわち、法や理想を強化するのよりも、自分と関わりのある人を援助することが、
本人にとって治療的ではないのではないかとのことである。
例としてあげられているのは、ヨーゼフ・ブロイアーが治療しようとしていた
アンナ・Oも、作家活動を行ったり、ユダヤ・フェミニズムの活動家として
女性たちや社会的弱者と言った「水平方向の隣人」に向かっていき、
それらの活動の中に、病的痕跡を残すことが無かったとのことだ。
つまり、アンナ・Oの治癒もまた水平方向の活動の中で生じていた可能性が
あるとのことだ。
しかしながら、短期間に改善したエビデンスを求める風潮が強い現在、
どれだけの国内外の臨床家が、発達障碍について、「周囲との境界が曖昧」
「主体の弱さ」などに関して知っているのだろう。
「表象11」の「共同討議・精神分析的人間の後で」において、松本卓也氏によると、
精神病理学というのは世界的に見ると終焉していて、日本では例外的に生き残っている
とのことである。
そこから考えると、発達障碍の療育、治療も、深い所で検討し直す必要があるのでは
在るのではないだろうか。