マチンガのノート

読書、映画の感想など  

オープンダイアローグへの危惧 2

2017-06-19 00:26:37 | 日記
オープンダイアローグで強調されているところに、
様々な人が治療側として参加できる、というのがあるが、
そのようなことに飛びつくのは、境界例や依存症の人のような、
他人をコントロールしたい、支配したいという欲求を持つ人が多いだろう。
事前に文献を読んだり、解説を受けたりしていても、そのようなタイプの人は
患者の立場の人をコントロールするため、様々な方法で周囲の人も巻き込むだろう。
また、そのようなタイプの人は、セルフモニタリング能力が低いために、
さまざまな虚偽のことを言っても、自身が覚えていないことが多いそうだ。
 臨床心理士資格制度が作られた背景として、当時の様々な〇〇セラピーなどの
自称治療者、自称専門家と、ある程度の専門知識と経験がある人を区別しなければ、
さらに被害者が増えるというは大きかっただろう。
様々な自称治療者、自称専門家も、自身が不安定で、他人をコントロールしたい、
支配したいという人が多かったのだろう。
オープンダイアローグはそのような経緯に逆行する面が出ないよう
事前にかなりの仕組みを考えるべきだろう。

以下の小説は境界例、解離性障害への対応の難しさが読みやすく描かれていて
参考になる。
参考文献:「症例A」多島斗志之

オープンダイアローグへの危惧

2017-06-14 23:09:58 | 日記

翻訳をした医師と、様々な職種の方がこの本を読んだり、
テレビで放映されたものを見て関心を持っているようだが、
そのような人たちは、様々な依存症や境界例の人と関わったことが
あるのだろうか?
依存症や境界例の人達の一部は、とても攻撃的だったりして、
周囲の誰かと即興で組み、共同で誰かを攻撃したり、その場で意見を合わせて
共同で非難したりする。
そのようなことから、様々な医療機関で、自分の所では依存症の人は入院させない、
などとなっている。
ダルクなどのテレビなどの取り上げ方などでも、いかに大変な生育歴だったか、
苦労してきたかは取り上げられていても、そのような攻撃性に関することは
取り上げられない。
テレビなどの報道関係の人がある程度取材しても、そこまで見えなかったり、
依存症の人への偏見を助長するのではないか、などが理由だろう。
様々な疾患の人と、依存症、境界例などを混在させて関わるなどをしては
かなりの混乱を生み、被害者も出すのではないだろうか。

「オープンダイアローグとは何か」斉藤環 著+訳


天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ:向井雅明監訳

2017-06-12 07:30:43 | 日記
摂食障害に関しては、「成熟拒否」「母娘カプセル」などの、心理、精神の疾病の観点から
書かれているものは多い。
しかしながら本書で書かれているものは、「義務と仕事」中心の母親や周囲に対して
いかに本人が、言語にし難い所で異議を申し立て抵抗しているかである。
本人は食べ物とともに愛情を求めても、モノとしての食べ物しか与えられない、
という事がいかに本人に言語以前の所で制約を課しているかが図解されていて解りやすかった。
図で解説するというのは、ラカン派の解りやすく良いところだろう。
母親や周囲の人がどのような人であろうと、その親族の置かれている状況や
社会のあり方で、いかに本人がわからない所で制約を課されることになるかが
よく解る。
乳幼児期やその後の食べ物の与え方というものが、いかに大きな意味があるかが
よく解る一冊である。