立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

ポッと頬を赤く染めて

2008年10月26日 | Zenblog
 紅葉もまだまだ本格的ではありません。緑の勢いは衰えません。しかし、なかに頬をポッと赤く染めた程度の紅葉が見えるようになりました。こういう季節が本番に入ろうとする直前の感じも悪くないですね。紅葉の終わりかけは淋しいですが、これから紅葉に入るというのは淋しさが身にしみてこないからいいですね。

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常願寺川公園へ朝の散歩(2)

2008年10月25日 | Zenblog
 早朝なのでまだ暗いめで、赤い紅葉は目だちません。黄色い黄葉は周囲を明るく照らしてくれているようで、目をひきます。団塊の世代とおぼしきような人たちが、あっちでもこっちでも散歩をしています。彼らを見ていて「若いな」と感じる年代に、私はすでになってしまいました。
 重なる年令は、同じもみじを見ていても、ちがう思いを抱かせるものかも知れません。

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常願寺川公園へ朝の散歩(1)

2008年10月25日 | Zenblog
 早くに目が覚めてしまいました。車で常願寺川公園まで出かけ、少し歩いていたらやっと雲間から日が射してきました。紅葉・黄葉の木々がかなりあって、目を楽しませてもらいました。早朝なのでカメラにはまだ光不足です。

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徐州博物館の銀鏤玉衣・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月25日 | JingShang君からの上海レポート
 徐州博物館です。ここは雲龍湖の東側にある雲龍山の北側にあります。ここに楚王陵等からの発掘品が展示されています。漢画像石は別の博物館にあります。
 この博物館の展示品の一つ、色からみて銀鏤玉衣だと思います。金の板を使った金鏤玉衣もあります。獅子山楚王陵の現場には金鏤玉衣が展示されていました。玉衣は複数発掘されているようです。

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常願寺川公園の紅葉は気が早い?

2008年10月24日 | Zenblog
 常願寺川公園の横を通ったら、鮮やかなしかも華やかな色が見えました。公園の駐車場の周辺に植えられているイチョウなどが、早々と秋を迎えているのです。実に鮮やかに目を奪いました。

 私は、抗癌剤治療に入っていたのですが、全く体質に合わないらしく副作用が次々と現れて、入院中よりつらい状況にも陥りました。結局、この服用薬による抗癌剤治療は中止することになりました。なぜかホッとしています。副作用からもだいぶ回復して、少し元気になりつつあります。抗癌剤治療を今後どうするかは、もう一度再検討することになりました。全くしないというのも一つの生き方の選択だそうです。

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見えた。昼の立山

2008年10月24日 | Zenblog
 今日は朝から雨です。車で海岸まで出て少し歩きましたが、波は静かでした。

 写真は昨日の昼間です。珍しく立山が見えました。スカッとというわけにはいきませんが、立山・剱岳などの凹凸はもちろん、色の具合も分かるようでした。色づいているように思います。やっと昼間の顔が拝見できたのはうれしかったです。すべてが見えると、山はまた量感がちがいますね。これからもどうぞお顔を拝見させてください、という思いでしたが今日は雨です。

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徐州の楚王陵(5)・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月24日 | JingShang君からの上海レポート
 獅子山ではなく、北洞山というところの楚王陵の彩絵俑の発掘当時の写真です。これも三部作のスキャンです。このような彩色の俑を発見した時の興奮が伝わります。

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徐州の楚王陵(4)・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月24日 | JingShang君からの上海レポート
 この兵馬俑博物館の裏側にある池の下からも兵馬俑が発見され、水下兵馬俑館として保存されています。4枚目がそうです。昔は王陵から下る坂の途中に兵馬俑が作られ、一番低いところがその後池になったのではないかと、これは私の推測です。

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徐州の楚王陵(3)・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月24日 | JingShang君からの上海レポート
 その兵馬俑です。これも良い写真は撮れなかったので、三部作のスキャンです。写真では大きさがわかりにくいですが、小さなもので、馬の背丈で50cm程度でしょうか。後ろの兵俑も大型のこけしをもう少し大きくした程度です。西安の秦始皇帝の兵馬俑とは規模が違います。造りも、秦の兵馬俑と比べると単純なものです。西安の兵馬俑は始皇帝の為のもので、こちらは地方の王の為のものです。

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徐州の楚王陵(2)・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月24日 | JingShang君からの上海レポート
 獅子山楚王陵は、兵馬俑も発掘されています。王陵の西部に西に向いて(即ち、王陵に背を向けて)兵馬俑が並び、発掘した状態で保存されています。写真は、その兵馬俑博物館です。この建物の中に発掘状態のままあるのですが、地形が王陵から低くなっているのが判ります。

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徐州の楚王陵(1)・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月24日 | JingShang君からの上海レポート
 徐州獅子山楚王陵は、市街地に最も近い楚王陵です。ここは1995年に発掘されました。甬道(ようどう)長さ117メートル、側室は多く、構造はしっかりした大きなものとのこと。私も、実際に中に入り、奥(後室)まで行きましたが、湿気がひどく、甬道は水たまりがある状況で、照明も暗く、よい写真は撮れなかったので、三部作からスキャンした写真を添付します。ここからも多くの金縷玉衣(きんるぎょくい)、玉杯、兵器等が発掘されています。

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細い雨が降っていても

2008年10月23日 | Zenblog
 今朝の散歩は傘を持って出かけました。細い雨が降っています。カメラは持っていくのを止めようかとも思ったのですが、・・・。立山の望めるところまで来ると、雲間から立山の輪郭が一部見えています。昼間になると晴れていても、山はほとんど見えないのに。
 秋の雨の、心変わりの速さ、気まぐれさとでも言うのでしょうか?

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雁渡る(2)

2008年10月23日 | Zenblog
 なぜ心惹かれるのでしょうか。その季節感、いや彼らの遠い旅路への思い、いや不思議な図形を描きながらの飛翔、自然の不思議さを感じさせられているのは事実です。

  町人は雁渡ること知らざりし   高浜年尾

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雁渡る(1)

2008年10月23日 | Zenblog
 雁が北から群れを作っては、次から次へと渡ってきます。その列をなす姿の絶妙なこと、ついぼんやりと見ています。

  かりがねの低ければ沼近からん   堀前小木菟

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徐州の獅子山楚王陵・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月23日 | JingShang君からの上海レポート
 徐州概況には次のようなことが書かれています。
・ 漢の高祖劉邦の生まれ故郷であること。劉邦と覇を争った項羽は徐州東隣の宿遷の生まれでした。四面楚歌」の話の「楚」軍とは徐州を中心とする劉邦の軍のことで、四方を敵の楚の言葉で唱う歌を聴いて、項羽はもはやこれまでと思ったのでしょう。
・ 漢は長安に都を置きましたが(西漢、前漢です、因みに東漢、後漢の都は洛陽です)、徐州の重要性から劉邦は息子の一人をここに封じた。それが楚王です。劉邦は、秦の中央集権の弊害をみて、親族、部下を地方の王に封じました。

 したがって徐州には、漢代の十八の楚王陵があるようです。徐州漢代王陵分布図を見ると、徐州市街地及び周辺にも多くの王陵、漢墓が分布しているのがわかります。楚王陵は8基、漢墓が3基、漢兵馬俑博物館が1つです。漢兵馬俑博物館は獅子山楚王陵(ししざんそおうりょうぼ)の兵馬俑の展示館です。写真はその発掘当時の模様です。獅子山楚王陵は20世紀後半に発掘され、副葬品の漢俑は、発掘状態で「漢兵馬俑博物館」として保存されています。獅子山楚王は、第三代劉戊(りゅうぼ)の墓だそうです。
 徐州は漢の都ではないものの、漢の都市という印象が強いです。テレビの漢代歴史ドラマ用のセットもここにあります。

「漢墓」、漢墓の副葬品である「漢俑」(かんよう)、漢墓の壁に彫られた「漢画像石」を総称して「漢代三絶」(かんだいさんぜつ)と呼ばれています。当面は、漢代三絶を紹介することになります。

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