長崎に行くのであれば、グラバー園や大浦天主堂もいいですが、出島にはぜひ行ってもらいたいですね。
鎖国時代に唯一ここだけが海外との貿易を行っていたところです。昔は海だったところが今は埋め立てられてしまっていますが、
当時の場所に当時の建物を復元して作っています。
もともとポルトガル人を収容するための場所だったのですが、それがオランダ人にとって代わり、その後200年ぐらいこの場所だけで貿易を行っていたところですが、行ってみるとかなり狭いです。
これはミニチュア模型なので、当然小さいのですが、橋を渡ったここだけが西洋だったという不思議な空間だったのでしょうね。
出島には基本的には男性しか入れなかったようで、オランダ人カピタン(商館長のこと、キャプテンがなまってカピタンになったらしい)の家族もここには入れなかったので、単身赴任だったようです。男性しか入れないけど、唯一花街のお姉さんは入れたようです。最初は下っ端の芸者が送り込まれたらしいですが、ここに出入りをすることにより、オランダ人からいろいろな贈り物をもらうようになり、もらった反物でしつらえた華やかな着物を着てお座敷に出るようになると、途端に人気芸者になってしまったので、それを妬んだ先輩芸者たちが、それからは下っ端の出入りを禁止したそうです。いつの世も、女性はお金持ちからの贈り物の争奪戦を繰り広げていたんですね~。
長崎はポルトガル人によってキリスト教が布教されたところで、その後この地のキリスト教徒は秀吉の弾圧によって、むごたらしい状況に追い込まれるのですが、なぜ秀吉はそこまでキリスト教を嫌ったのかというと、日本を植民地にしてはならないという、日本の将来の先を見越した判断があったかららしいです。秀吉が徹底的にキリスト教を弾圧したので、日本は一度も植民地になることなく、現在まで日本独自の文化を守ることができている…、という話は出島の観光案内の説明員に聞きました。キリスト教の布教を許したアジアの各国は、ポルトガルが攻め入って来た時に、キリスト教の国の人たちに反旗を翻すのはキリスト教の教えに反すると思ってしまい、簡単に植民地化されてしまったようです。これに危機感を覚えた秀吉、やったことは残酷極まりないですが、日本の植民地化を憂いての行動だったとしたら、秀吉を評価するべきですよね。
他にも、ここでしか聞けないいろいろな裏話を教えてくれるのは、はかま姿の観光案内の説明者の方々です。
いろんな話が聞けて面白かったです。現地に行ってみて、知らなかった話をいろいろ聞けるのは旅の醍醐味ですね。
日本のことを全然知らない自分に気づきました。ちょっと遅すぎ?
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