最近はまっている、ドミニック・ローホーの著作の中の一節。
幸福の二つのかたちを知る
幸福に向けての一歩
それは自分の存在のなかに、
なすこととなせるがままにすること
また努力することと気楽にすることの
正しい配分法を見つけることです。
これは人間的な知恵ですが、決して侮ってはなりません。
(コッドフリード・ダニエール)
幸福には二つのかたちがあります。
そのひとつは総合的なもので、人生において、
自分には選択する自由、行う自由う、そして考える自由が与えられているという幸福。
もうひとつはより基本的なもので、日常生活の中で出会うささいなことがらからなるものです。
たとえば、前から探し求めていた茶碗をようやく見つけた、美味しい店を発見した、
友と仲直りした、というようなささやかな幸福です。
(ドミニック・ローホー)
幸福になるということと、自由になるということはどちらも感覚的なことで、
どういう状態が、自分が求めている自由なのか、どうなっていると幸福だと感じるのか
その二つをずっと探し続けているのですが、ここに書かれているのは一つの答えかもしれませんね。
あっこちゃんは主人公の上司で、昼食を取り替えっこすることで、三智子を成長させるドラマです。
服部さんがはっちゃんになる感覚。
あと、みつゆがみっちゃんだったら、まるで違う人に感じるのは何故かなぁ?
ただ、上質なものを食べたいという想いは強くなりました。要するに、適当に選ばないって事が生活の質を上げることになるのか。
先輩のような国際人と私のような村人は、背中あわせです。でもコメント返事頂き、うれしく思います、いつもありがとうございます。
服部さんは、私にとって「ランチのアッコちゃん」です。またコメント、載せてください。お願いします。