94年に山をやりだし、翌年の秋山に同僚のM氏、I氏の3人で歩いた。
槍や白山などの素晴らしい眺望、10年に一度の鮮やかな紅葉とそれまでで1番の山行だった。
M氏はもうこのブログ常連の人物だが、I氏はこの後数年して日帰りの山しかやらなくなったので初登場だ。今後南アルプスの「荒川三山と赤石岳」他に登場予定。
前夜新宿からの夜行バスに乗り、上高地に入った。
1995年9月29日-10月1日(山中2泊3日)(M氏、I氏同行)
1.初日
上高地から涸沢ヒュッテ
5:50-6:40明神7:50-8:30徳沢-9:45横尾-11:15本谷橋12:20-14:20
早朝だと言うのにこの人混みはなんなんだ。いくら上高地といってもすご過ぎないか。
なんかとんでもない夜になりそうだ。
退屈な歩きで横尾に着いて、槍に行くという昨夜のバスでM氏の横に座った中年女性とお別れだ。
M氏が「槍なんか止めて俺達と一緒に涸沢に行こうよ」とナンパしてる!
おいおいそりゃあいくらなんでもちと無理でないか。
予想通りにオヤジ三人で仲良く歩き出したが、左に屏風岩が大きい。後ろには蝶ケ岳の稜線が霞んでいる。
本格的な登りが始まる本谷橋で昼飯とするが、あちこちに食事や休憩のパーティーがいる。
色づいたなか、稜線を右手に見ながら黙々と足をあげる。石の階段が現れ小屋の近いのを知らせてくれた。小屋に着き、おでんを売っているテラスに出て文字通り絶句!
青空と岩壁の下に黄色と赤、緑の塊があっちこっちで虔を競っている。
うーん、すごいの一言。噂には聞いていたがこれほどとは。三人とも無言で呆けたように突っ立ている。丹沢の紅葉など横綱の前の取りてきみたいなもんだ。恐れ入りました。
おでんとビールで小腹を満たしながらしばしこの絶景を楽しむ。もう2度と見られないかもしれないんだから、しっかりと瞼に焼付け、脳に刻み込んでおこう。
至福の時間の後は対照的な難行が待っていた。夕食の後のフトンの割り当てで2人で1枚と言っている。「ゲェッ、汗臭いオヤジと同衾かよ」と明日の本当の地獄を露知らず、暢気なことを口走った。
まああの紅葉を見たんだから我慢するかと自分を納得させて何とか寝た。
2.二日目
涸沢ヒュッテから北穂-奥穂、涸沢小屋
5:15-8:35分岐ー8:50北穂高岳-9:30分岐-11:45涸沢岳-
12:30-穂高岳山荘12:50-13:20奥穂高岳-14:00山荘-16:00
さあ今日は楽しい岩稜歩きだ!張り切って歩き出したが、いやあー何度見ても素晴らしい紅葉だ。朝日に輝く稜線といい、天下一かもしれないと本気で思う。
北穂南稜への登り始めで短い梯子が出てきたが、この数年後だったか続けて2人の女性が滑落死したらしい。
後ろを振り向くと涸沢カールの色とりどりのテントの上にゴジラの背みたいな前穂高岳がボリューム満点。
分岐からわずかで待望の北穂頂上だ。大キレットの先の槍が鋭く天を突いている。
ここも眺望の絶景だ。真西正面に笠ケ岳、そのはるか彼方に案外と大きい白山、黒部五郎岳、槍、常念、蝶、南アルプス、富士、前穂とまあ豪華絢爛たる山岳風景だ。
北穂の小屋はこじんまりしていて混雑時は大変だろう。しかし涸沢まで2時間もあれば降りるだろうからいいか。
さて先は長いし、あまり岩が得意でない2人なので奥穂を目指そう。
分岐の先のドームを廻りこんだ先のテラス状の岩で軽く食べる。
一旦鞍部まで下り、今度は涸沢岳へ登り返す。なんともダイナミックな登下降ではある。
途中で行き違った2人組が真下で休んでいる。落石を起こせば大変だ。北穂を少し登った所で休むべきだろうがといっても始まらない。慎重に手足を動かす。
廻り込んで滝谷側に入った所で女性二人が座り込んでいる。キレ落ちたトラバースだが下を見たら恐怖で足がすくんでしまったらしい。ホールドはしっかりしているので3点支持さえやれば何でも無い所なんだがなあ。このままじゃあまずかろうと、足の置き場を教えてなんと越えさせた。片方の若いのが山慣れていなくてトラブったらしい。
いつまでもかまっていられないので冷たいようだが先行する。
奥穂の小屋が見えると今度はザレの下りだ。こっちの方が厄介なんだが、転倒もせず無事到着。
小休止して奥穂を目指すが、テント場が超狭い!こりゃスペース確保は大変だぞ。
テント派には稜線上でもあるし、ちと使いづらいテント場ではある。
登りだしてすぐの梯子で大失敗。直径5cm程の石を落としてしまった。ガラガラと派手音をたてて落ちていったが道を外れていて事なきをえた。危ない危ない。
奥穂の頂上からはジャンダルムが案外と丸っこく見える。予定では奥穂の小屋に寝て、前穂から岳沢へ下山の予定だったが明日が天気悪そうなので今日降りることにした。
ザイテングラードを降りるので小屋に戻ってみると先刻のオネエ達がいて若い方が泣いている。
緊張がとれてホットしたんだろう。頑張ってちょうだい。
岩道を一気に駆け下るが後続の2人がついてこない。横尾は諦めて涸沢小屋泊まりに変更。
これがとんでもない地獄行きの選択だったとは。まあちょっとは救いがあるんだが。
行動時間が10時間を超えていたし、まあ妥当な判断だったとは思うが、想像を絶する客の襲来だったのだ。
夕方テラスに出てみると、件のオネエ達がいた。明日は沢渡に置いてきた車で帰るというので、松本まで送ってもらうことにする。時間調整がちと難しいが、何とかやれるだろう。
さて地獄とは何とフトン一枚に4人だと!!
頭と足を入れ違い、つまりオイルサージン状態に、おまけに横になってくれだと?!
なんてこったい。トイレにでも行った日には空間が無くなってるじゃないか。まったくとんでもない事になったぞ。
この時は野宿のやり方も知らなかったし、諦めて指示通りに横になって寝たが、その後寝たのか、はたまたトイレに起きたのか、全く憶えていない。あまりの悲惨さに脳細胞が自壊したのかもしれない。
最終日の3日目はオネエ達と無事ドッキングして、沢渡から松本まで送ってもらった。
まあこれがあの地獄でチラっと垣間見えた天国の空というわけだ。
次回はY氏と歩いた秋の奥又白池。