まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

サランラップ

2022-09-04 09:03:24 | くらし

もう、太陽を拝んでいないと八つ当たりしたら、どこに当たったのか午後になって
キラキラとまぶしい太陽が顔を出して。そう、八つ当たりした効果がでたというもの。
で、また今朝は曇り空。今度は狙いを定めてあちら方面に八つ当たりしようか。

私はあまり過去のことを思い出すということがない。どうでもいいことは覚えているけれど。
あの時ああすればよかったと悔いることは少ない、そりゃあ多少あるけれどすぐに
「そんなこと言ったって」と脇にどけてしまう、それでおしまいにする。
これだけはめんどくさい性格の中で、なかなかいいんじゃないかなと自画自賛する。

でもでも。
台所仕事をしている最中、サランラップをピッと切ると実家の台所の光景が浮かぶ時が
ある。
狭い狭いウサギ小屋そのものの家、台所なんてほんの横長2畳くらい。
暑くて寒くての台所で母は90歳まで立っていたのか、と思うとさすがにちょっとね。

その台所、流しの前の壁に棚があって、その棚に吊り棚が下がっていた。
そこに使いまわしたサランラップが何枚もぶら下がっていたの。
父も母も、使ったサランラップを両面水で洗って吊り棚にぶら下げるわけ。ラップの干し物。
もちろんひどい汚れが付いたときはさすがに捨てていたけれど。

私は母が倒れる1年位前から、月に1回1週間くらい実家に帰って手伝っていた。
そして帰るたびに、台所のサランラップぶら下がりを目にして、ちょっとなんか貧乏くさい
と言おうか、何もそんなことまでしなくても新しいのをピッと切って使えばいいじゃないか
と思っていた。思ってはいたが黙ってそれを使った。

昔人間の両親にとっては、サランラップは新しい非常に便利な物だったんでしょうね。
それだけに、まだ使えるものを1回で捨ててしまうなんてもったいないと思ったのでしょうね。二人とも几帳面だったから、きちんと洗って干して。
今でもその光景が浮かんでくる。

だんだん両親の年に近づきつつある私も、いつのまにかサランラップ使いまわしを
している。
あれっ、とそんな自分に気が付いて苦笑している。
ずぼらでだらしない私は洗うなんてことはしない、何かがくっついていないな、きれいだな
と確認してからの使いまわし。
そのうち、多少の汚れなら洗って使うようになるのかしら。

 

コメント (5)
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