雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話ー66

2007-07-03 05:50:39 | カワサキ単車の昔話
アメリカ視察旅行


1972年1月、全国の二輪車販売店約100店が参加してのアメリカ視察旅行を行った。
35年も前の話で、多分日本で始めて行った販売店の団体での海外視察旅行だったと思う。

70年頃から、カワサキもA1,H1,W1など大型スポーツ分野へと進出し、
従来の実用車の地方主体からようやく東京、大阪、名古屋など都会への進展を急速に進めていた頃であり、大型スポーツ二輪車専門店の育成を目的に実施されたのである。

まだ世の中の二輪車販売は、自転車屋さんが主体で二輪車専門店など珍しい時代であった。
私も始めての海外旅行であったが、参加した全員が多分始めての海外旅行であった筈である。

大型スポーツが主力のアメリカの市場とはどのようなものか。
ディストリビューターKMCは、 デーラーは、 スポーツイベントやレースは。
こんなマーケッテングのための視察旅行であったが、今思い出しても新鮮で、はじめての多くのことを学んだ。まさに新しい世界を見たという印象であった。

1月8日に羽田を出発して、
9日  トレールランド、サウンドバックパークとデイズニーランド見学
10日 KMCとロスのデーラー見学
11日 ロス近郊のヨットハーバーなど
12日 サンフランシスコでデーラー見学
13日 サンフランシスコ見学
14日 ハワイ
15日 ハワイから羽田へ

というスケヂュールで至極真面目なものだった。
参加した販売店も若い販売店主が多く、全般的には何事も学ぼうという姿勢が強かった。
はじめてのものを、直に見聞するということが如何に人々にとって刺激的なことであるのかよく解ったし、文字通りのいい体験であった。



ただ、全員がはじめての海外で初体験のことばかりで、いろんな面白いことにもいろいろ出くわした。

誰かがホテルのロビーで少し酔っ払って大声で話していたのを注意されたのだが、英語がダメでよく理解できずウロウロしていると、警備員がピストルを持って駆けつけたと、私に連絡があったりした。
やっと、事の次第が解ると、今度は日本流に「迷惑をかけた」とお詫びのしるしにタバコを買って配るなど、周囲をビックリさせる出来事もあった。

今では、笑い話だがその時は大変だったのである。
その張本人は、昼間のデーラー見学などでは超マジメナーーのーーさんだった。

日本流での当時の風習とは全然違って、食事のときの飲み物も一人ひとりに聞いてくる。
今ではそれも普通だが、「ビール」と頼むと「どこの銘柄」、その銘柄の名前が解らない、ヤット運ばれると1本づつその場で精算する、チップが要るなどの慣習は全くはじめてで、それに慣れた頃にはアメリカ本土はお終いだった。

先方も日本人の団体旅行などはじめての経験のようで、どちらもお互いにビックリした経験であった。

ハワイでのさよならパーテイは、やっと慣れた日本式で行われみんな大満足であった。
銘柄などには拘らずさされるままに酒を飲む日本流はいいものだ、ということがよく解った。


この視察旅行は、私は全国カワサキ会の関係から団長格の参加で、事務局としては北村敏、野田浩志さんがいたのだが、販売店はどうしても顔なじみの私にいろいろ言ってくるので、その対応に終始大変であった。
英語も全然喋れず「大学出も大したことはない」と冷やかされたりした。

ハワイの頃には疲れ果てて、ずっと部屋に閉じこもり切りで、ハワイの青い海もろくに見ないままで帰国したのである。


一番多く参加した東京からは、北多摩、城東、城南、城北、城西などそれぞれの地区からその地域のグループ単位での参加であったし、東京地区が一番元気に全国を引っ張っていた懐かしい時代でもあった。

大阪からも、船場モータースの岡田さんや西形さんなど。
会社側からは東京の佐藤君、大阪の宮本君(現滋賀カワサキ)などが参加した。

この旅行の後、カワサキの特約店制度が具体的に展開されていくのである。


台数はともかく、国内の販売網政策ではその後も業界を終始リードしたカワサキの幕開けみたいな、アメリカ視察旅行であった。
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