雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

鈴鹿8耐30周年

2007-07-28 05:41:15 | M/Cレース
鈴鹿8耐がこの週末30周年の記念大会である。

朝日新聞なども連載で30年の8耐の歴史を振り返っている。
丁度その真ん中の1990年からの何年間か8耐のど真ん中にいたような、そんな夏を毎年経験していた。

鈴鹿に20万人近い人たちが押し寄せ、8耐が一番華やかだった時代である。

30年の歴史の中で、カワサキが優勝したのはたった1回、1993年7月25日、ラッセル、スライトのコンビで悲願の優勝を果たしている。



カワサキが耐久に弱かった訳ではない。むしろその逆である。
耐久の本場フランスのルマン24時間では当時2連覇を達成している。
そのフランスのチームをKAZEのスポンサードで何度か招んだりしたのだが、それでも勝てなっかった。

8時間の鈴鹿耐久レースは独特の高速耐久で、それなりに非常に過酷なレースだったのである。


当日の日記には、
「8耐ウイークがまだ梅雨の明けない異常気象で雨の心配のなかスタートした。----本当に優勝はあっけなく手中に入った。夜スポンサーのイトーハムや高橋鉄郎さんらと祝杯を挙げた。
日本航空高校チームの参戦などもあって、カワサキが8耐の話題を独占した。」と書いている。

そして、あけて26日の日記、
「独り鈴鹿から車で帰社、午後の営業報告会はシャンパンでの乾杯から始まった。
岩崎君が出席していなかったが、彼が一番ほっとしたと思う。モタースポーツ部が出来た年に優勝できてよかったと思う。----」とある。


当時、カワサキはレース界からも注目されていて、
スポンサーもイト-ハムやまんだい、
さらにはアート引越しセンターが「0123のゼッケン」で出場するなど話題を集めていた。
実現しなかったが、朝日でも紹介された千石さんが、「カワサキで」と島田しんすけと明石まで訪ねてくれたりした。

なんとしても優勝したかった頃である。
モータースポーツ部が出来て、岩崎茂樹君が部長で担当した。



今年の8耐に出発するチームの 「はらださん」 から先日。
「今から8耐に行ってきます。 岩崎さんもどこかで見てくれていると思います。」 とコメントが届いた。

カワサキが唯一優勝を果たしたときのマネージャー岩崎茂樹君も故人になってしまった。


でも、いろんな人がいろんな想い出を持っている鈴鹿8耐である。
30周年の記念大会の今年はどんな結果になるのだろうか。
コメント (6)
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