大阪桐蔭の強打者中田翔君が高校野球のホームラン記録を更新して87本目の新記録達成のニュースがマスコミを賑わしている。
今年で夏の甲子園は89回を迎える。愈々、夏の大会である。
永い歴史と伝統を誇る高校野球もその様相は、一昔前から見ると一変している。
もう60年近くも前に、10年間野球に熱中した。
我々の時代から見ると、その環境だけでなく野球というスポーツそのものが別世界のようなレベルにあると思う。
昔のOBたちは「俺たちの時代は」と威張りたがるが、こと野球の技術に関しては比べること自体が無理である。
練習方法も、基礎体力も、試合の数も、ピッチャーの投げるボールの種類も、内外野の守備のやり方も、よく基本に忠実にと言われるが、その基本の部分すら変わっていると思われる。
大体ホームランとはランニングホーマーのことだった。
甲子園球場にはラッキーゾーンがあったが、それでも柵越えは難しかった。
外野手が片手でボールを取ることなど考えられなかったし、内野の守備も様変わりしている。
野球に限らず記録で明らかな水泳などでも、昔世界記録で騒がれた、古橋、橋爪の記録など今は普通の人が出すタイムになってしまっている。
水泳といえば、肩が冷えるから水には入るな、は常識であった。
一番違っているのは、やはり練習方法が科学的、技術的に進歩していることだと思う。
基礎体力の重視、一つ一つのプレーのレベルの向上に主眼が置かれて、その積み重ねが現在の高い水準に繋がっている。
全般のレベルが圧倒的に昔に比べて高くなった。それ自体は非常にいいことだと思う。
高校時代、名門と言われる野球部に籍をおき、夏の甲子園にも出場もした。
然し、打撃でも守備でも個人的な技術について詳しく指導を受けた記憶は少ない。
バント守備やバックアップ、ベースカバー、中継の仕方などチームプレーばかりやっていたような気がする。
昔の運動部は野球に限らず、技術もさることながら、チームプレーや精神的な面が必要以上に強調されていた。
野球の技術よりは一種独特の、連帯感や人間形成がそこから生まれたような気がする。
野球でも他のスポーツでもスターになれる、注目を浴びる人は一握りである。
甲子園に出場したからといって、全ての選手が注目される訳ではない。
そんな一般の運動選手たちが、運動部の生活で得た技術以外のもので「一生お世話になる精神的なもの」、この方の分野も野球の技術のように進歩すればいいのだが、
これはよく解らぬが、昔のままか或いはひょっとすると、と思ったりするのである。
ひょっとすると、この分野だけが「俺たちの時代は」と威張れることなのかも知れない。
マスコミのスターへの報道姿勢も、
それを何の疑いもなく受け容れる世の大人たちも,
少し考え直す必要があるのではないだろうか。
中田君の記事を見て、また騒ぎが起こるのかと、思ったりしている。
今年で夏の甲子園は89回を迎える。愈々、夏の大会である。
永い歴史と伝統を誇る高校野球もその様相は、一昔前から見ると一変している。
もう60年近くも前に、10年間野球に熱中した。
我々の時代から見ると、その環境だけでなく野球というスポーツそのものが別世界のようなレベルにあると思う。
昔のOBたちは「俺たちの時代は」と威張りたがるが、こと野球の技術に関しては比べること自体が無理である。
練習方法も、基礎体力も、試合の数も、ピッチャーの投げるボールの種類も、内外野の守備のやり方も、よく基本に忠実にと言われるが、その基本の部分すら変わっていると思われる。
大体ホームランとはランニングホーマーのことだった。
甲子園球場にはラッキーゾーンがあったが、それでも柵越えは難しかった。
外野手が片手でボールを取ることなど考えられなかったし、内野の守備も様変わりしている。
野球に限らず記録で明らかな水泳などでも、昔世界記録で騒がれた、古橋、橋爪の記録など今は普通の人が出すタイムになってしまっている。
水泳といえば、肩が冷えるから水には入るな、は常識であった。
一番違っているのは、やはり練習方法が科学的、技術的に進歩していることだと思う。
基礎体力の重視、一つ一つのプレーのレベルの向上に主眼が置かれて、その積み重ねが現在の高い水準に繋がっている。
全般のレベルが圧倒的に昔に比べて高くなった。それ自体は非常にいいことだと思う。
高校時代、名門と言われる野球部に籍をおき、夏の甲子園にも出場もした。
然し、打撃でも守備でも個人的な技術について詳しく指導を受けた記憶は少ない。
バント守備やバックアップ、ベースカバー、中継の仕方などチームプレーばかりやっていたような気がする。
昔の運動部は野球に限らず、技術もさることながら、チームプレーや精神的な面が必要以上に強調されていた。
野球の技術よりは一種独特の、連帯感や人間形成がそこから生まれたような気がする。
野球でも他のスポーツでもスターになれる、注目を浴びる人は一握りである。
甲子園に出場したからといって、全ての選手が注目される訳ではない。
そんな一般の運動選手たちが、運動部の生活で得た技術以外のもので「一生お世話になる精神的なもの」、この方の分野も野球の技術のように進歩すればいいのだが、
これはよく解らぬが、昔のままか或いはひょっとすると、と思ったりするのである。
ひょっとすると、この分野だけが「俺たちの時代は」と威張れることなのかも知れない。
マスコミのスターへの報道姿勢も、
それを何の疑いもなく受け容れる世の大人たちも,
少し考え直す必要があるのではないだろうか。
中田君の記事を見て、また騒ぎが起こるのかと、思ったりしている。