雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-67

2007-07-18 05:39:45 | カワサキ単車の昔話
このところ 「カワサキ単車の昔話」 のアップの頻度が落ちているが、
決して種切れになった訳ではない。

書きたいことはいっぱいあるのである。


一番書きたいと思っているのは、「カワサキが一番苦しかった」頃の 「大庭さん時代」である。 
当時一緒に苦労した高橋鉄郎さんや田崎雅元さんのことなどいっぱいあるのだが、まだ田崎さんが現役会長なので、少々書きにくい部分もある。

この部分はボツボツにして、もう少し先に延ばしたい。


今、1988年以降のことを少し纏めている。

この年の10月、私は3度目の国内担当に任命された。
前回担当した頃の、販社の経営再建などの時代とは違って、大庭さん時代の「苦しい時代」を何とか乗り越えて、国内市場は文字通り最重点市場という位置づけであった。

高橋鉄郎さんに数値目標としては、
「売上高400億、台数7万台、KHIの国内の限界利益100億」
をお約束してスタートした。
そのベースは「カワサキのイメージ向上」「二輪車のイメージ向上」であった。


もう55才だったし、最後の担当だと思ったので今までの経験の集大成として、面白いことやりたいことを何としてもやりたかった。

この時期、二輪業界そのものはどちらかというと衰退気味ではあったが、
全体に新しい時代であったこと、カワサキのニューモデルゼファーが予想できないほどよく売れたことなどもあって、二度とこんな時期は無いと思えるほどの絶好調の時期が4年間ほど続いた。

カワサキの環境もよかったが、今、振り返ってみるとよくまあこんなことをよくやったとわれながら感心するほど沢山のことを同時進行でやっている。

その殆どが業界初とか日本初などが多く、こんなプロジェクトを一緒にやってくれた当時のカワサキの仲間たちにも、特に「進む方向に共感して」一緒に協力して頂いた外部の方たちに感謝したいと思っている。

単にモノを売るところから脱却して「ソフトや遊びの事業化」や「仕組みシステム」での販売など、レースやサーキット、ショールーム展開などをベースに楽しく明るいことが多かったので、遊びと仕事を一緒にしている感じであった。
手伝ってくれた人たちもそれぞれ「かっこよくて」 面白かった。

当時から有名人であった、岩城洸一や島田しんすけなどもいたが、
まだまだ若くて今からという業界のいろんな人たちとのお付き合いが懐かしい。
そして、そんな方たちが20年た経った今、それぞれの立場で活躍されているの嬉しい限りである。


10年一昔というが、もう20年になる。
私にとって「つい最近のこと」と思っていたが、20年も経つと「昔話の範疇」に入れてもらえるのかと思う。

そんなことで、メモしてみたが面白そうなこといっぱいなので、気長にあわてずにアップしていきたいと思っている。
コメント
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