飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

資本主義経済の終焉!!⑩

2008-11-30 17:38:58 | 日本

投資という名の投機!!
あるいは詐欺!!


 投資とは?
投資(とうし)とは、主に経済において、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す(現代において、生産能力の増加しない商業活動はこれに含まない)。広義では、自己研鑽や人間関係においても使われる。:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)》

Moontworg4

<火星の木材?:記事に無関係>

 先日、海外投資セミナーに嫌々ながら、参加した。無碍に断るのも大人げないことと、一々論駁するのも、億劫に感じたからだ。そこで話された投資話とは、決して詐欺話ではない。海外バンクでの資金の運用を、各国通貨で行う重要性と必要性を説くセミナーである。


 一見、至極もっともな解説である。現在の金融崩壊の中で、取りわけ、財政破綻の叫ばれる中で、日本の国内での資金運用では無理がある。リスクがある。悪くすると、全財産失う危険がある。確実に貧乏への道が待っている。その為には、自己責任において、投資先を選択し、海外に資金を移動し、高配当の運用をするべきであり、多くの富裕層は既にそうしており、それが常識の投資行動である。というモノであった。


 具体的な投資バンクや、ファンドについては割愛するが、投資収益率は少なくても5%以上。ファンドに依れば、12%以上、多い時には15%以上の複利で運用が可能であるという。現在、多くのファンドは、収益率を落としているが、その中でも優秀なモノは、10%以上の運用実績を誇っている。国内での運用益(1%内外)に比較して、雲泥の差である。為替差損を考慮しても、はるかに運用益が見込まれるし、通貨を自由に選択すれば、判断により、そのリスクも回避出来る。という。


 従って、まともな解説である。

Site_b115_navcam_180_cyl_lb118r1

<遠景!クリックすると拡大>

 しかし、これは投資と言うより、投機に近い話である。そもそも投資とは、《将来的に資本(生産能力)を増加させる》為にあるというのであれば、投資収益率はマクロで経済成長率内外のモノでしかない。それで充分である。それが本来の投資というモノである。それが10%以上、すごいのになると20%、さらには30%近くにもなるという。


 ちょっと待て、と言いたい。それは間違いなく、金融工学というシロモノを用いて、実体経済からレバレッジを効かして、投機市場を介在しなくては成り立たない数字である。その事を何ら説明せず、投資と呼ぶこのセミナーは、本質的には詐欺性を否定出来ない。

Moonthreetd7

<何だ?これは........>

 こういう発言をすれば、このセミナーにおいて総スカンを食らったであろうから、一言も発言をしなかった。これは、本質的には投機セミナーである。


 こういうセミナーは、数多い。そして、なけなしの金が海外に逃避する。本来、お足として、国内経済にを潤すべきマネーが、いささかも国内に循環せず、マン島かどこかは知らないが集積され、ブラックホールに吸い込まれていく。これが実情である。


 投資は、足下に成されてこそ経世済民の真の投資である。


 実質経済を、直接刺激してこそ、真の投資効果である。経済効果を伴わない投資は、投機である。投機を選択するのは個人の自由であるから、文句を言うつもりはないが、そのリスクは、本人が考えるより大きいと言うことを警告したい。


 その理由は、そうした投資を煽る勢力は、煽られる個人よりも金融工学において、より専門的知識を有しており、資力が大きく、何よりもはるかに大きな利益を当て込んでいるという、厳然たる事情がある。賭博場に通う若旦那が、その賭博場でしこたま儲けたという歴史はない。ただの良い客の一人にしか過ぎない。


 その金融工学すらも、破綻しかけている。いや、その金融工学を持ってして、取り込め詐欺の最終章を演じているのかも知れない。いずれにしても、胴元が勝つようになっている。博打の本質はそうであるように、投機も基本的には同じである。


 そもそも、銀行体制は、無数の地方銀行から、少数の都市銀行へ、各国の中央銀行から世界銀行への富の集中・集権化にある。その為の罠である。それが、準備制度であり、マネーの信用創造である。架空のマネーが時には、経済の潤滑を果たすであろうが、その権能は、架空であるが故に収縮を目論めば、マネーは幻と化す。その権能を誰が握っているのか、考えれば分かる。決して、国民でも、市民でもない。国際金融資本である。現行の銀行制度、マネー制度には、詐欺性が有ると言っても過言ではない。


 消えたマネーは、姿を変え、ブラックホール(国際金融資本)の元に流れ込む。金であったり、資源であったり、食料であったり、とにかく、人間の生殺与奪の権能として流れ込む。それを阻止する事が出来るのは、誘いを絶つこと以外にない。


 人はパンのみにて、生きるにあらず。マネーのみにて生きているのではない。利益欲望の精神から離れ、カイザルのものはカイザルに与え、素朴に隣人と共に助け合いを取り戻すことである。それ以外に無い。