考えてみれば、
ほとんどの病気は文明の進展と共に増大している・・・
最たるものは、放射能被爆だ!
公害病だ!
癌だ!
過食は肥満を生み、
生活習慣病を併発する・・・
簡単な事である。原点に戻る必要がある。
はたして、世にこれだけの医業、薬業が氾濫する時代は、可笑しい。
医原病が多発し、薬害でさらに病人が増える。抗ガン剤に至っては、それが原因で、確実に死ぬ。その死因は、90%以上癌ではない。一括りにすれば、多臓器不全である。
今、現代病の多くは、医原病であり、薬害であり、生活習慣病であり、ゆがんだ文明のストレス病であると断言しても良い。
翻って、自然界に目をやってみると、放射能等環境破壊を除くと、難病・奇病は見られない。ほとんど見受けられないと認識している。
環境破壊が、諸病の頻発を招いたのは、歴史的な事実である。
これは、その後の環境改善の努力が、公害病等逓減(ていげん)を達成した事からも分かる事だ。
しかしながら、
目に見えない環境破壊が止まったとは、とうてい言えない。それは目に見えない放射能などはその典型で、東日本大震災を契機に放射能問題が脚光を浴びる事になったが、それまではひたすらに隠されてきた。
微量の環境ホルモン因子なども、近年、ようやく注目を集め始めたばかりである。
こうしてみると、どうも欲望を主体とした文明が、増大する諸病の根源と思われる。欲望とは、現代の拝金主義である。
医は仁術だと言われているが、ほとんど、算術である。薬業も同じだ。膨大な研究開発費の回収がその大きな目的であるし、その研究開発と言ったって、如何に利益が見込まれるかにその焦点が集約される。
抗ガン剤などは、その典型で、ほとんど毒物であるが、抗ガン剤となると数十万円/gという、夥(おびただ)しい金額になると言われている。そして、その効能効果は、ほとんどインビトロ(試験管内)の結果で、加えて取って付けた動物実験だ。
ガン患者は、今、最も医業・薬業の上得意客である。そればかりではない。保険業界では、ドル箱商品がガン保険だ。だから、日米保険競争が激化する。
健康保険なども、公的保険が疎んじられて、民間参入(特に外資)が企図されているが、それは儲かるからである。それを後押ししているのが、メディア広告宣伝であり、その留めがTPPである事は、ほとんど知られていない。
心臓病などは、最も病院に歓迎される病気の一つだ。生かさず殺さず、多額の医療費が見込まれるからだ。おそらく、検査漬けの毎日で、高額医療費が支払わされる日々が続く。ひどい事例では、同じ検査を何度も重複して受ける羽目になる。
こういう事なら、公的保険の高額医療対象になるから楽だと思わされる事態が招来している。これは本質的にはモラルの問題だが、氷山の一角だ。
まさに、医は算術である。
それでも完治するなら、結構であるが、なかなかそうはいかない。
環境破壊などは、欲望の典型から生まれていると言って、差し支えなかろう。原子力発電などはその極致で、その試算などは総合試算でなく、利権試算で成り立っている。補助金その他は含まないのだ。ハイレベル放射性廃棄物処理など、敢えて触れない。見え透いた原子力推進のための作為試算だ。
これが現代の文明の本質である。目先の欲望を追求した文明なのである。
このことに気づかなければ、誰でもその犠牲者なりうる。
病気になって、病院に行っても遅いのである。病院は算術であるから、その理に叶わないものは捨て置かれる。膨大な投薬と、検査漬け。これが実体だ。
医薬分業と言うが、これは形式的だ。経営分業であるが、資本分離ではない。
そういうわけで、真に健康的な生活を維持しようとするなら、医業・薬業の本質を見抜き、自己防衛策を考えなければならないだろう。
勿論、その根底は、生活の節制をおいて他はない。因果律という考えからすれば、原因のない結果はあり得ない。病気の原因も、日々の生活の積み重ねに起因している。
節制とは、自己統御である。腹八分、医者いらずは今に箴言(しんげん=戒め)である。それを抜きにして、やりたい放題は、必ず、生活習慣病を惹起する。そして、ドッグに駆け込んでも、病名が新たに確定するだけだ。
ガンと告げられようものなら、それでアウトである。その時からでも遅くはないから、節制する以外に生きる道はない。先ず、精神的にダウンして、自己免疫は失墜するし、治療を頼むと、切り刻まれるか、抗ガン剤漬けになる事は間違いない。
実際、ガン検診でガンが見つかった患者の死亡率は、それ以外の場合よりも高いとの説がある。にわかに信じがたいが、どうも本当のようである。
笑えば、免疫が上がる。これも最も容易い健康法だ。
ところが、ショックで落ち込んだり、ストレスを強く受けると免疫は下がる。検診でビクビクするばかりでは却って逆効果だろう。
もしも、ガン宣告されたら、即座に悔い改める事が必要だ。何をか?これまでの生活についてである。同時に、「食い改める」必要がある。
そして、新たに生き改める事だ。まずは、原因を外に求めるより、内に求める方が手っ取り早い。
これまでの生き方は、生き方として新たな生き方を始める。全く正反対の生き方が良かろう。一つの人生で二つの生き方を模索する。これが一番だ。
どうしてかというと、すべての原因は、自分にあると考える事が必要で、そうすれば調和する。勿論、放射能禍という外的要因の存在する。それすらも対処の仕方は、ないとは言えない。具体的には個々それぞれであるから、書ききれない相談だが、大まかには反対の道を行けばその可能性があると考えられる。
くよくよ生きてきた人は、大胆に生きる事だ。
どうせ、人生は始まりがあれば、終わりがある。これは誰にも逃れられない宿命である。その宿命の人生を、悔い改め、食い改め、生き改めるチャンスと思う事が必要だ。
大体、執着するから、同じ現象が付きまとうものである。解脱とは解き脱ぐと書いてある。投げ捨てる必要なときかも知れない。一つの人生で別な生き方をするとすれば、一方を捨てなければならない。
そして、
医者などに頼ってはならない。医者だけではなく、何でも外に頼ってはいけない。
有名なヒポクラテスの言葉を借りるまでもなく、『治すのは、自分。医者は手助けするだけ』だ。しかし、その医者が、最近は何でもかんでも手術や抗ガン剤、その他諸々の薬に頼っているから、そういう医者には頼ってはならない。
こういうと、すべてに医者が悪いと言う風に聞こえるであろうが、そうではない。ヒポクラテスは良い医者だろう。それに類する医者は良い医者であると言う事だ。そういう医者を捜す事は、何よりも大切だ。
あまり書きすぎると、何を伝えたいのか、曖昧になるから戻す。
要は、
執着も欲望の所産であると言う事だ。依頼心もそうだ。大体、何が何でも生きようと言うのは執着である。生きているのが不思議、と言う感覚で生きるのが丁度良いと思う。生きようとして生きるのは、生かされている事を、こっとり忘れている場合が多い。
日常吸っている空気の存在すら、気がつかない。肺気腫にでもなって、空気の有り難さが分かるのが人間だ。
病気は、生かされる有り難さを気づく機会でもあろう。
簡単な健康法というのは、一言で言うと、欲望を忘れる事だ。欲望を捨てよ、と言ったって、それは難しい事であるから、少しの間忘れる事だ。又、捨てると捨てきれるものではない。同時に、生きる欲望も、病気そのものも忘れて、別な事を考え、行動する。
そうすれば、自然と別な生き方を始める事が出来るだろう。
生かされている内は、死なない。もがくと苦しむ。溺れる者は、もがくからである。自然体で居れば、必ず、誰でも体は水に浮くものだから、鼻と口を空気中に出していれば、何時までも浮いていられる。
このことは泳ぎを知っている人は、誰でも知っている。私も知っている。
海では、波さえ穏やかならば、上向いて浮かぶ事が出来れば、昼寝する事が出来る。これは本当だ。少し、顔が日焼けをするが、可能だ。
俯せに水中に浮かぶと、わずかな水たまりでも人間は溺死する。
最後に、簡単な健康法を具体的に書いて終わる事とする。
先ず、この世で生きるという事は、食事が重要だ。というのは食はいのちそのものである。ガソリンは車のエネルギーにはなるが、ボディーにはならない。食は肉体をそのものに変わる。
その量は、最小限に止める必要がある。癌という字は、病だれに、品物を山のようにと書いてある。それも全きものを食す。これが肝腎だ。コメなら玄米が最適だろう。2食で十分だ。その他の副食は少ない方がよい。
食事療法などと余計な事は、考えない方が良い。ストレスを溜めるだけになる。ただ、有り難く頂く。食事は日常の医食同源だが、決して薬ではない。
病気の事は考えないようにする。病気は、病む気と書いてある。気が病むから、病気になるのである。何時の頃か、気が病む事があったから、病気になっているのだと考えて、尚も病気の事を考えるのは愚の骨頂であろう。
病気の99.99%は自然と治る。治ってここまで生きてきた訳であるから、間違いはない。
この期に及んで、考えても仕方がないではないか?
寿命と病気は関係がない。寿命が尽きたら、病気以外でも死ぬときは死ぬのである。病気の事を考えないでも、ある日突然死する場合がある。
それが増えているが、ある意味、それは幸いでもあろう。周りは大変だろうが、本人は確実にそれまで曲がりなりにも健康に生きたという事に間違いはない。
地震、津波、そして、日常的に起こる交通事故、その他の異変、決して少なくはないのである。病気で人は死なないのである。逆説的に言えば、これも当たっている。
生かされなければ死ぬし、病気で生きる事を失念すれば、死ぬ。
そして、免疫は大事だ。免疫は気づかぬ外的要因を防御する天賦のシステムだ。
人間は免疫があるから生きていられる。それを賦活することを努めよう。先ず、笑おう。明るく生きよう。これが最も手っ取り早い。そして、その賦活する次の策は、暖まる事だ。
風呂が良い。
日本人は長寿なのは、風呂好きが結構当たっている。私も風呂好きだから、得をしているかも知れない。確かに、良い温泉等に出会うと、三日位は長生きしたと実感する。
長風呂を推奨するのは、風呂好きだからだが、長生き感があるからでもある。我田引水であるが、浴用剤を推奨する理由がそこにある。
免疫賦活には、有益なものが少なくない。それも日本の世界に轟く「不老不死の薬草」がある。それが春ウコンだ。日本にしかないものである。「不老不死の薬草」とは、ちと言い過ぎだが、秦の始皇帝以来、そう言われてきたとの説がある。
他にもあるだろう。先人と賢人の知恵を今に生かすのは今だ。乳酸菌健康法など特筆すべき知恵だと考える事が出来る。専門ではないので割愛するが、是非求めてほしい。
とにかく、現代の化学合成薬は、人殺しの毒薬であるから、致し方のない対症療法にはやむを得ないとして、忌避する限る。
そして、
最後の最後は、代謝である。
生きるという事は、代謝している事を意味する。代謝とは、受け入ればかりではなく出す事である。受け入れてばかりで、出さないのは代謝不能である。これは万病の元だ。
勿論、摂食と排便は言わずもがなだが、目に見えない代謝が重要だ。
目に見えない代謝とは、細胞レベルの代謝であり、もっと言えば、元素レベルの代謝である。これらは目に見えない。しかし、確実に代謝して生命活動がある。
呼吸もそうだし、体内微生物活性は代謝の共生関係にある。そして、人は生きている、生かされているのである。この理屈は誰しも大凡は理解している。
そのためにフルボ酸がある。
黄色く輝く物体ーこれがフルボ酸!
商品名のフルボ酸の事を書いているのではない。鉄分も、フルボ酸鉄でないと代謝しない事を、かつて感づいていたから書くのである。詳しくは、カテゴリー『フルボ酸』を詳読頂く事として割愛するが、フルボ酸を体内に豊富にするとあらゆる病気から脱する事が出来る。
早い話が、頭皮だけにでも補うと、発毛する。
微生物発酵を活性化する。これは事実である。
又、
放射能を内部被曝を容易に脱する事が出来る。これを書くと狙われるかも知れないが、知っている者は知っている。
つまり、代謝が良いと常に健康でいられるというのは間違いがない。と言うより、代謝不全は即、死を意味していると言う事だ。又、言い換えると、死とは代謝不全の状態を言う。一般に機能不全、中でも心不全が死であるが、脳の機能不全が脳死である。
機能不全は、すべからく、代謝不全が昂進した結果である。
以上、思いつくまま書いてみた次第だ。あくまでも参考にしてただけると有り難い。
<告知>
ママプレマシャンプーがエコパウダーに変身!!
毛髪ばかりでなく、洗顔、ボディーにご利用できます。
使用感をさらに高めるため、増粘多糖類キサンタンガムの配合率を大幅にアップしました。
また、
複数の研究機関から副作用のリスクが指摘されたグリチルリチン酸ジカリウムと、牛乳アレルギーのリスクがあるラクトフェリンについては除外することとしました。
<詳しくは・・・>
http://bhajan.tumuzikaze.net/index.php?FrontPage