飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

1200年間、高野山奥の院から天下を睥睨する存在!

2013-01-15 20:34:07 | エッセイ風

睥睨(へいげい)とは、ジロリと見る事であるが・・・
その存在は、空海!
遍路の納め札の為に、高野山に登った!
あわや、大雪の一日前、
幸運であった!

 

 2日間のご無沙汰となった。書く時間もなかったが、書く気分を逸していた。

 

 根本中堂(壇上伽藍)を初めに、高野山真言宗総本山金剛峯寺、そして、その奥の院と巡るのである。幸い、大雪になる前の間隙を縫った。

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 1200年の歴史が滔々と感じられる場所は、そう多くはない。それが奥の院ではいやが上にも語りかけてくる。歴史上の人物・家系の墓所がスラリと並ぶからだ。

 

 それらは1000メートル級の山の中に、ひっそりと閉じこめられて守られてきた感がある。少なくとも1200年間は、変わることなく鎮座ましている事は間違いがない。

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 これからもそれは変わる事はないであろう。と言うことは、これからの1000年間、脈々と日本は存在していることを意味する。多事多難な世相を観るに付け、「大師は確かに生わしませる」と、妙な安心感を感じさせるのである。

 

 昨今は、

 

 外国人も大勢高野山には参詣している。さすがは世界遺産に登録された聖地の風情があちらこちらに見受けられる。観光客が大半だが、中には遍路姿もある。

 

 どこから涌いたかとも思うくらいの、僧侶の一団。袈裟の独特の色合いが辺りを圧倒する。思わず、パチリ!

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 とにかく寒かった。日中でも零下を記録する高地の聖地高野山であった。

 翌日は、京都の東寺を参詣する予定だ。何でも14日は真言院御修法(通称:みしほ)の最終日、つまり、結願(けちがん)の日だ。急遽情報が入ったので、回ることとした。

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 東京で大雪のあった日だ。

 平地は一部を除いて、概ね、雨だったが、大荒れで寒風吹きすさぶ中での催しは、圧巻であった。

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 真言宗総本山教王護国寺(東寺)ならではの行事である。

 勿論、別格本山の札納めの参詣も兼ねているが、まさに、天啓の好機となった。しかし、やはり寒かった。京都は寺の都、僧侶の数には少なからず驚いた。圧巻というのは、その文化土壌を目の当たりにしたからであろうか。

 面白いのは、旧皇居を有する京都でのこと、神事と仏教の当たり前の調和がある。詳しくは知らないが、「みしほ」の厳修最終日は、勅使の行列を見学に列をなしている一団に加わることとなった。

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 それが、思わず摂った写真である。

 序でに、国宝『金堂』、重要文化財『講堂』等見学を兼ねて参詣した。最後は太子堂に参詣し、納経を済ませたことは勿論である。

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 細君のお四国八十八カ所遍路のお付き合いであったが、思わぬ僥倖(ぎょうこう)を得た。寺回りは、中学時代の卒業旅行以来だが、あの時は格別の感慨が深かったわけではない。寧ろ、寺回りに辟易した思いが強い。

 格別の信仰心で遍路しているわけではないが、巡礼特有の清浄感と歴史に踏み込んでいく時の発見と驚きには、痛く、感動している。お陰で『般若心経』も諳んじる事が出来るようになったし、難しく意味を解すると言うより、自然と体感してくるのが面白い。

 般若心経は、まさしく、宇宙を悟った教えが満ちあふれている。

 元来、小難しい教説は好きではないが、真理の言葉は、何時の世にも麗しい響きがある。そして、常に変わらないものが真実なのだと痛感させられる。

 確かに日本という国には、いろいろの変遷はあるが、不変の真理が息づいているように思われる。実際、栄枯盛衰の時代に流れを、少なくとも1200年間、睥睨して存在があるのだ。それが空海(弘法大師)かも知れないし、東寺の大日如来かも知れないが、おそらく、建立当時のおもむきを今に伝えているし、変わらぬ厳かさを保っている。

 人間の付和雷同は埒外にして、変わらぬ静けさと不変の趣を湛え、連綿と今に生きていると安心するのである。

 日本は捨てたものではない!!