遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

pochipressさんの写真

2014-09-18 21:49:21 | ただの記事

見知らぬ方なのだけれど (ってゆすらうめさんも 男鹿人さんもリアルには存じ上げないけれど)

ツイッター上で写真を拝見する方がいる

ポチプレスさんというかた

ホホホ 懐かしい写真なの

私の育った町の氏神様なのだ

↓以下 ツイッター上のやりとり

Pochipress @pochipress 1時間

世田谷区松原三丁目の、松原の菅原神社。奉納絵馬のお堂があった。ここにも厳島神社と池がある。

 
 
 
 埋め込み画像への固定リンク
 
  •  
     
     
    ">

    私の育った町の氏神様!懐かしい写真をありがとうございます。子供時代ここで奉納される御神楽を見るのが好きでした。まだ舞台はあるのかなあ。今度行ってみます。写真保存させていただきました。ブログ記事で使っていいですか?

     
  •  
     
     
    ">
     

    いいですよ、pochipress とだけ書いてね。赤い神楽殿ありました

     
     
     
  •  
     
     
    " data-component-context="replies">

    ありがとうございます!!

 

 

わたしは住むところの氏神様が天神様ということが多く

天神様に親しみを感じる。

でも 小学校高学年のころは

この神社の境内に入ることができなくて

(何か神様というものが 私にとって禍々しく感じられ)

いろいろ家庭内事件を起こしたけど・・・

ここの神社のすぐそばに父の上司の家があり

そこに淡いピンクの椿が咲いて テーブルの上に出された練り菓子とそっくりの色だ!

と本当にそう思ったのに

食べたくて謎を掛けたと思われ

心外だったこととか

お庭で気づかずカエルを踏み潰しちゃったとか

いやはや 思い出すことがたくさんある

今度松原に泊まりに行くときはここ行ってみよう

わが母校 松原小学校も覗いてみたいが

小さく見えるんだろうなあ

 

ポチさんの写真

↓の絵の資料にも使わせていただいた

取材に行ったとき大川小学校の方へは行かなかったからだ

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばさんの話

2014-09-18 19:04:46 | ただの記事

今日の話は田圃のあるあたりの洪水の話

洪水 浸水というのは 私の子供時代にも東京下町ではあった

今では遊水地が作られたり

住宅は小高いところに団地を作って移転したりと

私が田舎に来てからは洪水の被害は聞いたことがない

 

火事の話もした

道路を挟んで斜め前のところが二回火事になったそうだ

何しろ藁ぶき屋根だったから

火の粉が飛んでくるのが怖くて

水を掛けては 類焼しないよう必死だったそうだ

息子が住んでいる家も

斜め裏の火事で類焼しそうになってご近所中でわが家に水を掛けてくれて

類焼を免れたことがった

 

思い出してみると

おばさんは自分の死んだあと

私におばさんのお話を作ってほしいと思っているのだった

聞いたことはここに貯めておかないとな

でも私の方が先に死ぬかもだけど・・・

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女中奉公

2014-09-18 17:38:51 | ただの記事

私の家は散らかっていて ひどいのだ

介護保険と家政婦さんの話になって

おばさんの家は家政婦さんは使える

わが家はダメ

私が要介護になったって

家政婦さんの手に負えたもんじゃない

だから私が要介護になったら片付けるのはあなたの仕事だ

と武蔵には言ったが

覚悟ができているかどうかは分からない

 

私の友達でやっぱりひどい片付けられない症候群の人がいて

遊びに行くと床から本や資料が生えていて日々増殖

彼女は お掃除をやってくれる人を時々頼むのだが

お掃除してもらえる状態まで片付けるのが

もう大変なの!と言っていた

そのうち掃除機ロボットを買った

「全然だめ!すぐつっかえて 使い物にならないわ!」と言ってた

 

わたしは考えた

この家に女中さんにきたと思うことにしよう

掃除ができなきゃ使い物にならないと首が飛ぶでしょ?

仕事だと思えば 頑張れるかもしれない と思った

でも今日は やっぱり絵を描いちゃわないと

と 絵を描いて昼間が過ぎ おばさんのところに行って夕飯

それでもうダウン

明日 女中奉公する でも買うべきものが一つ出てきた

そうするとうろちょろして家に帰る時間を延ばしたくなるなたぶん

 これ彩友会展用

前の展覧会の時 今度黄色い薔薇描こう?って誰かと言いあってたのだ

展覧会と言えば

風景画が圧倒的に多いのだ

花の絵と人物画もあるといいなという気もする

だから 今回は花の絵を出すが

如何にもアクリル絵の具の絵だけど

いいのだ しばらく修行だ

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の共通の話題は護国寺界隈

2014-09-18 07:21:28 | ただの記事

おばさんは昭和30年に東京に出てきた

というけれど

空襲の激しい東京で武蔵をおぶって逃げたという話を聞いたことがあるので

戦争中は東京にいたの?

と聞くと

護国寺界隈にいたのだわ

武蔵はそこらへんで生まれた

おばさんは何をしていたかというと

軍服を縫う仕事をしていたそうだ

その工場はどこにあったかというと

護国寺から大塚仲町に上がる坂の途中右側にあったそうだ

その坂の左側に友だちの家があったわ

話が弾んだ

 

ここの境内では

幼い武蔵も遊び

私も遊んだが出会ってはいない

武蔵が遊んだのは東京大空襲の前

わたしは終戦後すぐのころだ

ひ弱な子だったので(ハハ 嘘ではない)東大の分院に通っていたのだ

武蔵たち一家は三月十日の大空襲の直前に

ここ田舎に疎開したのだった

この近くにはまだ親族が住んでいて

お葬式か何かで一家そろって行ったことがある

そこでわが息子がちょろちょろしていたら

お年寄りが

「ああ!びっくりした!武蔵ちゃんが出てきたと思った!」

というのだ

わが子は幼顔はそっくりらしい

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする