この絵の文字が読めないと
どこに釈迦沢が描かれているのか
探るのに四苦八苦した
結局 この絵を描いている人の空間把握は
私とは違う ということが分かった
ふうん 日本画や 水墨画はどうなのだろうと調べ始めたら
面白い
だいたい私は自分の脳みそが普通だと思っているけれど
そんなことはないのよね
日本画も水墨画も風景を描いたものは(他のもだろうけれど)
図像学的に見なくちゃ
私のように脳みそが偏っている人間には
わからん
ということがだんだんわかってきて
こういうことを絵に生かさない手はないなと思った
わが家の4人は
空間把握がそれぞれ違う
だから一緒に車に乗ったり
どこかに行くとすぐ喧嘩になる
武蔵と私が一番酷く喧嘩する
わたしはどこかに出かけると
だいたいは鳥目線 空を飛んでいるように空間がジオラマ状態
だから 道を選ぶときは
三角形に辺の和は他の一辺より長い! と
運転手には理解しがたい細道を行け!とナビるので
叱られる
カーナビも勝手にメインストリートに誘導するから
嫌いなのだ
馬鹿!そっちじゃ遠回りだ!
といつもナビとけんか
だから 今車にナビはない
だからね 道が勝手にぐにゃぐにゃ曲がると
実は迷子になる
だけど
子供のころから迷子になって帰り道を探す遊びを遊んでたので
そういうのも好きなのだ
ともかく 水墨画の山々は 図像学的に見ればわかるのだと
わかって面白い
私も東洋人だから分ることのできる下地はあるはずなのだ
こういう風に東洋の絵の成り立ちのことを調べ始めると
自分の脳みそが
相当「科学的?」な空間把握だと思い込んできたものに毒されていることが
よくわかっていく感じがする
でもなあ もう一回生き直さないと
時間切れになりそうだ