遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

六道輪廻でいいわ

2014-12-05 21:39:51 | ただの記事

またまた面白いことを見つけちゃった

 

国宝展では 奈良博の地獄草子が面白くてたまらなかったが

地獄のことなんかよく知らないけれど

糞尿地獄 ここ 私行きそう

ほら 糞尿まみれの池で溺れてる

ここに鉄虫っていう虫が 噛みついて食い殺すんだって

見えるかなあ

大きな蛆虫みたいなの

 

それでね 鶏地獄の鶏 その怒り顔がすごいのだ

画像小さいねえ

よくもこんな絵を描けたなあ

この絵巻も成立に後白河院が関係しているのよ

その他 炎立つ のドラマの中では

後三年合戦絵巻が 後白河院の元で作られ

その模写が奥州藤原氏の元に届く話が出てくる

 

またまた 後白河院 だよ・・

 

炎立つでは 中尊寺 毛越寺

(手が滑った 毛越寺です あそこ大伽藍があったそうだ)

の本尊を作るのに 

制作を運慶に依頼し 京都にせっせと宝物を送り届けた

という話が出てくる

基衡の時

 

何じゃこれ!!間違っている

だいたい1151年生まれという運慶に

1156年?とかそこらで毛越寺再建した時に

運慶に頼むわけない

第一 運慶奈良仏師で 京都仏師に仕事をさらわれて

不遇だったのに 金銀財宝アザラシの毛皮 馬

仕事の謝礼にゲットしたわけがない

 

どこからそんな

私にもわかるデマをドラマに書いた?

と調べたら

 

嘘の大元が 吾妻鏡だと判明

うへえ!

それなのにその資料に基づく話が もう独り歩きしているのだ

 

業界で 問題にならなかったのか

またまた調べたら

問題になってたわ!

 

 

炎立つは海音寺潮五郎原作だけれど

海音寺氏の筆が遅く  また間違えた 高橋克彦氏でした ペコン

ドラマは後半 スタッフが先行して作って

話がだめだ と NHKと海音寺氏とはトラブッタらしい

 

この運慶話 多分スタッフは 吾妻鏡由来だから

正しいと思って

こんなうそ 取りいれちゃったのだ

 

ほらね 面白いことがどんどん見つかる

六道輪廻 繰り返し生き直せるならさ

もっと若くなって

もうちょっと頭もよくなれば

もっと面白く探検できそうじゃないね

 

糞尿地獄に落ちてもいいわ

 

 

 

 

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今年はたくさん亡くなり過ぎ

2014-12-05 19:30:45 | ただの記事

親族で言うと

おばさんの従弟

私の伯母

おばさんの姉

武蔵の姉

5人も亡くなった

 

有名人で 非常に近しく思う方もたくさん亡くなった

 

もうそういう年齢になったのか

今年多すぎるのかわからない

 

やがて 自分も死ぬな という気がしてきた

だんだんわからなくなって 苦痛かどうかも分からなくなって

そういう風の方が 死んでいく人には救いではないか?

というけれど

わたしは 気にする間もなく

一気に あっという間に死ぬのがいいな

と思う

でも残る方は あっけないと なんか

寂しく思うかもしれないし

充分介護してあげられなかった

と思って 残るほうが思い出しては 悲しいかもしれない

 

そうだな

あっけなく行っちゃった人は そのほうが当人は楽だったろう

と 思って残ったものは気持ちを安らかにしたほうがいいだろう

 

武蔵は 上手いこと生きていけないなと思ったら

絶食して死ぬんだって 言っている

それは はた目には悲しすぎる

私には

傍のものに愛情がないから

身だしなみを気にしないというけれど

 

絶食なんかして死なれたら

子供は繰り返し号泣するって思わないのか!と思う

 

今後長生きしても私ができることはたかが知れているから

70過ぎるまで生きたから充分でしょとは思うけれど

生まれ変わって 又生きてもいいと思う

何しろ この世は面白いことが多すぎるから

何回 生まれ変ってもやってみたいことはいっぱいある

六道輪廻でいいわ

解脱なんか したくない

 

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おばさん情報

2014-12-05 16:01:22 | ただの記事

よくよく聞くと

おばさんはむずかしい

ショートステイは 寒い間は行かれないな

冷房と間違えられたと言い張る

寒いと言っても ああだこうだいって夜になるまで来てくれなかった

だから布団被って寝てたが

それでも寒くて毛布を一枚借りた

というのだ

 

家でもおばさんは暖房をすごく高温に設定しちゃう

電気行火入れて

背中にホッカイロ

それで 汗びっしょりで寝てたりする

 

温度センサ^が老化しているのかもしれないが

寒くて懲りたようだわ

 

広間も寒くて リハビリになるからだろう

食事エプロンの洗濯したものを畳まされたというのだ

他の人がろくにできないからって

私のところにばっかり!山盛り積み上げてやらされた!

疲れ果ててしまったというのだ

 

だいたい人の世話や人の分まで何かやるというのは嫌いな人なのだ

 

それが いきなり大勢の分の洗濯もの畳みにこき使われた

というふうに思っちゃったのよね

腹を立てているので 廊下を歩き回る職員の気配や声もうるさくてかなわない

そういう風に思ったみたいだ

 

リハビリには行く気の様で

同室になったお婆ちゃんの境遇には

いたく同情的で  リハビリで会えるといいなと思ったりしているようだ

同室の人とトラブッタわけではないのだ

 

今朝はさぞゆっくり寝ているだろうと思ったが

あらま 朝8時ころ起きだすのが普通だから

8時に見に行ったら なんか台所で洗い物やってるよ

 

そのあとは しまい忘れたものについて

武蔵が 振り回されて おばさんがしまい込んだのに武蔵のせいにされて

大騒動

武蔵は へとへとにくたびれてた

 

ハハハ

先日の私の振り回されの大変さを武蔵も味わったわけだ

 

おばさん自身も 疲れちゃったといい

自分が馬鹿になったと落ち込んでいるが

バカ同盟では 私も武蔵も同病なので

ま おやつにお汁粉作ってあげるから 元気出そう!

と 今一緒に食べてきた

糖尿病の武蔵には内緒だ

 

甘いものを食べておばさんも元気回復したようだ

 

 

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衣料品 田舎と東京

2014-12-05 10:46:33 | ただの記事

着替えを忘れて

買おうと思った

それは 田舎のスーパーで衣料を買おうと思うと

木綿のものが実になくて

化繊嫌いの私は

東京が恋しかった

でも 浅はかだったわ

木綿100パーセントの衣類は 市場から ホント

姿を消している

 

私好みのメーカーがあるのよね デパートに入っている

そこは木綿のものがあるけれど

細々ピンタックがあったり デザインが凝っていると言えば

凝っている 

そんなのいらないけれど

でも とてもゆったりしていて着やすいのだ

今着ているのなんか

もう十数年着ているんだけど・・

と思って 値札を見て 仰天

買えないよ こんなの!

木綿のないのかなあとほかの売り場で聞いたら

今時ないですよ

スポーツ用品売り場に行ってみたら?

と言われていったが

ここもあまりなくて

ワゴンの上の安売りの 

でもポリウレタン混紡(これは大丈夫な時がある)

ゆったりシャツを一枚買った

田舎値段に慣れている私には 散財だった

売り子さんに 田舎だとねTシャツって1000円くらいよ

半袖なら6L7Lだって600円ってのがあるのよ

というと目を丸くしてた

どうしてそうなるのだろう????

って

地代じゃない?

衣料品を思うともう東京を恋しがるのはやめた

でもなあ吉祥寺辺りに行けば 安くていいものありそうだがなあ

 

話は飛ぶが 昨日表参道でグッチだのエルメスだのお店があって

そんな ブランド物 誰が買うんだ?

商売が成り立っているのが 信じられない

私の知っている人で 71年生きてきて

そんなのを身に着けるのが好きで

できた人は一人しか知らない

 ともかく衣料品は もういらない

古くて襤褸で十分だし わけのわからない衣料を作って着るのは好きだし

(もっとも 武蔵はすごく迷惑らしい

それじゃあ おんちゃんだ・・・乞食って意味かなあ?

とか 身だしなみって言葉 辞書にないの!!!?と怒るし

髪の毛 もじゃもじゃでしょうと 怒る

髪の毛は衣料じゃないか)

 

 

ともかく電車の中を見渡して

ほとんどすべての人が 買ったものを着ている

当たり前だろうけれど

これって 異常よね

 

私の子供時代は 洋服は作ったものを着て

セーターは編んだものを着て

靴だって誂えってのもあった

買ったものを着る

買ったものを食べる  これが普通って変 っちゃ 変だ

 

コガネムシだってお金持ってないよ

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引き続き東京弁

2014-12-05 06:22:05 | ただの記事

田園調布という町は

私の子供のころはお屋敷町 という感じだったけれど

田園だから 元は農村で新しくできた街だった

東京が戦後復興していく過程でも

そういう近郊の町ができて

そこの住民は色々な方言で育った人たちだったと思う

山の手言葉という新しい方言を作ったのは

そういうおうちの奥方たち?

ざあます言葉なんか使って気取ったやつ!

と 父は ヘン!といってたが

父の育ったあたりの横浜弁にあるのよね

ジャン という語尾付け言葉

あれは 私が中学時代は 横浜から通っていた子が

流行らせた。

 

いろいろ話題になったの思い出した

小学校か中学校のころ

だから今から5,60年前

 

で 中学は田園調布だの自由が丘だの近かったせいで

友だちのうちは山の手言葉が飛び交う家なのかいな?

と思ったのを思い出した

 

友だちの家に遊びに行って階段をドタバタ足音をさせて降りたら

仰天されて

音を立てないでね って 顰蹙!という感じでびっくりしたことがあった

 

もっとも 音楽家一家だったから

音にうるさかったのかもしれないけれど

私が育ちが悪いだけかもしれない

 

言葉については 中学て初めてしっかり丁寧語だの敬語だの習うから

使いこなしたくなって

一生懸命になったということもある

こういうのは全国共通で

社会風潮に伴って 変異丁寧すぎる言葉が流行ったりするのだろうな

 

今は いやらしい わざとらしい おもてなしの流行のせいで

耳障り弁が流行ってるのだな

 

山の手言葉っていうけれどさ

山の手ってねえ 世田谷区 太田区は山の手じゃないよな

山の手線のもっと外側だものな

山の手線  私の幼少時の感じでは

確かに郊外電車って感じだったものな

池袋麦畑だったし

新宿

ここらは50年前までは広大な浄水場だったものな

 

かねやすまでは江戸のうち だからね

郊外だったわよこの辺 

 

松原の家の近くにも和田堀給水場という水道施設がある

ここの外壁(壁じゃないな高くないコンクリートの上にフェンス)

60年くらい前は 土手の上にフェンスだった

その土手には春になると つくしん坊がいっぱい顔を出すところだったのだ

 

そのころつくしが美味しいの知らなかったなあ

農薬も撒かれてなかったし

摘んで食べればよかった

 

 

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