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いくつになっても人生これから

「小柄な女は運がいい」のか

2014-04-22 05:34:09 | 読書メモ
図書館で 借りた1冊

「小柄な女」は運がいい!

中山庸子 大和出版


ほんとかいな?

間違いなく「小柄」なワタシ

運がいいと感じたことはなかったけどね。


「小柄族」から喜びの続々ですって!


いろいろコンパクトの利点が書いてあります。


曰く 小さい体で頑張ると一生懸命さがわかりやすい

曰く 多少キツイことを言っても圧迫感がない

曰く 目立たずに隠れることができる

曰く チッチとサリー的シチュエーションも夢ではない


てなことが楽しく書かれています。


そもそも、平均的な体格の人が一体何パーセントいるのかと

思いますね。


それと、小柄とか背が高いとか必要以上に意識させられるのは

学校で背の順に並ばされるからじゃないかと思います。


外国(←どこ?)じゃ、そんなことしないらしいじゃないですか。

あれは、ちっちゃいと前が見えないだろうという

配慮ではなかったと思う。

きれいに並べようという日本人的な発想だったはず。

今もやってると思うけど、やめたほうがいい。

小さいうちに、世の中は大中小細太混ざってるということを

教えて、それぞれが特別で

「平均」なんてクソクラエ (失礼)と教えるべき。


それはさておき

やはり、「与えらえたもの、持っているもので

最大限に生きる」ということをこうして

時々 「そうだった、そうだった!!}と

確認するのはいいですね。



著者が言うように

身長なし、美貌なし、その他いろいろなしの

「資源なし」的人生ですが、思い起こせば

特に被害もなかったような気がします。


今、困っているのは台所の吊戸棚に届かず

ほとんど空っぽになっていること、

洋服では 小さいサイズで太目サイズがないこと

世の中では小さい=きゃしゃと認識されているみたい。

(↑ だからね、一般的というのも当てにならん)


今、良かったと感じてるのは

職場が工事中で小さい事務所に押し込められていても

コンパクトなのであまり苦痛じゃない。


せっかく持っている「資源」を認めていきたいです。


よく心理学で出てくるコップの水のたとえ

コップに半分の水を

「もう 半分しかない」とみるか

「まだ 半分ある」とみるかっていうのと

ちょっと似てるかも。


最近思うのですが、中学か高校くらいで

心理学を勉強したらいいんじゃないかって。