図書館で 借りた1冊
「小柄な女」は運がいい!
中山庸子 大和出版
ほんとかいな?
間違いなく「小柄」なワタシ
運がいいと感じたことはなかったけどね。
「小柄族」から喜びの続々ですって!
いろいろコンパクトの利点が書いてあります。
曰く 小さい体で頑張ると一生懸命さがわかりやすい
曰く 多少キツイことを言っても圧迫感がない
曰く 目立たずに隠れることができる
曰く チッチとサリー的シチュエーションも夢ではない
てなことが楽しく書かれています。
そもそも、平均的な体格の人が一体何パーセントいるのかと
思いますね。
それと、小柄とか背が高いとか必要以上に意識させられるのは
学校で背の順に並ばされるからじゃないかと思います。
外国(←どこ?)じゃ、そんなことしないらしいじゃないですか。
あれは、ちっちゃいと前が見えないだろうという
配慮ではなかったと思う。
きれいに並べようという日本人的な発想だったはず。
今もやってると思うけど、やめたほうがいい。
小さいうちに、世の中は大中小細太混ざってるということを
教えて、それぞれが特別で
「平均」なんてクソクラエ (失礼)と教えるべき。
それはさておき
やはり、「与えらえたもの、持っているもので
最大限に生きる」ということをこうして
時々 「そうだった、そうだった!!}と
確認するのはいいですね。
著者が言うように
身長なし、美貌なし、その他いろいろなしの
「資源なし」的人生ですが、思い起こせば
特に被害もなかったような気がします。
今、困っているのは台所の吊戸棚に届かず
ほとんど空っぽになっていること、
洋服では 小さいサイズで太目サイズがないこと
世の中では小さい=きゃしゃと認識されているみたい。
(↑ だからね、一般的というのも当てにならん)
今、良かったと感じてるのは
職場が工事中で小さい事務所に押し込められていても
コンパクトなのであまり苦痛じゃない。
せっかく持っている「資源」を認めていきたいです。
よく心理学で出てくるコップの水のたとえ
コップに半分の水を
「もう 半分しかない」とみるか
「まだ 半分ある」とみるかっていうのと
ちょっと似てるかも。
最近思うのですが、中学か高校くらいで
心理学を勉強したらいいんじゃないかって。
「小柄な女」は運がいい!
中山庸子 大和出版
ほんとかいな?
間違いなく「小柄」なワタシ
運がいいと感じたことはなかったけどね。
「小柄族」から喜びの続々ですって!
いろいろコンパクトの利点が書いてあります。
曰く 小さい体で頑張ると一生懸命さがわかりやすい
曰く 多少キツイことを言っても圧迫感がない
曰く 目立たずに隠れることができる
曰く チッチとサリー的シチュエーションも夢ではない
てなことが楽しく書かれています。
そもそも、平均的な体格の人が一体何パーセントいるのかと
思いますね。
それと、小柄とか背が高いとか必要以上に意識させられるのは
学校で背の順に並ばされるからじゃないかと思います。
外国(←どこ?)じゃ、そんなことしないらしいじゃないですか。
あれは、ちっちゃいと前が見えないだろうという
配慮ではなかったと思う。
きれいに並べようという日本人的な発想だったはず。
今もやってると思うけど、やめたほうがいい。
小さいうちに、世の中は大中小細太混ざってるということを
教えて、それぞれが特別で
「平均」なんてクソクラエ (失礼)と教えるべき。
それはさておき
やはり、「与えらえたもの、持っているもので
最大限に生きる」ということをこうして
時々 「そうだった、そうだった!!}と
確認するのはいいですね。
著者が言うように
身長なし、美貌なし、その他いろいろなしの
「資源なし」的人生ですが、思い起こせば
特に被害もなかったような気がします。
今、困っているのは台所の吊戸棚に届かず
ほとんど空っぽになっていること、
洋服では 小さいサイズで太目サイズがないこと
世の中では小さい=きゃしゃと認識されているみたい。
(↑ だからね、一般的というのも当てにならん)
今、良かったと感じてるのは
職場が工事中で小さい事務所に押し込められていても
コンパクトなのであまり苦痛じゃない。
せっかく持っている「資源」を認めていきたいです。
よく心理学で出てくるコップの水のたとえ
コップに半分の水を
「もう 半分しかない」とみるか
「まだ 半分ある」とみるかっていうのと
ちょっと似てるかも。
最近思うのですが、中学か高校くらいで
心理学を勉強したらいいんじゃないかって。