上野の「東京都美術館」へ行った帰り道は「東照宮ぼたん苑」から
動物園の横を通っての、「森 鴎外」住んでいた旧居跡のレストランに行きました。
「水月ホテル鴎外荘」となっています。鴎外は28歳で結婚して明治22年(1889年)にこの地に居を構えました。戦災にあわず今も残っている旧居は趣きのある日本家屋ですが、ホテルも併設していて、賑わっていました。
鴎外旧居庭。今でもお食事が出来るようになっています。
入り口
鴎外も愛でたという梅の古木
旧居を眺めながら食事の出来るレストラン
帰り道は地下鉄「根津駅」へ。途中にあった「江戸千家」の庵は苔むした屋根が風情を添えています。庭の手入れをする庭師も様になって。
ご主人のお兄様が「根津駅」の前に住んでおられたとか、根津駅から10分も歩きません。不忍池、根津神社、上野公園、など歩いてゆける所が沢山あって良いところです。地下鉄根津駅の入り口でおいしいカフェも見つけました。これからはお花見シーズンで賑わいますね。一年中楽しめる場所です。是非「水月ホテル鴎外荘」へ行ってください。
鴎外の住居跡がレストランになっているんですか、静かな落ち着いた素敵な所ですね、一度行って見たいです。主人の兄が定年まで根津駅のすぐ前に住んで居たので何回か行きましたがこんな風情のあるお家は気が付きませんでした。東京にも昔ながらの建物も沢山残されているんですね。
島根県津和野から出てきて医学部卒業で軍医でありながら、ロマンチックな小説を執筆された鴎外は人間的に深いですね。結婚して子供が生まれたのに離婚したのはなぜか?分かりませんがとうさんの推察の通りでしょう。「舞姫」を執筆したのがこの旧居だそうです。
翌1890年(明治23年)に、小説「舞姫」を発表しましたが、ドイツ留学中に知り合ったドイツ人女性エリーゼとのことが、この小説の背景になっているとか?
このことが後日離婚の原因になったのでしょうか?