大網・「大国寺」でヴァイオリンコンサートに行ったとき、
少し早めに行きましたので、お寺の隣にある「神社」を散策しました。
山、深い場所にあります。
階段は100段もありました。
石段を登ったら正面に現れた神社
きっとお寺を守っているのでしょうか?
崖の下に建てられています。
崖の上の方には横穴もあって摩訶不思議です。
立派なご神木
建物のあちこちにある彫刻が素晴らしい
人びとの信仰が凝縮されている感じを受けました。
面々と人々が守ってきた神社。感慨無量でした。
大網・「大国寺」でヴァイオリンコンサートに行ったとき、
少し早めに行きましたので、お寺の隣にある「神社」を散策しました。
山、深い場所にあります。
階段は100段もありました。
石段を登ったら正面に現れた神社
きっとお寺を守っているのでしょうか?
崖の下に建てられています。
崖の上の方には横穴もあって摩訶不思議です。
立派なご神木
建物のあちこちにある彫刻が素晴らしい
人びとの信仰が凝縮されている感じを受けました。
面々と人々が守ってきた神社。感慨無量でした。
千葉県大網市にある由緒あるお寺「本国寺」
1471(文明3年)東上総を伝道した京都妙満寺第16世の
門下の一人、日泰上人に土気城主(とけ城主)酒井静伝が帰依したことで
寺院が法華宗になりました。そこは僧侶の教育を行う宮谷檀林(みやざくだんりん)
でした。本堂は1848(嘉永元年)に上棟されました。
その本堂にて「大谷康子」ヴァイオリンリサイタルが実施されました。
曲目が「愛の喜び」「G線上のアリア」「無伴奏ソナタ・シャコンヌ」
「愛の賛歌」「アメージンググレース」「乾杯の歌」「ツゴイネルワイゼン」
など、親しみのある曲を奏でて下さいました。
正門
森と竹林に囲まれた檀林の風格
本堂を横から(この中でのコンサート)
コンサート中は写真はNGですのでせめてお寺の様子
当主のお話
この金屏風の前での演奏
後ろで仏さまが見守っておられます。
この場所は千葉県の源流の一つ「宮谷県」(みやざくけん)が置かれました。
1868年(明治元年)安房上総県は当山の建物を借りて庁舎として使用。
1872(明治6年)木更津県・印旛県は統合して県庁が千葉に移転ました。
1954(昭和29年)宮谷県庁跡として千葉県指定史跡となりました。
コンサートでは大谷康子氏の「歌うヴァイオリン」と評される音色と
楽しいお話も素晴らしく人柄もにじみ出て心温まるコンサートでした。
250人以上が本堂に集まって夢のような時間を過ごした人々が
立派なお寺を後に帰宅します。(尚、BSジャパン・テレビ東京)にて
毎週木曜日23時~30分「おんがく交差点」に出演されています。
長雨にブルーな気持ちでいましたが、昨日は快晴🌞
夜は美しい三日月が煌々と降り注いでいました。
寒くなってきた夜はグラタンが食べたくなりました。
マカロニ・ベーコン・エビ・玉ねぎ・ブロッコリー
ホワイトソースを力を入れて作りました。
。
長雨と台風で毎日雨ばかり☂🌂
庭の花は少なくなったけど、秋模様の葉っぱが秋を思わせる。
今年はマルメロ実は成らなったけど、時期が来たら葉っぱが紅葉してきました。
ハナミズキの花は咲きました。今は赤い実を沢山つけています。
アメジストセージがやっと咲いてきて雨の中で一番元気
この色がすてきです。元気をもらいます。
来週からは、ハロウインウイークです。
オレンジ色は元気をもらいます。
明日は町会の掃除や選挙の投票日だけど・・・
早く秋晴れが欲しいよ~
地下鉄「春日」駅下車してから目的の「傳通院」へ向かう途中で見つけた
「こんにゃくゑんま」源覚寺
ユニークな名前で面白い。初めてのお参りでした。
幻覚寺に伝わる閻魔王座像の右目が黄色く濁っているが
信心深い老婆に己の右目を与え、老婆は感謝のしるしとして
「こんにゃく」を供え続けたという伝説
このことから眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として信仰を集めた。と言われてます
きっと身近にあった品物を捧げたのでしょう。
(私も目が悪くなってきているので、しっかりお参りしました)
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もう一つは塩地蔵
塩は清めの為に用いることにより
体健康を祈願するものとして用いられています。
塩でまっしろになった地蔵様
以前、新宿でもこのような体験をしました。
(身体健康を祈願しました)
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ここは「信州善光寺」の「月参堂」
きっと信州まで行けない人々のためのお寺だと思います
信州善光寺はお参りしたことがあります。が懐かしい思いでした。
人びとの信仰の証ですね。
坂道を歩いているとお寺や神社にぶつかります。
江戸の面影を残す街を強く感じました。
歴史書を読んでいると「徳川家康公」の存在が大きいのですが、
その家康公を産んだ母親「於大の方」のお墓に行ってみたくなりました。
1415年江戸小石川の草庵だった寿経寺に200年後「1602年」8月
徳川家康の生母・於大の方が京都伏見で死去された時に江戸に遺骨を埋葬するように
と遺言を残しました。彼女の法名「傳通院殿」から傳通院としました。
新しく再建された山門
境内の中の墓地の参拝図
沢山のお墓が並びます
大きくて立派なお墓の多さに圧倒されました。
見上げる立派な「於大の方」のお墓
徳川二代目秀忠長女「千姫」のお墓
他にも豪華なお墓が沢山ありました。
家康公側室・佐藤春夫・橋本明治・柴田錬三郎・等々
東京での広い敷地の中で面々と続く徳川家の墓を守り続けて
いることと、宗教の偉大さを感じました。
秋深まる時期だというのに、今日は暑い。
それでも自然界は秋を感じられる世界が広がる。
東京銀座での「秋明菊」は元気に咲いていました。
和菓子で秋を演出
「柿大福」
「かぼちゃ饅頭」
中身の餡はかぼちゃの味。
食欲の秋を楽しみました。
茂原の地にある立派なお寺は、以前訪ねた「鄙びたお寺」とは
全く趣が違う立派なお寺でした。
日蓮大聖人の命により、日弁聖人は小早川家の寄進により
「大本山鷲山寺」を建立したことに始まる。
1623年徳川家光公よりご朱印地を拝受菊紋五條を下賜される。
1868年(慶安4年)有栖川宮家の御祈願所となる。
このように、格式高い立派なお寺
この奥の長い階段の上には墓所があり、遠くに日蓮大聖人の像が見えます。
日蓮大聖人
日弁聖人と小早川内記像
高台から望む茂原市内
階段を降りたら立派な本堂
鄙びたお堂とは違った立派なお寺でした。
少し離れた場所には鷲神社
裾野に広がる田畑が豊富な場所が選ばれていたことが分かります
面々と続いて人々の信仰で成り立ってきたお寺と神社。
戦国の大将たちも戦に向かう時に祈った場所が
現代も受け継がれて、守っていることに感動しました。
主人と二人かかりつけの医院で「健康診断」
前日夜9時から当日朝飲まず食わずで検査でした。
朝8時半までに行き、終了が10時半でした。近くのカフェで
朝食することにしました。。半年前に出来た「星乃公珈琲」へ。
蔵造りの建物?
入口は洒落た今風の造りです。
奥の店内に通されたら、素敵💗
書道家の「星」という文字
ドリップ方式のコーヒーはとても美味しく頂きます。
フレンチトーストも美味しく+コーヒーで600円は(#^.^#)
ソーサーには3つの★が。
10時半という半端な時間で空いていたので
とてもリラックス出来て良きモーニングを過ごしました。
千葉県市原市吉沢という場所に「藁ぶき屋根のお寺」がある。
そのお寺に行ってみたくなりました。車で40分ほど。
先ず「鳳来寺観音堂」へ
吉沢城守護の為に建てられましたが、昭和16年曹洞宗の蓬莱寺に
合併されました。天正18年(1590年)豊臣秀吉の軍に落城しましたが
観音堂だけが残されました。これは室町時代後期の代表する建物です。
国指定重要文化財です。
屋根は茅葺寄棟造りです。
落城しても、庶民の厚い信仰に守られて現代まで素晴らしい
観音堂が残っていることに感激しました。
もう一つはそこから車で10分ほどのところにある
「西願寺阿弥陀堂」(さいがんじあみだどう)です。
山すそに見える茅葺のお寺。
ここも、平蔵(地名)城主平正経は鬼門守護の為、七堂伽藍を建立
明応4年(1495年)に阿弥陀如来を安置し、西願寺と号した。
昭和30年に重要文化財にしていされました。
真っ暗なお堂の中は
(後で、撮影禁止を知りましたが。お顔を拝顔させて頂きました)
このお堂の周りには多くの石仏
西願寺阿弥陀堂の近くでコスモスに出会いました。
今、私は「将門」(東国の覇王)矢野 隆著を読んでいます。
天皇家の血を引く平将門が貴族の地位を捨てても
田畑の広がる東国での活躍を頼もしく読んでいます。
1500年近くも受け継がれている、人々の信仰と維持をしてきた
人々の力をこの千葉の地で
この目で見ることが出来た喜びは大きかったです。