道元を書いた立松和平さんは五木寛之さんとの対談の中で、正法眼蔵第23に法身は水中の月の如しとみた「都機」にふれて、月とうさぎの話をした。また、五木さんのカルマについて喩え話でもある。
帝釈天がみすぼらしい老人に変身して、サル、キツネ、うさぎの前に現れ、食べ物をお願いした。サルが木登りして木の実を食べさせ、キツネは川の魚を食べさせた。が、うさぎは食べさせるものがないので、サルに山の薪を願い、キツネにはその薪を燃やしてもらい、その火に飛び込んで丸焼きで食べさせた。という狂気な自己犠牲の話である。
帝釈天がみすぼらしい老人に変身して、サル、キツネ、うさぎの前に現れ、食べ物をお願いした。サルが木登りして木の実を食べさせ、キツネは川の魚を食べさせた。が、うさぎは食べさせるものがないので、サルに山の薪を願い、キツネにはその薪を燃やしてもらい、その火に飛び込んで丸焼きで食べさせた。という狂気な自己犠牲の話である。