今朝3時から宮川泰作品集ピーナッツ「ウナ・セラ・デイ東京」やダークの「銀色の道」等を聞いて、眠ろうとすると、4時から中村メイコさんのトークが始まった。今日22日は放送記念日(アメリカから5年遅れ1925年東京放送局が仮放送)
例のはきはきした軽妙な語り口で、大変聞きやすく、5月で82才になるからか、お墓は神津善行さんと一緒に入りたかったが、主人は一人娘を頂いたから、中村のお父さんの傍に置きますと約束したと。それで、父方でなく母方の名古屋近くのお墓に中村メイコと赤字で墓碑を建てたというお話で終わった。
当時父に抱かれた本人がマンガのフクちゃんに似ていることが知られ、おむつをしていた2歳で映画に出たと。それから子役で人気が出て、七色の声と、榎本健一、古川ロッパ、徳川無声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演、カンナなど3人の子育てで、紅白司会は3年とお願いしたとか。
1957年に神津善行さんと結婚、カンナ、はづき、善之介の3人の子は、主人の言いだしになり、外国の学校へあげたと。
トークでは、主に3才年下の美空ひばりとの生活が中心であった。ひばりさんは嫌なことでも、我慢してお客さんが喜ぶことを一番にしていた。本人はNHKの部屋にいる時が心が休まり、3時間の睡眠生活していても、80歳まで生きている。ひばりさんは私より倍もお酒飲んだから、早くに亡くなると最後の見舞いで語っていたとか。
また、二人で飲んで、ひばりさんが善行さんに抱きかかえられて2階の部屋に上がり、お手玉できない、トランプババ抜きダメ、結局いろんな歌を唄ったが、ひばりさんは外国の歌も上手だが、さのさとか日本調の歌が大変上手だったと。その歌の中に1年は365日とひばりさんが歌ったので、初めて1年は365日と分かったと。主人に言うと「お前は長生きするよ」と言われたとか。
私は「田舎のバス」ぐらいだが、江利チエミさんの「新妻に捧げる歌」を作詞、神津善行作曲もあり、作家の両親から生まれた足跡が見える芸歴80年の中村メイコ(本名五月)さんでした。
例のはきはきした軽妙な語り口で、大変聞きやすく、5月で82才になるからか、お墓は神津善行さんと一緒に入りたかったが、主人は一人娘を頂いたから、中村のお父さんの傍に置きますと約束したと。それで、父方でなく母方の名古屋近くのお墓に中村メイコと赤字で墓碑を建てたというお話で終わった。
当時父に抱かれた本人がマンガのフクちゃんに似ていることが知られ、おむつをしていた2歳で映画に出たと。それから子役で人気が出て、七色の声と、榎本健一、古川ロッパ、徳川無声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演、カンナなど3人の子育てで、紅白司会は3年とお願いしたとか。
1957年に神津善行さんと結婚、カンナ、はづき、善之介の3人の子は、主人の言いだしになり、外国の学校へあげたと。
トークでは、主に3才年下の美空ひばりとの生活が中心であった。ひばりさんは嫌なことでも、我慢してお客さんが喜ぶことを一番にしていた。本人はNHKの部屋にいる時が心が休まり、3時間の睡眠生活していても、80歳まで生きている。ひばりさんは私より倍もお酒飲んだから、早くに亡くなると最後の見舞いで語っていたとか。
また、二人で飲んで、ひばりさんが善行さんに抱きかかえられて2階の部屋に上がり、お手玉できない、トランプババ抜きダメ、結局いろんな歌を唄ったが、ひばりさんは外国の歌も上手だが、さのさとか日本調の歌が大変上手だったと。その歌の中に1年は365日とひばりさんが歌ったので、初めて1年は365日と分かったと。主人に言うと「お前は長生きするよ」と言われたとか。
私は「田舎のバス」ぐらいだが、江利チエミさんの「新妻に捧げる歌」を作詞、神津善行作曲もあり、作家の両親から生まれた足跡が見える芸歴80年の中村メイコ(本名五月)さんでした。