オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

懐かしの街

2009-04-12 | Weblog
4/10(金)学生時代の街へ行く。大学の職員として残った友人のS君を訪問するのが目的である。私達が学生の頃には無かったメトロでその街に降り、大学の方面へと歩いた。

周りの建物はすっかり変わっている。かつて、短い間であったがアルバイトをしていた喫茶店「スポット」があった小さな建物だけは、昔のままに残っていた。二階の店にへと通じる階段は壁となり、勿論店はない。

学園紛争で街も揺れていた頃、通りから見上げた窓ガラス越しの店が気になり入ったのが始まりだった。暫く入り浸って、Nさんやカウンターに入っていたトオルさんと親しくなった。何時の間にか、私はカウンターの中にいるようになっていた。

当時、店のオーナーだったNさんは、若くして新聞記者を辞し、その店「スポット」と一階で印刷関係の仕事をされていた。奥さんと小さな男の子があり、時どき店に顔を出した。落合にある自宅には何度か遊びに行った。

大通りに面した角に建つ、その店の面影を残した小さなビルに、若い頃のNさんご一家を偲ぶ。
秩父の夜祭のことを知ったのも此処、奥さんが、かの地の出身であった。

その後、ご夫妻は熟年離婚をされた。Nさんは、世界を歩き「ヘミングウェイを気取っている」とのことであったが、最近は大病をされて静かな暮らしを後添えと過しておられるようだ。

永い間、一枚の賀状のやり取りだけではあるが、ご様子が届く。


さて友人のS君、司法試験を目指していたが、大学の職員として残り要職に就いている。

S君や自分も含めて、一年生ばかり16人の下宿生活が三島の地で始まったのが、43年前の今頃であった。昨年から、皆で会おうと云う話をしているが進んでいない。

そんな打合せや、仕事関係の挨拶も兼ねての訪問であったが、神田三崎町に通っていた、若かりし頃のことを幾つか思いだす、束の間の旅ともなった。




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