9/23(水) 早いもので、シルバーウィークとやらも今日でお終い。
今日はお彼岸なので、家人が「おはぎ」を作った。きな粉と小豆を一つづつ頂き、早めに墓参に出掛けた。
先ず、狛江の千手院に眠る「上田さん」、私のサラリーマン最後の時の上司であった。私が辞めて二年足らずでご逝去されたが、不肖の部下であった私に、その短い間に何かとご配慮を頂いた。
そして、東戸塚のもちの木霊園に墓がある「中村さん」を訪ねた。折りよく奥様とご子息が墓参を終えて帰られる処、ご挨拶ができた。郷里の先輩でもあり、若い頃より何かとお世話になリ続けであった。この方に出会えたことで、私はサリーマン人生を何とか真っ当することが出来た。
最後に、横須賀は龍本寺に眠る「横塚さん」の墓所を訪ねた。氏は、関東自動車工業に勤務された後、横須賀工業倶楽部の事務局長をされた。その頃、私も横須賀で勤務し、工業倶楽部のメンバーだったことからご厚誼を頂いた。私が退職をした際のパーティにもお越し下さったが、氏の闘病と逝去も知らず、不義理のままにお別れをすることとなった。
私が横須賀を去り、暫く便りをしなかった。その時に届いたメールに記された一言「忘れられた友より」の一文、未だ心に沁みたままだ。
三人の故人を訪ね、思うのは、この人たちに生かされて此処まで来た、と云うこと。
心新たに、真摯に生きることを知らしめてくれる、一日となった。
今日はお彼岸なので、家人が「おはぎ」を作った。きな粉と小豆を一つづつ頂き、早めに墓参に出掛けた。
先ず、狛江の千手院に眠る「上田さん」、私のサラリーマン最後の時の上司であった。私が辞めて二年足らずでご逝去されたが、不肖の部下であった私に、その短い間に何かとご配慮を頂いた。
そして、東戸塚のもちの木霊園に墓がある「中村さん」を訪ねた。折りよく奥様とご子息が墓参を終えて帰られる処、ご挨拶ができた。郷里の先輩でもあり、若い頃より何かとお世話になリ続けであった。この方に出会えたことで、私はサリーマン人生を何とか真っ当することが出来た。
最後に、横須賀は龍本寺に眠る「横塚さん」の墓所を訪ねた。氏は、関東自動車工業に勤務された後、横須賀工業倶楽部の事務局長をされた。その頃、私も横須賀で勤務し、工業倶楽部のメンバーだったことからご厚誼を頂いた。私が退職をした際のパーティにもお越し下さったが、氏の闘病と逝去も知らず、不義理のままにお別れをすることとなった。
私が横須賀を去り、暫く便りをしなかった。その時に届いたメールに記された一言「忘れられた友より」の一文、未だ心に沁みたままだ。
三人の故人を訪ね、思うのは、この人たちに生かされて此処まで来た、と云うこと。
心新たに、真摯に生きることを知らしめてくれる、一日となった。