オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

春ランとサツキ

2010-06-22 | Weblog

 昨日は、或る情報誌の取材で外房の岬町へと取材に出向いた。取材のテーマは「花作りで“いきいき”セカンドライフ」。

外房に移り住み中国春蘭作りを楽しむNさんと、川口在住でサツキ作りを楽しむHさんのお二人による対談と撮影である。同行は、対談を頂くHさんとライター、撮影のYである。

昼に現地に着き、Nさんの出迎えを受け、先ずはランチを共にしながら、セカンドライフについて話を伺う。
地元で「NPO太東崎燈台クラブ」に参画して、周辺の景観保全や町おこしイベントを行っているとの話。花の対談前に、先ずはその太東崎に行くこととなった。

岬には燈台があり、右手に勝浦、左に九十九里浜・遠くに銚子を望む景観の地。
切り立ったこの岬の先には、かって8Kmに渡り人家が続いていたそうだが、元禄の大地震により海底に沈んだそうな。

                   

               勝浦方面を望む          太東崎燈台

またこの岬には、貴重種の百合「すかし百合」が自生し、黄色・橙色の美しい花を咲かせていた。

岬を視察し、Nさん宅に向う。NさんとHさんの花談義が早速に始まり、同好の志の話は尽きない。奥様に抹茶をご馳走になり、花から刀剣へと話題が広がる。

77歳でサツキ盆栽300鉢を育てるHさん。70歳になるNさんは、中国蘭を1500鉢ほど育て、中国で開かれる「国際中国蘭展」はおろか、中国の山奥にまで買い付けに行く程の好事家。

                    

             蘭小屋で話が弾む両氏       裏庭の山アジサイ

あっというまに、取材予定の時間が過ぎていた。朝の内の雨が、燈台を訪れたあたりから晴れ間にと変わり、夏の陽射しが柔らになるころにNさん宅を辞した。

お二人とも、充実したセカンドライフを生きておられる。

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天ぷら

2010-06-22 | Weblog

6/22(火)今朝の弁当メニューが浮ばないままに台所に立ち、冷蔵庫を覗き思いつくままに食材を取り出す。

今日は、エビと野菜の天ぷら、鶏ツクネ団子と人参・インゲン・シシトウの煮物、小松菜の卵とじ炒め、メカジキの衣焼、以上となった。

 

揚げ物はフライにするつもりだったが、面倒なので手抜きし「天ぷら」となった。野菜は、タマネギと人参の掻揚、シシトウとピーマンである。

今日も三人前。ご飯は土釜で三合余りを炊く。珍しく土釜ご飯が上手く炊き上がった。八年ものの梅干をご飯の上にのっけて、日の丸弁当となった。

 

 安芸市観光ガイド

先週の話に戻るが、高知県安芸市で観光ボランティアガイドとして活躍する曽我さんの案内で、弥太郎生誕の旧居でガイド風景の撮影と併せて、説明を受けた。自作の小道具を携え、堂々のガイド振り。

上の写真、『岩崎邸』から野良時計、武家屋敷跡などを巡る。訪れる観光客に対するサービス精神も旺盛で、史跡の研究にも怠りがない。


或る年、NHK「ゆく年くる年」で紹介された『野良時計』が、安芸市土井にある。この時計台は、従兄弟の家が傍にあり子供の頃から知っていたが、周辺がすっかり整備されて見違えるよう。此処から更に、武家屋敷跡・弘田龍太郎曲碑へと廻った。

この野良時計台は、日本三大時計台の一つだそうだが、他の二つと違い純国産とか。今でも現役で時を刻み、一度巻くと一週間動くそうな。

明治20年、この家の当主・畠中さんが、海外の精密機械を参考に野良で働く人たちに時刻を知らせようと自作された逸品と云う。
維新の文明開化が始まって間もなく、土佐の田舎にてこれだけの代物を創り出す人物がいたことは愉快である。

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