オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ミカン畑で・・・

2011-12-13 | Weblog

12/13(火) 高知から、午後の便で帰京した。今回の帰郷では、日・月と二日間の作業予定等を計画していたが、日曜日に田舎のイベント「なかやま自然薯まつり」があり、昼前から酒を飲み一日を棒に振った。

私の故郷は、今は安田町(高知県)となっているが、古くは中山村という山あいの村落であった。その中山地区の特産品を作るということで、老人クラブ(尤も老人ばかりの地区となってしまった)が中心となり、山のムカゴ(自然薯の種芋)を採取し、畑に植えて自然薯の栽培を始めたのが定着したそうだ。

「なかやま自然薯まつり」には初めて顔を出した。元の小中学校跡を使い、自然薯や田舎すし・天ぷら・自然薯汁&蕎麦やビール・酒の屋台を集落の人たちが販売する。町の駅から、送迎の車を出してのイベントであった。(学校は数年前に町の学校に統合され、普段は使われてないのだ)

                          

体育館の中に茣蓙を敷き、長テーブルを並べて飲食いができる。屋台で買ったものを食しながら、ステージ上の素人演芸を楽しみ、じゃんけん大会や福引で盛り上がる。最近はトンと目にしなくなった、田舎の祭り。この日、一日のイベントだが、1000人近くの人出はあったようだ。

                    

老いた親父と座り込んで、ビールや酒を飲む。知り合いが前に座り、更にお酒が進むという塩梅。程ほどで切り上げたが、帰宅してコタツに入ると寝てしまった。帰宅の途中、安田川を望むと初冬の陽射しに川面が煌めき、実に長閑であった。

                          

そんな次第で、ミカン畑の方がすっかり疎かになった。畑に行くと、なんと蜜柑の木が二本倒れていた。根本を見ると、どうもカミキリムシにやられたようだ。添え木をして措置したが、生き残ってくれるかどうか・・・。

私の蜜柑の木は、まだまだ幼木。実を付けささぬ方がいいのだが、それはそれとして少しは実を付けていないと面白くない。そんなことで、甘夏の木に5~6個、八朔の木に10個ほど実を残してある。そして近頃は見かけない「紅蜜柑」の木に10個ほど実っていたを残した。

                     

                       甘夏               八朔

紅蜜柑は、小さな蜜柑の実を付け(ピンポン球ぐらい)、色は名のとおりに紅色、味はサックリしたポンカンのようで水気が少ない。昨年、高知の日曜市で苗を見付けて植えたもの。その実が何個か紅色になっていた。懐かしいな~といいながら、畑で味見。う~む、昔懐かしき味が口の中に甦った。

                          

                              紅蜜柑

小学・低学年生の頃、学校に向かう途中の坂の上の道端の畑に「紅蜜柑」の大きな木が在った。時々貰って食べた味が、未だ忘れられないのだ。

結局畑仕事は、柿の木の選定と文旦を100個程収穫しただけ。柿の木をは甘柿が五本と渋が五本だけだが、素人の選定は時間を喰う。さらに、親父が池の掃除をしたいと云うので時間を取られた。

                     

冬野菜を植えようと思っていたが、これも手付かず。来月の課題となったが、来月は柚蜜柑の手入れをしなくてはならぬ時期。朝晩の飯作りは勿論、何かとやることがある。そうそうはノンビリとできないが、時間の流れはゆったりとしている。

最後に、半分ほど取り入れをした「土佐文旦」の写真をお目にかけよう。大きな実が鈴なりになって、下の枝は地面に着きそう。あたかもグレープの如くに稔り、果実はグレープフルーツと同じぐらいか。食べた方や食味は全く異なる。今が取り入れどきだが、真夏まで残して夏ブンタンとか称して販売している例もある。

                          

これから、二ヶ月ほど貯蔵して追熟さして食べ頃となる。が、我がブンタンは旨くない。美味いブンタンを食している我輩には、我が家のはアカ~ンである。それに、実を稔らしすぎでいる。蜜柑作りと云うのも、ことほど左様に難しいのであります。道は険しく、遠い。

 

 

コメント
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