12月1日(木)~3日(土)にかけて奈良・天川村から吉野、紀州の那智勝浦・熊野大権現へと出かけた。
目的は、吉野・金峯山寺で得度し「大峯千日回峰行」を成し遂げた、塩沼亮潤・慈眼寺(仙台市)住職の足跡に縁の地を撮影しようという企て。
私が行く必要もないのだが、それはそれとして自分の目で確かめたいという好奇心と、那智勝浦で漁師となった「斉藤君」に会い、脱サラ漁師の心を、話を訊きたかった。
残念ながら、十津川越えの熊野大権現への道が、先の台風により崩れており大峯奥駈けのゴールとなる熊野大権現に至ることは叶わなかった。結局、吉野川沿いに川上村からのルートで那智へと向かったが、川上村の山崩れの大きさと、こんな場所が崩れるのかと驚いた次第。
初日、生憎の天候であったが、奈良・天川村で修験道の聖地となる大峯山寺(山上ヶ岳)へと至る門を視察し撮影した(同行のTokioの役目だが)。上り口から山上までは約3時間とあった。
ここは、天川村の洞川(どろがわ)という処にある。登山道に至る手前には、昔ながら温泉宿が並び、「陀羅尼助」という特産の和漢胃腸薬を製造販売する店が並んでいた。
「陀羅尼助」は、会社のチーフ・スタッフであるNoboru君から何度か頂戴しており馴染み深い。関西では、大峯山寺を信仰する講も多いとか、Noboruも父親に連れられて何度か行ったことがあるそうな。そんなことを思うと、何故かこの地を身近に感じた。
右端の山に大峯山寺が
小雨交じりで夕闇も迫ろうかと思わせる天候、ましてや人気も無い山の中である。幽玄な気配を殊更に感じる。
面白いのが、女人結界(信仰上から、それ以上に女性が立ち入ることを許さないライン)の場所が、昔と今では違っていること。何でも、観光バスが入るのでガイドの女性が、登山道に或る程度近づけないと説明できなと云うことから500m程奥に結界が上がったそうな。ルール・規則・決め事とはそんなものか?(大相撲でもそんな論争があったナ)
ここから入山する 今の女人結界 昔の女人結界
洞川の後、天河神社に参拝した。 この神社には以前から訪れたいと思っていたので念願が叶った。社域は想像していたより狭かったが、拝殿の荘厳さは格別であった。
天河神社の視察と参拝を終え、夕闇に急かされるように吉野へと向かった。