オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

天川村~吉野~那智勝浦(1)

2011-12-14 | Weblog

 12月1日(木)~3日(土)にかけて奈良・天川村から吉野、紀州の那智勝浦・熊野大権現へと出かけた。

目的は、吉野・金峯山寺で得度し「大峯千日回峰行」を成し遂げた、塩沼亮潤・慈眼寺(仙台市)住職の足跡に縁の地を撮影しようという企て。

私が行く必要もないのだが、それはそれとして自分の目で確かめたいという好奇心と、那智勝浦で漁師となった「斉藤君」に会い、脱サラ漁師の心を、話を訊きたかった。

残念ながら、十津川越えの熊野大権現への道が、先の台風により崩れており大峯奥駈けのゴールとなる熊野大権現に至ることは叶わなかった。結局、吉野川沿いに川上村からのルートで那智へと向かったが、川上村の山崩れの大きさと、こんな場所が崩れるのかと驚いた次第。

 初日、生憎の天候であったが、奈良・天川村で修験道の聖地となる大峯山寺(山上ヶ岳)へと至る門を視察し撮影した(同行のTokioの役目だが)。上り口から山上までは約3時間とあった。

ここは、天川村の洞川(どろがわ)という処にある。登山道に至る手前には、昔ながら温泉宿が並び、「陀羅尼助」という特産の和漢胃腸薬を製造販売する店が並んでいた。

「陀羅尼助」は、会社のチーフ・スタッフであるNoboru君から何度か頂戴しており馴染み深い。関西では、大峯山寺を信仰する講も多いとか、Noboruも父親に連れられて何度か行ったことがあるそうな。そんなことを思うと、何故かこの地を身近に感じた。

                        

                         右端の山に大峯山寺が

小雨交じりで夕闇も迫ろうかと思わせる天候、ましてや人気も無い山の中である。幽玄な気配を殊更に感じる。

面白いのが、女人結界(信仰上から、それ以上に女性が立ち入ることを許さないライン)の場所が、昔と今では違っていること。何でも、観光バスが入るのでガイドの女性が、登山道に或る程度近づけないと説明できなと云うことから500m程奥に結界が上がったそうな。ルール・規則・決め事とはそんなものか?(大相撲でもそんな論争があったナ)

            

         ここから入山する    今の女人結界       昔の女人結界

洞川の後、天河神社に参拝した。 この神社には以前から訪れたいと思っていたので念願が叶った。社域は想像していたより狭かったが、拝殿の荘厳さは格別であった。

            

天河神社の視察と参拝を終え、夕闇に急かされるように吉野へと向かった。

 

 

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煮物と炒め物

2011-12-14 | Weblog

12/14(水) 昨日のBLOGで「自然薯まつり」と記したが、跳んだ大間違いで「山芋まつり」が正しかった。ステージの看板写真をアップしながら斯様な間違いをしでかすとは・・・。こんな様では、スタッフの校正間違いを責める資格は、ないな~。

しかし、山芋よりも自然薯とした方が有り難味があるように思うが?。この芋は、粘りがありすぎるので食べ方を工夫した方がいい。それと、お値段が良すぎるのが難点であるが、旨いことは折り紙付き。私は安いのを(細い)を少し買ってきたので、週末には食べ方を工夫して料理の予定だが・・・。

さて、今朝の弁当は「鶏肉と大根・椎茸・人参煮」少しだけ刻み揚げを入れた。何時ものようにお酒をたっぷりと使い、汁が無くなるまで煮炊きする。

                         

そして「豚肉と白菜・ピーマン炒め」、定番の卵焼きとした。炒めものに白菜を使うことは希である。

                         

以上が仕上がった頃に、次女が遅くに帰ってきたのを思い出した。彼女にオムスビを用意すると云ってあったのだ。

急いで紅鮭のカマを焼き、梅干を取り出した。手軽な、鮭と梅のオムスビとした。鮭は余るので、お弁当のご飯の上に乗る。

                         

私は弁当の変わりに、残ったお菜で軽めの朝食。単なる味見に非ず、昼抜きにしているので朝は少し腹に入れて弁当の気分を味わうのだ・・・。

                    

以上で、三人分の弁当とオムスビ二個が完成となった。

 

 

 

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