オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

海苔弁当

2013-10-30 | Weblog

10/30(水) 穏やかな朝を迎える、天候のことだが。今朝の弁当は「ノリベン」だと、前日の決意は揺るがず6時前から海苔弁当の準備に入った。とは云いながら、海苔だけと云う分けにはいかぬ。先週の土曜日に築地で買ってきた紅鮭を添えよう。

ご飯を炊き、鮭を焼きはじめると他の菜も少しは加へたくなる。如何ともしがたい貧乏人の血が騒ぐと云うやつで、数を欲しがるのだ。鮭に卵焼き、海苔がご飯に乗っかるだけの企画から、少々変更となった。

先ず、卵焼きが「ニラタマ」になった。ニラが冷蔵庫で寒そうにしていた、出番を作ってやりたいではないか。そして野菜系をと「人参・ポテト・シメジにペンネのサラダ」と「ホウレンソウのお浸し」が登場した。こんなものを作っていたら、鮭を焼きすぎてしまった・・・ドジな話だ。

         

今日の弁当は四個、其々の弁当にご飯を薄く広げ、先ずは一段目の海苔を置いた。その上にご飯、仕上げの海苔を載せて完成である。四種の菜を加えると、何時もと変わらぬ混雑弁当が出現した。

                

 

会社のベランダの朝顔が、またしても小さな花を咲かせた。咲きはじめが遅かった分、今頃になっても健気に咲いている。後三つ、小さな小さな蕾がある。それにしても小さい、小さいのだ。健気な花を見ると、朝出掛け前に聴いた「南らんぼう」の歌を思い出す。

                       

 先週金曜日、アマゾンに注文したランボウのCD、全16曲入りが届いた。以来、朝晩に聴いている。彼の詩・唄には過ぎ去りし日々と人への哀愁、悲しみと温もりが籠められている。訥々と語るように流れ来る詩を聴く日々が、暫らくはつづきそうだ。

 

 -大手町にて-

昨夕は、サリーマン時代に新任課長として仕えたNさんとの懇談。この前に会ったのは9月であったか?(調べてみたら6月だった)。Nさんが顧問を勤める会社がある大手町、旧国鉄ビルの書店で待ち合わせ、地下街にある店に入った。

二十代から三十代の半ば過ぎまで勤務した、この辺りのビルもすっかり様変わりして立派な建物ばかり。テナントで入っている店も、家賃に相応しく高そうである。が、お洒落そうな炉端焼きの店にはいったが、客はもだ誰も居なかった。未だ五時を過ぎたばかりの時刻、こんなものであろう。

あれやこれやと、最近の諸般について伺いながらビールとワインを遣った。話の中で、Nさんがグループ会社の社長をしている後輩に頼まれ、その会社の顧問になったと云う。そして、その会社に関する話題となった・・・。

私の友人で、越中の熟年ライダーを自称するM氏が長く勤めていた会社である。M氏が現役の事業部長だったころに、何度か訪ねてビジネスの提案をしたのは、そう古い話ではない。事業内容から社風・体質と理解できる。そんなことから、私もNさんに云いたいことを言い、会話は盛り上がった。

この日、私がNさんにアポを取ったのは、私のビジネス上の知恵を借りたいとの思いであったが・・・。あにはからん、飛んだところに話が行った。それでも面白い会話となったので、由とすべしか・・・。

Nさんとのご縁も長くなったが、懐の深いNさんなればこそ。私が部下として仕えた期間は、たった三月半だった。縁と云うものは不思議なものだ。

そんなことで、昨夜も愉しいひと時を過ごした。Nさんに深謝である。

 

 

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