オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

スムージー

2014-02-10 | Weblog

2/10(月) 都心を襲った雪の後遺症も、昨日の日曜日で大方は片付いたようだ。それでも路上には、雪の残骸でシャーベット状態が見られるし、歩道も泥濘が所々に残る。

弁当もスムージーにもすっかりご無沙汰であるが、今朝は久々に「スムージー」を作ることとした。土曜日だったか、TVで心臓の名医と云われる天野Drが出演した番組で心臓病の予防法として野菜や青魚を摂ると云うのがあった。

亡父は、弁膜症の術後が悪くて急死した。私も元来、不整脈や弁膜不整を云われている。そんなこともあるので、スムージーで野菜系の摂取を図ろうとのケチな料簡を起こしたのだ。どうせすぐに忘れるに決まっているのだが、体の方がその気になっているので致し方なしだ。

そんな次第で今朝は「人参・セロリ・キャベツ・キューイ・アボガド・ウコン」のスムージーを作った。水分が足りないので、ボロミキサーが途中で空回り、そこでミカンジュース(100%)をグラスに半分ほど加えた。

             

久々のスムージーは美味かった。が、家人はバカにしたような顔をして私を見た。面白くないやつだぜ・・・。

 

出社後、ベランダでタバコを一服しながらYOSHIOと雪の後始末の話をすると、一苦労有ったようだ。塵取りで雪掻きをしたら、プラスチックの軟な柄が折れて往生したとのこと。都会ではありがちな話である。

都会の雪にまつわり話を二つ紹介しよう。一つは学生時代のことだが、友人のOOI君がアパートを引っ越すことになった。それが丁度雪が降った翌日であった。貧乏学生らしく、荷物は少ないので「リヤカー」(懐かしいねぇ)を借りての引っ越しである。雪の翌日はよく晴れて、ボタ雪でぬかるんでいた。助っ人は私一人だったような気がする。

雪の残った高円寺の裏道を私がリヤカーを引き、OOI君が後から押していた。この年の雪も多かった。途中で押し役のOOIが「あっ」と叫んだ。振り向くと見事なカエル姿になって、ぬかるんだ雪道に腹這っていた。札幌出身の彼にしては無様であった。卒業後、札幌に戻った彼と音信が途絶えて久しい。都会の雪のニュースを見て、彼がニヤリとしていると面白いのだが・・・。

もう一つは比較的に新しい話。この年も結構な雪が降っった、土曜日のことと記憶するが。横須賀の単身寮で一緒だった、後輩のKATUTA君の引っ越しの時のことだ。彼は転勤とともに家族が一緒に暮らすことになり、横須賀から品川の台地にある社宅へと引っ越しすることとなった。

この日、明け方から雪が舞いだし、昼には猛雪となっていた。この日、末娘の中学の受験申込書を貰いに学校に行き、それを濡らさぬように胸に抱いて品川の坂道を上って社宅に向かった。風雪で傘をさすのも一苦労であった。

午後1時過ぎには荷物が品川に着くとのことで、品川の社宅で荷物を受け取るべく、部屋の掃除を済ませて彼の部下と待った。待てど暮らせど荷物が着かない。とうとう黄昏になってきた、雪の中を弁当や飲み物などを買い出しに行き、主不在の部屋で飲み食いをして待つ。それでも来ない、寒い・・・。

私は「風呂の具合をチェックしようぜ」と、風呂に湯を張らせた。引っ越しのためにタオルは用意されていたので、それを使ってのんびりと風呂に浸かったのであった。一っ風呂浴びて、暫くしてから漸く荷物が着いた。外は既に真っ暗で、吹雪いていた。十余年前の雪の日のことである。

今、KATUTA君が住む松山も雪が降る処、ましてや彼の住いが在る町、久万高原町はその名のとおり四国山脈の山懐に在る町。今回の雪では、相当に降ったかもしれない。

 雪にまつわる話を思い出した次第・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする